余り語られない撮影所のあれこれ(202)「アクション・スタントの会社」vol.1「敢えてJAC呼びする『JAE』」
余り語られない撮影所のあれこれ(202)
「アクション・スタントの会社」vol.1
「敢えてJAC呼びする『JAE』」
●JACと言ってしまう
「ジャパン・アクション・クラブ」を略して「JAC(=ジャック)」は、勿論、皆さんがご存知のアクションやスタントをメインに請負っているプロフェッショナル集団です。
1969年創設の会社ですから、1967年生まれの私が物心ついた時にはありました。
1996年に「ジャパン・アクション・エンタープライズ」略して「JAE(=ジャエ)」と会社名を改名しましたが、私にとっては改名から30年経った今でも、それ以前の27年間の記憶が濃すぎて「ジャック」と呼んでしまう会社なのです。
今回は、先日バード星の銀河連邦警察本部へ帰還されたギャバンこと一条寺烈こと大葉健二さんの暫しのお別れの意味を込めて「JACことJAE」の事に関して語ってみたいと思います。
尚、事前に申し上げておきますが、今回は「JACもしくはJAE」のお話が中心となります。
他のアクションやスタントの会社の事は、必要ならば触れる程度となります事を予めご了承下さい。
「JACもしくはJAE」以外のアクションやスタントの会社に関しては、また別の機会に語らせて頂きます。
更に、私が語らせて頂くのは少なくとも私が少しでも関わりを持たせて頂いた事項が中心となります。
これは、自分が関わっていない事を語らせて貰うと後々間違いや弊害が出たりする場合があるからです。
併せてご了承下さると幸いです。
尚、例によって情報のほとんどが約35年ほど前です。
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。
また、記憶の内容が35年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在します。
その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。
その点を予めご理解ご了承下さい。
●JACとREDの見分け
私が物心ついた1969年の時点では「JAC」は存在していましたから、私が1989年に東映東京撮影所に勤務を始めた時には、特撮作品のアクションやスタントは「JAC」の仕事というのが殆どでした。
勿論、テレビプロ第二製作の「不思議コメディシリーズ」等では「大野剣友会」がアクションやスタントを担当していました。
そして、1986年の時点では元来「JAC」であったり「大野剣友会」であったりしたアクション俳優さんが「RED(=レッドアクションチーム=現:レッド・エンタテインメント・デリヴァー)」を結成していましたが、表立っては「JAC」と変わらぬ業務を担当していましたが、「我々は『JAC』ではなく『RED』です」と声高に主張する方もいらっしゃいませんでした。
寧ろ他のスタッフの方が先に気が付いて「あ、『JAC』じゃなくて『RED』だったね。ゴメンゴメン」と頭を下げるパターンの方が多かったと記憶しています。
それだけ撮影現場でも「JAC」の名前が浸透していました。
1980年代後半から1990年代初頭の当時は、東映東京撮影所には、この「JAC」と「大野剣友会」と「RED」の3社がアクションやスタントを担当するドラマや映画が大半でした。
私にとっても「JAC」と「RED」のメンバーの見分けは付いていませんでした。
自分から「『RED』です」と名乗る方もいらっしゃいませんでしたし、「元JAC」という方もいらっしゃいましたから、顔だけでは見分けがつきません。
数年前まで「JAC」に在籍していたけれど「RED」に移籍したとか、「RED」だけど「JAC」が請けた仕事で現場入りしているという場合すらありましたから、本当に分かりませんでした。
まぁ、撮影現場としてはアクションチームやアクション監督が来ても「アクションといえばJAC」だろうと思っていましたし、「製作部(=東映サイド)がOKして現場入りしているのであれば、キッチリ仕事をしてくれる人達だろうし、トヤカク言う事はないだろう」というスタンスでしたから、気にもしていないのが実情でした。
更に、前途したように、「元JAC」とかとなると「顔見知り」も多く、「RED」の方も撮影現場を知っている慣れた者を人選していた様でしたから、それも安心していたのだと思われます。
●JACとは
それでは、「JAC(現:JAE)」に関しての略歴等を見てみましょう。
「株式会社ジャパン・アクション・エンタープライズ」(英語表記:Japan Action Enterprise co.,ltd.)は、芸能事務所という位置づけで、略称は「JAE(呼称はジャエ)」。
旧社名としては「ジャパンアクションクラブ」略称は「JAC(呼称はジャック)」。
現在でも「ジャック」と呼ぶスタッフも多く居ます。
それだけに「ジャエ」と呼ぶより「ジェーエーイー」と呼ぶスタッフや関係者も居る程です。
アクション俳優であった千葉真一氏が、世界で通用するアクションスター・スタントマンを育成・輩出するために創設したのが「ジャパン・アクション・クラブ(=JAC)」でした。
その「JAC」を母体とする「JAE」は、現在ではアクション俳優・スタントマンの育成・マネージメントのほか、映像・テレビ・演劇や各種イベントの企画・構成・演出を手がけています。
◯基本データ
〒162-0067
東京都新宿区富久町16番8号
新宿ユニオンビル102号室
設立:1996年10月(現在のJAEの設立)
業種:サービス業
法人番号:2011101031559
事業内容:
俳優のマネージメント
スタントマン・アクションコーディネーター等の育成及びマネージメント 他
代表者:
代表取締役社長 金田治
代表取締役副社長 西本良治郎
資本金:1,000万円
従業員数:17人(社員数のみ、所属タレント数は含まず)
◯略歴
1969年に千葉真一氏は、新宿区に養成所である「ジャパン・アクション・クラブ(=JAC)」を発足させ、育成を開始し、翌年の1970年4月、同クラブを中野区に移転し正式に結成しました。
この結成式には若山富三郎も出席していました。
指導者には千葉真一氏のほか、日本体育大学のOBがアクション・スタントの為のトレーニングを教え、石橋雅史氏が空手道を教えていたとされています。
初期は千葉真一主演の映画・テレビ映画の擬斗(=アクション・スタント)に、JAC1期生である春田純一・蒲原敏明・金田治・酒井努・山岡淳二・大葉健二・西本良治郎が入れ替わりで出演していました。
1973年の『ボディガード牙』以降、東映が千葉真一氏の格闘作品を次々と製作し始めると、これらにJACとして参加し、格闘・スタントシーンには欠かせない存在となって行きました。
映像業界で認知されていくと、千葉真一氏が携わっていなくてもJACとして徐々に変身ヒーロー作品等の仕事を受注し始めました。
「大野剣友会」が擬斗を担当する「仮面ライダー」や「超人バロム・1」でスタントやトランポリンを務めた後、1973年の『ロボット刑事』からはJACのみで擬斗を担当し始めました。
1973年11月、資本金150万円で法人化し「株式会社ジャパン・アクション・クラブ」として設立しました。
その後、1977年6月には事務所を港区六本木へ移転しました。
1979年2月、千葉真一氏主演の映画「戦国自衛隊」のJACの活躍が評価されて、日本初のブルーリボンスタッフ賞を受賞します。
「JAC」は、志穂美悦子・真田広之・大葉健二・黒崎輝・渡洋史ら千葉真一以外の主演俳優や、助演俳優・スタントマン・スーツアクターやアクション監督など映画スタッフも育ち、所帯が大きくなると、1981年2月、本社を六本木から恵比寿に移転します。
更に、1981年7月には多くのアクションスターが大々的に知れ渡った事を期にファンクラブを発足しました。
また、1980年代に入ると千葉真一氏の念願の一つであったミュージカルを発表し、多角的に活動していく様になっていきます。
千葉真一氏の親友である夏八木勲氏や、桜木健一氏、萩原佐代子女史など、「JAC」に所属していない俳優も出演する作品の中で演ずるアクションに備えて、「JAC」へ練習に通うという事も行っていました。
しかし、「JAC」の懐事情は厳しく、1991年7月に千葉真一氏は、「JAC」を時代村(大新東グループ)へ売却します。
日光江戸村の芸能部門である「株式会社ジャングル」と統合し、この事により「JAC」は「ジャパンアクションクラブ事業部」となり、映画・テレビドラマでの仕事に加え、同日光江戸村の仕事も行うこととなりました。
しかし、1996年10月、金田治(社長)・西本良治郎(副社長)が中心となり、新たに別資本(資本金300万円)で新宿区西新宿に「有限会社ジャパン・アクション・クラブ」を設立し、時代村を含めた大新東グループから離れ、再スタートを期します。
2001年5月には、資本金を1,000万円に増資して「株式会社ジャパンアクションエンタープライズ」に社名変更する事になり、この「JAE」が現在も存続しています。
同年には別法人の「ジャパンアクションクラブ」が千葉真一氏によって設立され、西田真吾氏が代表を務めています。
こちらの「ジャパンアクションクラブ」については、アクションコーディネーターとアクションや殺陣ができる俳優を育成しており、「ジャパンアクションエンタープライズ」と違う点は、スタントマン育成ではないところと芸能事務所ではないため、他事務所の所属俳優もアクション等の学びができるという点である。
尚、こちらの「ジャパンアクションクラブ」も現在も活動中です。
その為に通常「JAE」と言えば「株式会社ジャパンアクションエンタープライズ」を指し、「ジャパンアクションクラブ」は略称無しか「JAC」と呼称しますが、前途の様に「JAE」を未だに「JAC」呼びするスタッフ等の関係者が居る為に「JAC」の呼称がややこしくなっています。
2007年11月、「JAE」は東京都北区浮間に「JAE FACTORY」を設立します。
そして、2014年11月には、本社を新宿区富久町に移転しました。
これらの間やこれ以降にも諸処の細かな事項はありますが、現状は以上となります。
●所属タレント(現在)
■女性 ▲京都アクション部 ★業務提携
◯タレント
あ行:
青木哲也 五十嵐睦美■ 石井靖見 伊藤茂騎
稲田龍雄▲ 今井靖彦 永徳 大岩剣也
太田雅之▲ 岡元次郎 岡本美登 奥井那我人▲
奥深山新▲ おぐらとしひろ 尾野透雅
か:
甲斐将馬 鍜治洸太朗 神尾直子■ 神前元
喜多川2tom
さ:
榮男樹 坂梨由芽■ 佐藤賢一 佐藤義夫
下園愛弓■ 白崎誠也 清家利一
た:
高田将司 高橋光 竹内康博 塚越靖誠
塚田知紀 辻本一樹 蔦宗正人 寺本翔悟
富永研司
な:
中田裕士 縄田雄哉 新田健太 二橋進一
は:
橋本恵子■ 橋本仰未 蜂須賀昭二
蜂須賀祐一 東慶介 東山龍平▲ 平木ひとみ■
藤井祐伍 藤田慧 藤田洋平 細川晃弘
ま:
増田広司▲ 松原凛 宮澤雪■ 宮村優子■★
村岡弘之
や:
横山一敏 米岡孝弘
ら:
六本木康弘
わ:
渡辺淳 渡辺隼斗★ 渡辺実
◯アクションディレクター
青木哲也 おぐらとしひろ 藤井祐伍
藤田慧 宮崎剛 村上潤 諸鍛冶裕太
六本木康弘 渡辺淳 東山龍平▲
高木英一 (スタントコーディネーター)
●過去に所属していたタレント
()内は別名義 ◎現在社員 ★業務提携
◯男性
赤田昌人 秋本雅彦 明樂哲典 浅井宏輔
浅木信幸 浅利俊博(Hiro asari) 池田政典
石垣広文 石田武 伊藤教人
井上誠吾(誠吾大志) 伊原剛志(伊原剛)
伊原康友 岩田時男 内川仁朗 卯木浩二
遠藤誠 大須賀昭人 大滝明利
大葉健二(高橋健二)★ 大林勝 大藤直樹
岡田和也 岡田貴善 岡田浩 岡田良治
沖原一生 押川善文 押見啓太 笠原竜司
片伯部浩正 加藤学 金田進一◎ 北村隆幸
木村雅俊 kyowhey 日下秀昭 栗原敏
黒崎輝(黒崎誠輝、宮沢風太郎) 釼持誠
玄也 高良隆志 古賀弘文 権藤俊輔
酒井博史 坂口拓 崎津隆介(崎津均)
佐藤太輔 真田広之 塩谷庄吾(塩谷将吾)
椎橋宏光 宍戸大全 柴原孝典 島原英希
志村東吾 下島一成 ショッカーO野
白井雅士 新崎健介 末野卓磨 杉口秀樹
鈴木信二 関裕志 関根大学(関根直秀)
大道寺俊典 高岩成二 高木淳也 高橋圭一
高橋利道 高橋玲 竹田道弘 武智健二
竹中寛幸 田中弘太郎 田中宏幸 谷口洋行
玉寄兼一郎 千田義正 辻井啓嗣 土家歩
堤真一 角田明彦 藤榮史哉 得居寿
豊嶋稔(豊嶋博文) 中川清人 中川素州
永瀬尚希 永地悠斗 中野高志 中村誠治郎
中村隆天 二家本辰巳 西田真吾(真壁真吾)
野口尋生 野崎数馬 野邉大地 橋渡竜馬
橋本春彦 八田政樹 花川仁教
春田純一(春田三三夫) 平山昌雄 福島悠介
福本清三 藤本幸太郎 細川洪 前田浩
益田哲夫(益田てつ) 松本竜一 的場耕二
水谷誠伺 水谷健 南博男 南誉士広
三村幸司 宮林大輔 村岡友憲 望月祐多
森村修一 森山貴文 安田桃太郎 矢吹二朗
矢部大 山岡淳二 山口照雄 山口仁
山口祥行 山下潤 山田アキラ 山田一善
山本亨 横田遼 吉田友紀 吉田瑞穂
若山騎一郎 渡辺健太 渡洋史(渡辺洋)
渡邉秀樹 (ヒモショウヘイ)
◯女性
今井喜美子 江尻正美 大石麻衣(大内弘子)
大島ゆかり 大園千絵 小野友紀 小野寺えい子
久保田香織(一条かおり) 小島美穂 小島裕子
小玉百夏 小牧リサ 五味涼子 佐野夏未
シェリー しのへけい子 志穂美悦子(塩見悦子)
志村忍 しゅはまはるみ
澄川真琴(高野槇じゅん) 関誉枝恵
セーラ・ブランチ 田口萌★ 田中澄子
田中貴子 田邊智恵 佃井皆美 富沢美智恵
野川瑞穂 橋口未和 早瀬恵子
ひがたともこ(干潟智子) 人見早苗 福井理沙
藤枝亜弥 丸山明恵 ミッチー・ラブ
南央美 南流石 村上利恵 村松美香
森永奈緒美 矢島由紀 吉田真弓
さくらあや(現:女子プロレス スターダム所属)
◯JR-III
冴場都夢(水本隆司) 柚原旬(佐々木竜馬)
◯JACブラザーズ
砂川真吾 真矢武
所属していたタレントさんの中には、既に鬼籍に入られた方もいらっしゃいますが、そこは敢えて掲載させて頂きました。
また、え?あの人は元JACや元JAE所属、もしくは現役で「JAE」所属じゃないの?という方もいらっしゃると思いますが、そのような方々の殆どは「元RED」や「現役RED」所属の方々だったりします。
例えば現在「超宇宙刑事ギャバンインフィニティ」でアクション監督・本編監督を務める「福沢博文」氏は、元来「大野剣友会」の所属でしたが、1990年頃より「RED」に所属するに至っていて、「元JAC」でも「現JAE」所属でもありません。
つまり、それ程に「RED」と「JAE」「JAC」はおろか「大野剣友会」とも区別が着きにくいのです。
●関係した主な作品
◯映画
仮面ライダー対ショッカー (1972年)
ボディガード牙 (1973年)
激突! 殺人拳 (1974年)
直撃! 地獄拳 (1974年)
エスパイ (1974年)
ウルフガイ 燃えろ狼男 (1975年)
少林寺拳法 (1975年)
けんか空手 極真拳 (1975年)
子連れ殺人拳 (1976年)
脱走遊戯 (1976年)
激殺! 邪道拳 (1977年)
空手バカ一代 (1977年)
ゴルゴ13 九竜の首 (1977年)
惑星大戦争 (1977年)
柳生一族の陰謀 (1978年)
戦国自衛隊 (1979年)
太陽を盗んだ男 (1979年)
忍者武芸帖 百地三太夫 (1980年)
魔界転生(1981年)
冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- (1981年)
吼えろ鉄拳 (1981年)
燃える勇者 (1981年)
里見八犬伝 (1983年)
伊賀野カバ丸 (1983年)
コータローまかりとおる! (1984年)
必殺4 恨みはらします (1987年)
マルサの女2 (1988年)
将軍家光の乱心 激突 (1989年)
スウィートホーム (1989年)
リメインズ 美しき勇者たち (1990年)
新極道の妻たち 覚悟しいや (1993年)
リゾート・トゥ・キル (1994年)
ヤマトタケ (1994年)
御法度 (1999年)
真夜中まで (2001年)
RED SHADOW 赤影 (2001年)
陰陽師 (2001年)
たそがれ清兵衛 (2002年)
新・影の軍団シリーズ (2003年〜2005年)
陰陽師Ⅱ (2003年)
ゴジラ FINAL WARS (2004年)
◯テレビ作品
☆一部を除く
仮面ライダーシリーズ (1971年〜)☆
※仮面ライダーBLACKよりメイン、それまでは大野剣友会との共同
ロボット刑事 (1973年)
ザ・ボディガード (1974年)
ザ★ゴリラ7 (1975年)
燃える捜査網 (1975年)
正義のシンボル コンドールマン (1975年)
アクマイザー3 (1975年)
スーパー戦隊シリーズ (1976年〜)☆
※ゴレンジャー66話まで大野剣友会、67話からメイン、バトルフィーバーJ1話〜6話はビッグアクション、7話からメイン
超神ビビューン (1976年)
大非常線 (1976年)
柳生一族の陰謀 (1978年)
スパイダーマン (1978年)
影の軍団シリーズ (1980年〜1985年)
柳生あばれ旅 (1980年)
大激闘マッドポリス'80 (1980年)
特命刑事 (1980年)
メタルヒーローシリーズ (1982年〜1998年)
柳生十兵衛あばれ旅 (1982年)
素晴らしきサーカス野郎 (1984年)
太平記(NHK大河ドラマ) (1991年)
徳川無頼帳 (1992年)
◯演劇
柳生十兵衛 魔界転生 (1981年)
ゆかいな海賊大冒険 (1982年・1983年・1984年)
酔いどれ公爵 (1985年)
●あの時代の悩み
「JAC」が大新東グループに売却された時期に、「JAC」所属の若手の俳優さん達には悩みが生じていた様でした。
「日光江戸村に行くのか?撮影所に留まるのか?」
そんな会話を耳にした事がありました。
撮影所のアクション担当となれば、ある種の歩合制のようで、収入は安定しないような事を話していました。
その代わりアクション俳優としてテレビドラマや映画に出演する機会もあり、自分が活躍したシーンがテレビ放送されたり顔が映ったりといった夢が見られるという利点もあるようでした。
方や江戸村のような時代村のアトラクションのアクション担当となれば、その方々が話す内容によれば月額給料制で収入は安定するようでした。
その代わりにテレビドラマや映画に出演する機会は殆ど失われてしまうというのです。
それは、彼らにとって深刻な悩みであったのだと思われます。
どういう決断をしたのかは、経過を知らない私にとっては知る由もない事ですが、「JAC」の大新東グループへの売却の話の裏で、ささやかではありますが重要な悩みがあったという事を知って於いて欲しいと思い、ご紹介させて頂きました。
尚、現在はどの様に時代村の人達が人選されているのかも、撮影現場入りしている「JAE」所属のタレントさんや若手の方々の給与体系の事なども私は知りません。
寧ろ当時の方々の給与体系ですら分かりませんし、憶測でしかありませんので、ご了承下さい。
●休み時間
「JAC」の人達は、昼休みになるとアクションに使用するマットを引っ張り出して来て、皆さんで自主練習をする事がありました。
大抵は、小型トランポリンも一緒に持ち出して「飛び蹴り」や「空中回転」を練習していました。
それは、厳しい練習というよりは楽しんで身体を動かしているという風でした。
殆どは若手の「JAC」の人達が練習を行っていましたが、たまに中堅クラスの先輩「JAC」のメンバーが「お手本」というよりも自分の現在の身体を確認するかのように楽しみながら跳んでいたりもしました。
また、若手の補助をして練習をサポートする場面もありました。
更には、アクション監督やアクションコーディネイターの方々が若手を指導してくれたりする場面もありました。
それは、身体を動かすのが好きな人達が身体を使ってコミュニケーションを取っているのではないか?とも思える程に生き生きとした空間でした。
私は一度、その小型トランポリンとマットを使った空中回転の練習に参加した事がありました。
トランポリンを踏んでジャンプ、空中で回転、でも流石にマット上に立つ事は出来ませんでした。
更にメガネを外すのを忘れてしまい、空中回転の勢いでスッ飛んでしまったのでした。
幸いメガネは無事でした。
それ以来、練習には参加しませんでしたが、私本人は自分でアクションを行うのではなく、観ている方が愉しめる事を再認識した結果となりました。
●JAC部屋
今では既に存在しませんが、30年程前までは東映東京撮影所内には「東映テレビプロ」のスタッフルームが入る二階建ての建屋が立ち並んでいました。
一階部分はスタッフルームなどが入っていて、二階は基本的には美術スタッフなどの部屋となっていました。
その二階に「JAC部屋」と呼ばれる部屋がありました。
まぁ、単なる「JAC」所属のメンバーが休憩したり仮眠を取ったりする「待機所」といった部屋でした。
翌日の撮影で朝が早いロケ出発があると、「JAC」所属のメンバーの中には、この「JAC部屋」で仮眠を取って朝を迎えたりする方もいらっしゃいました。
また、逆に出番が遅い撮影の場合などでは、集合時間までの待機所となっていました。
●上下関係
「JAE」を含めてアクション・スタントの会社は、殆どの会社が体育会系の上下関係で成り立っています。
まぁ、行っているアクションやスタント自体が体育会系そのものですから、当たり前と言えば当たり前かもしれません。
しかし、昨今のハラスメントが横行する社会の中で、体育会系のノリが通用するのかという疑問が出てきます。
ですが、撮影現場などの危険と隣り合わせのアクションやスタントの場合には、体育会系の上下関係が大切になって来るのです。
先輩達であるアクション監督やアクションコーディネイターが経験等から得た「安全マージン」を基にアクションやスタントを組みますから、それに沿ってアクションやスタントを行わなければケガや事故に直結してしまうという訳です。
更に、そこにアクションとしての見栄えや撮影する事によって生じるフレームという問題も克服させなければなりません。
だからこそ、自分勝手な判断でアクションをしてしまうと、自らの危険と共にプロの仕事としての作品を台無しにしてしまう危険性もあるのでしす。
若手の頃には、スタントやアクションを行う先輩達の「補助」として撮影現場に付きます。
それは、雑用係をする為ではありません。
アクションをする者の立場になって「危険を回避する」方法を学ぶ為なのです。
アクション監督やアクションコーディネイターからの指示を請けて、自分に割り振られたアクションをどうすれば効果的に危険無く演じられるのかという課題を毎回シミュレーションしながら観て学ぶ訳です。
叱られる事も多々あります。
しかし、それは「危険が伴う可能性があるから」「アクションとして効果的ではないから」というプロとして成し遂げなければならない課題がクリアされていないからに他なりません。
厳しい上下関係は、「危険」というアクションに付き纏う要素をくぐり抜けてきた先達たちからの愛情なのです。
重大事項である「危険」、それが伴おうが誰も関係無いのであれば、誰も叱りはしないでしょう。
人一倍心配しているからこそ、そしてそこに信頼関係のある上下関係があるからこそ、「安全」は担保されているのです。
アクションやスタントを行う者達は、「補助」が持つマットに向けて飛び込みます。
そして、「補助」が持つワイヤーに自分の身体を委ねます。
そこにアクションやスタントの「危険」を共有する上下関係と信頼関係があるからこそ出来る、危険行為が魅力的に変わる瞬間があるのです。
●第2の
「第2の志穂美悦子」「第2の真田広之」を輩出する事が「JACとしての悲願」と聞いた事がありました。
流石に「第2の千葉真一」という言葉は聞いた事はありませんでした。
その中で、素面でのアクションと芝居の両立という部分では「春田純一」さん「大葉健二」さん「黒崎輝」さん「渡洋史」さん「森永奈緒美」さんは、筆頭株だったのかもされません。
しかし、私見ではありますが、時代の波は気まぐれで、予期せぬ波に翻弄され、大波が来ても乗り切れない、乗ったとしても波の方が何処かに行ってしまう等というジレンマに似たものがあったかと思われます。
もしかすると、「志穂美悦子」さん「真田広之」さんは、時代という波が奇跡的だった事によるものか、「千葉真一」氏の能力の一端だったのかもしれません。
●あとがき
私は、個人的にアクション俳優さんが好きだ。
身体を鍛え、力だけでなく柔軟性やバネも磨き、それをカメラの前で表現する。
私が真似できない素晴らしさがあり、どうしてもリスペクトしてしまう。
特撮ヒーロー作品では、音声さんが使用しないマスクの中でもセリフを発し、本編の役者さん達のスタンドインというだけではない「努力」と「プロ根性」が見える。
だからこそ、私は撮影現場では他のスタッフと共に在る事よりも、「JAC」「RED」「大野剣友会」等に所属するアクション俳優さん達と共に在りたいと思っていた。
それは、自分が出来ない事への「強い憧れ」からの行為だったのかもしれないし、「強い尊敬の念」からの行為だったのかもしれません。
男性は「ひたすら格好良く」「力強さの中にしなやかなバネ」がありましたし、女性は「輝く格好良さ」「柔らかさと共に鋭い眼光」がありました。
私的には「JAC」の女性メンバーのアクションと眼力に心を奪われる事すらありました。
数年前に東映東京撮影所のスーパー戦隊のステージセットの撮影に見学と称して訪れた事がありました。
その際も、スタッフの動きよりもアクション俳優さん達の動きや補助の若手の人達の動きを注視していたように思います。
それは、数十年間変わらずそこにある風景でした。
撮影隊の方は、デジタル化され機材も増えて仕事内容も分かりづらい点があった事は確かです。
しかし、アクション俳優さん達や補助の人達の仕事や動きは変わっていませんでした。
寧ろ効率は上がっていたように感じました。
更にマスクを着ける事の出来るメインのアクション俳優さん達は、活き活きしていました。
アクション俳優でメインのマスクを着ける事は、ある種の頂点を意味します。
自分のアクションが認められた事に為るからです。
しかし、その事に奢り、天狗になって若手を見下す事をする人に、私は過去にも会った事がありません。
この時も、皆さん気さくで、汗をかくことが心地良いと感じている事が伝わって来る様でした。
それは、慢心や奢りは「危険」と直結するからなのだと思います。
ですから、私が現役時代のペーペーのド新人の頃もアクション俳優さん達は、本当に優しかったです。
筆頭の金田治社長からしてそうでした。
当時の「JAC」に所属する若手には優しく厳しく、中堅には理不尽な程に限界を探らせました。
スタッフには優しかったです。
アクション俳優さんは、俳優ですからキャストです。
しかし、スタッフの一員であるかの様にスタッフに手を貸して貰えたり、メインキャストやゲストキャストよりもずっと身近な存在で、キャストよりもスタッフに近い存在という感覚すらありました。
なぜならば、メインキャストやゲストキャストが帰られた後でも、当たり前の様に撮影所に残っている人達が居て、当たり前の様に話したり呑み明かしたりする人達がいる。
他のキャストとは違う距離感のあるキャストだったからかもしれません。
そして、1年間の作品を撮影し終わっても翌年も同じ様なメンバーが撮影を支えてくれるスタッフという「家族」と何ら変わりない存在だからかもしれません。
そういった意味では、キャストであるにも関わらず翌年もまたその翌年も「家族」として撮影隊の一員で居てくれる存在なのが、アクション俳優さん達でした。
かつては、「剛の大野剣友会」「柔のJAC」と呼ばれた時代もありました。
発足も何も違うこの2つのアクション会社が、日本の「殺陣」「アクション」「技斗」と呼ばれる世界を牽引し、多くの子供達を産み、そして独立した他の会社を産む母体となった事は確かです。
特に「JAC」は、様々な紆余曲折の基、現在の「JAE」に残り続ける精神は、様々な混沌と共に輝きも継承していると感じています。
私がかつて撮影現場で観ていた「補助」の若手が、今やレジェンドアクション俳優だったりします。
戦闘員のマスクすら着けさせて貰えなかった若手が、今やアクション監督だったりします。
それは素晴らしい事です。
努力の結果に他ならないからです。
既に「JAE」の所属から外れた方もいらっしゃいます。
所属を外れて自身でアクションチームやアクション会社を起ち上げた人達も居ます。
アクション教室を開いたり、後進を指導したり、または家庭に入ったり、アクションとは無縁の道を歩まれている方もいらっしゃいます。
年齢や体力の面から所属を外れた方もいらっしゃいますが、危険を伴う仕事だけに、その決断も納得させられます。
そして、今尚「JAE」で現役で活躍されているレジェンドな方もいらっしゃいます。
その不屈の努力は、頭が下がります。
私は、奇しくも1991年の「JAC」の「大新東グループ」への売却の前後の期間に東映東京撮影所に居た事になります。
私の知らない処で、様々な大変な事が起こっていたのだと思います。
しかし、撮影現場には大きな混乱は無かったと思われます。
この前後の期間で、「JAC」から他のアクションチームへ移籍したり引退したりする方はいらっしゃいました。
去る者は追われませんし、移籍をしても本人は何時もと変わらず撮影現場に居ましたし変わりない仕事をこなしていました。
上の方では様々な事があったのかもしれませんが、まるで「白鳥の水掻き」の状態です。
水面下で様々な事が起ころうとも、見えている範囲では何時もと変わらず粛々と仕事が進行して行くのです。
新生「JAC」=「JAE」が発足して、今年の10月で30年を終え、31年目を迎えます。
今や「JAE」の起ち上げからいらっしゃる上層部の方々も良い年齢に達し、「継承」の時期が来ています。
そこに「変革」が伴う可能性もあります。
まぁ、どの様に為ろうとも撮影現場は粛々と進行して行がなければならないのです。
そして、そこにアクションシーンが在れば「JAE」という存在は不可欠なのです。




