261 心のトゲ 後編
王女たるもの、殿方の扱いはもちろん夜の作法も心得ている。
とはいえ、一度も実践したことの無い知識だったので久しく忘れていた。
その記憶を掘り起こしてイメージトレーニングを重ね、ようやく生涯を賭けた勝負に出ようと決心を固めたマリーだったが……
いつも以上に念入りに湯浴みをし、オイルやマッサージで身体を磨き上げ、髪を整え、香を焚き、煽情的な装いでハルキに迫ったのだが、結果は芳しくなかった。
それはそうだ。
ハルキにしてみれば、いきなり本気で王女様に迫られれば、何事かと不安になるし、心配にもなる。
彼の性格を考えれば、まかり間違っても有頂天になって襲い掛かってきたりはしない。
そんなことは分かっていた。だから、禁断と思われるズルイ方法を使った。
「ハルキ……、やはり私に魅力を感じたりはしないのですね。それはそうですよね。ハルキの好みは妹さんのような……、年若い女性ですものね……」
殺し文句とは程遠い言葉で、ハルキの優しさに縋った。
今でも十分に幸せだったので、ずっとこのままでもいいと思っていた。だけど先日の一件で、自分のせいで皆に我慢させているのだと気付いてしまった。
みんなの関係が進展しないのは、第一夫人たる自分が足踏みをしているから。自分が前に踏み出さなければ、後の者が続けない。
だから、責任感や義務感が、今のマリーを突き動かしていた。
マリーにしてみれば、一方的に慕い、王族の身分や国家の都合を持ち出して、強引に承諾させた結婚だ。
妻が十も年上というのは珍しいが、貴族に嫁いだ妻の責務は跡継ぎを残すこと。それが優秀であれば申し分ないが、少なくとも子さえ成せば問題ない、はずなのだが……
ハルキのことを慕っているからこそ、拒絶されるのを恐れて踏み出せずにいた。
そんな心の殻を破るために、第一夫人の責務という大義名分を利用した。
……いや、それに縋らなければ恐怖に耐えられそうになかった。
驚いた顔も、慌てて否定する様子も、困ったように照れた表情も、私のことを気遣う様子も、その全てが愛おしい……
失いたくない……
キュッと心が締め付けられる。
ともかく、こんな夜更けに訪問した意図は伝わったはず。
だけど、焦りは禁物だ。
「少し意地悪でしたわね。お詫びに晩酌はいかがかしら? 商都というだけあって、王都でも珍しい一品が手に入りましたのよ♪」
震える指先を誤魔化すように手にしたワインボトルを軽く振り、高鳴る鼓動と緊張を隠すように微笑みを浮かべて無邪気を装う。
魔導術で運び込んだクラッカーやハム、チーズや魚の塩漬け、鶏もも肉の酒蒸し、果実のジャムなどをサイドテーブルに並べ、グラスにワインを注ぐと互いの労をねぎらって乾杯する。
ハルキから緊張感や遠慮を取り除くため、所作にも細心の注意を払う。
話題も、話が弾むならなんでもよかったが、やはり最初は二人の出会いから……
「……そうそう、前の領主を倒して絶望してたらメイリアが現れて、安心する間もなく空から宮廷魔導術士さまが降ってきたから、そのまま処刑されるんじゃないかって頭が真っ白になったよ」
「ガイゼルがハルキの頬に手を添えて、慰めてましたわね。抒情詩の名場面を切り取った絵画のようで、今もまだ深く心に焼き付いておりますわ」
困ったような、それでいて照れたような笑みを浮かべたハルキが、ほのかに赤く染まった頬を掻く。
クスッとマリーが笑う。
どれだけ入念な準備を整えても、それでも不安が拭えず、この部屋に来るまで緊張で息を荒くし、何度も深呼吸を繰り返していたマリーだったが……
自然と会話が流れ始めたことで、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
国内の治安が悪化したことに心を痛め、宮廷魔導術士として活動をしたり、命の危険を感じるような無茶をしたり、辛いことも多かった。その中にあって、ハルキとの思い出は楽しいものばかり。
ワインが進み、程よく気分が盛り上がり、そろそろ勝負をかけようと思ったのだが……
「……マリーはメルシアでも大活躍だったからね。俺は遠くから見守ることしかできなかったけど」
二人の軌跡をたどれば、やがて先日の戦いに行きついてしまう。
文句なしの大勝利なのだから良い思い出のはずなのに……
ハルキは口にこそ出さないものの、結果を悔いているようだった。
「そんなことはありませんわ。ハルキは英雄としても、宮廷召喚術士としても、立派にお役目を果たされましたわ。……もし、魔導術に興味がおありでしたら、私が教えて差し上げますわ。魔導術って、意外と簡単ですのよ」
「空を飛んだり、火を熾したり、手元に武器が無い時とか便利そうだけど、それで召喚術が使えなくなったら困るからね」
「精霊術も聖法術も行使できるハルキですもの。国母エーデワルト様以来となる全系統保有者となるのも良いのでは?」
「そんなことになったら、また国中が大騒ぎだね。俺は、作物を育てながら穏やかに暮らしたいだけなんだけどな……」
「そうでしたわね。でも、知識だけでも得ておけば、思わぬところで役立つこともありますわよ」
マリーはとっさに話を逸らそうとしたが、少し強引すぎたようで、ハルキは微笑みを浮かべたものの表情は冴えないままだ。
マリーとしては、できればこの話題を避けて楽しい思い出を語り合い、幸せな雰囲気の中でと考えていたけど……
「……ハルキ、私たちは力を合わせて、この商都を守り抜きました。それは誇るべきことです。当然、王宮からも褒章が贈られるでしょう。ハルキはそれだけのことを成し遂げたのです……と、私が言ったところで納得されませんわよね……」
「なにを……うぶっ!?」
そっと隣に座ったマリーは、驚くハルキの頭を両腕で包み込んで胸に抱く。
「もしハルキが、商都の被害を悔やみ、犠牲者に対して罪悪感を抱いているのでしたら、その罪、私にも……私たちにも背負わせて下さいな」
事前に準備していたことや、演技のことがすっかり頭の中から抜け落ちてしまった王女さまは、ただただハルキのことを思い……
「ひとりで苦しまなくても、いいのですよ……」
芽生えた母性で優しく包み込んだ……




