余り語られない撮影所のあれこれ(201)「俳優列伝」vol.6「ドラマの主役」その2「フランキー堺」
余り語られない撮影所のあれこれ(201)
「俳優列伝」vol.6「ドラマの主役」
その2「フランキー堺」
●何がどうしてフランキー堺さんなのか?
私の「俳優列伝」は、基本的にお仕事をご一緒出来ていたり、お会いした事があったりした俳優さんを優先してご紹介しています。
それは、一般の方々が抱いているイメージだけではなく、御本人の人柄や仕事ぶりをどれだけ知っているかで、このコラムの「余り語られない」という点に繋がるのではないだろうかと考えるからに他なりません。
そういった意味からも、私の仕事の中でも「稀有な俳優」としての「フランキー堺」さんを外す訳には行かないのです。
「フランキー堺」さんとは、1992年頃に2時間ドラマの主演作のお仕事としてご一緒させて頂きました。
とは言うものの実は、このドラマの台本が直ぐに見つからず、更には「フランキー堺」さんの出演作としてもSNS上には見つからず、タイトルも時期も分からないのですが、1991年〜1993年のいずれかの時期の推理モノの2時間ドラマで、「フランキー堺」さんが主演だった事は確かなのです。
可能性が高いのは、1993年に関西テレビで放送の「特選!黒のサスペンス 視線・証拠なし」だと思われますが、この話であれば銀行強盗シーンがある筈なのですが、その様なシーンを撮影した記憶がなく、更に「フランキー堺」さんが床屋設定だったような…
但し、この床屋設定すらも定かではなく、フランキー堺さんと言えばという単なる「私は貝になりたい」のオマージュだったのではと思ってもいます。
まぁ、この時期は多くの2時間ドラマが制作されながらも放送が先延ばしにされたり、中にはお蔵入りとなってしまった作品もありますから、定かではないのも頷けます。
もしも、台本が見つかりましたら、改めてご紹介するとして、今回は「フランキー堺」さんに絞って語ってみたいと思います。
尚、例によって情報のほとんどが約35年ほど前です。
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。
また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在します。
その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。
その点を予めご理解ご了承下さい。
●基本データ
芸名:フランキー堺 (‐・さかい)
本名:堺正俊 (さかい・まさとし)
撮影現場での呼称:フランキーさん、堺さん
生年月日:1929年2月13日生
没年月日:1996年6月10日没(享年67歳)
御存命であれば2026年現在97歳。
鹿児島県鹿児島市車町出身。
ガッチリした体格。角張った顔。
身長は160cm前後で、さほど大きくない。
江戸っ子口調が似合うが鹿児島市出身
●略歴
小学生の頃は、地元でボーイソプラノとして名を馳せ、中学に上がる前に一家で東京に移り住んでから16歳で終戦を迎え、高校時代には演劇部の他に、剣道部、弁論部、音楽部を掛け持ちしていました。
大学時代には進駐軍のキャンプへバンドのジャズドラマーとして参加し、それがきっかけで芸能界へと入る事となります。
一時は「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」を結成し、コミックバンドとして活躍していましたが、フランキー堺さん自身が元来俳優志望ということもあり、伴淳三郎さんに見出されると脱退してしまいます。
この「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」の残ったメンバーである桜井センリ、植木等、谷啓らが中心となってハナ肇さんが結成していた「キューバン・キャッツ」と一緒になって「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」が結成されて行くのですから、世の中は分かりません。
俳優としては、コミックバンドをなさっていた事やその内容を伴淳三郎さんに認められた事もあったのでしょうが、コメディーリリーフとしての役どころが多く、初主演映画もコメディ映画でした。
甘いマスクの二枚目という事もなく、どちらかと言えば庶民的な顔立ちのフランキー堺さんは、このコメディ映画という三枚目役で名を馳せて行きました。
それにしても俳優に転身して3年で主演というのは、実力と周囲の人間的な評価があってこそだと思われます。
そして、初主演から1年後に後々大きく評価される「幕末太陽傳」の主演となる。
「幕末太陽傳」は、当時流行していた映画「太陽の季節」に代表される「太陽族」と呼ばれる自由な若者文化を時代劇に落とし込んだ幕末青春コメディ映画でした。
落語の「居残り佐平次」から主人公を拝借し、同じく落語の「品川心中」「三枚起請」「お見立て」など、遊郭・妓楼を舞台にした落語の演目の要素が随所に散りばめられ、史実である英国公使館焼き討ち事件が題材に加えられている。
この「幕末太陽傳」はヒットし、フランキー堺さんはこの年(1957年)の「第8回ブルーリボン賞 主演男優賞」と「第31回キネマ旬報ベスト・テン 主演男優賞」を受賞します。
そして、コメディ映画だけに留まらないフランキー堺さんの演技がデルビで話題になりました。
それが「私は貝になりたい」でした。
これは、元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」の遺書部分をもとに創作された橋本忍脚本によるフィクションで、第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が戦後B級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描いたドラマでした。
この「私は貝になりたい」は、第13回文部省芸術祭芸術祭賞(放送部門)受賞作となっており、翌年には同じタイトルと同じフランキー堺さんの主演で映画化もされ、1958年の芸術祭文部大臣賞にも輝きました。
また、当時人気を博していた朝日放送のクイズ番組「霊感ヤマカン第六感」の2代目司会者を務め、軽妙かつ温厚な司会ぶりで視聴者に親しまれました。
更に落語にも造詣が深く、落語家の8代目桂文楽に入門して、噺家として桂文昇の名を持っていました。
1967年からは大阪芸術大学で演劇論を講じ、1974年より大阪芸術大学舞台芸術学科の教授に就任し学科長も務められました。
また、東洲斎写楽の研究にも熱心で、晩年の1995年には私財を投じて映画「写楽」を製作し、自らも昨年大河ドラマでも話題になった蔦屋重三郎役を演じました。
1996年6月7日未明に大阪市のホテルで吐血して緊急入院し、6月10日午後11時2分、肝不全のため東京都港区の済生会中央病院で死去しました。
67歳でした。
◯受賞歴
第8回ブルーリボン賞 主演男優賞(1957年)「幕末太陽傳」「倖せは僕等のねがい」
第31回キネマ旬報ベスト・テン 主演男優賞(1957年)「幕末太陽傳」
芸術祭文部大臣賞(1958年)「私は貝になりたい」
芸術祭文部大臣賞(映画)(1963年)「天と結婚」
NHK映画賞 主演男優賞「末は博士か大臣か」
芸術祭企画賞(1964年)「もぐらの唄」
モンテカルロ国際テレビ祭シルバー・ニンフ賞(第30回)(1990年)「山頭火」
紫綬褒章(1994年)
藤本賞(平6年度)(1995年)
エランドール賞(特別賞,平7年度)(1996年)「写楽」
第19回日本アカデミー賞 特別賞企画賞(1996年)
第20回日本アカデミー賞 会長特別賞(1997年)
第51回毎日映画コンクール 特別賞(1997年)
●人物像
コメディアン俳優としての印象が強い事から、良く笑っていらっしゃるイメージが強いのですが、普段からも話題に事欠かないにこやかな方でした。
しかし、コメディアン俳優の方々に多い様に、仕事に関しては厳しく、自分の事は勿論、周りのキャストやスタッフにも注意をされる事がありました。
勿論、理不尽な注意ではなく俳優としてスタッフとしての仕事に対しての注意でした。
私がお仕事をご一緒した時にフランキー堺さんに叱られた事がありました。
ステージセットでの撮影の際に、撮影準備で時間が掛かる為にフランキー堺さんはキャスト控え室に待機して頂いていました。
照明の準備も整い、私がキャスト控え室までフランキー堺さんを呼びに行き、セット脇にまでお連れしました。
その間に撮影現場は照明の再調整をしていたらしく、直ぐに撮影開始とはならなかったのです。
私もセットの再調整に駆り出され、その間フランキー堺さんに説明も無くずっと待たせたままにしてしまったのです。
やっと準備が整った時には、フランキー堺さんはセット脇にはいらっしゃらなくなっていてキャスト控え室に帰られた様になっていました。
私とは別の助監督がフランキー堺さんを呼びに行ったのですが、ひとりで帰って来て「フランキーさんが、お前をご指名だ」と告げました。
私は訳も分からずキャスト控え室に行ったのですが、扉を開けた途端に、フランキー堺さんの怒号が聞こえました。
それは、私にではなく付き人の若い俳優さんに向けた叱責でした。
その後、私と付き人が並べられてお説教が始まりました。
「撮影に準備時間がかかる事は私も心得ているよ。でもね、呼んでおいて待たせたままで何の説明もないまま放置というのは酷いんじゃないのかい?更に控え室に帰ってしまった私に詫びも無く、他のスタッフが何喰わぬ顔で迎えに来るなんておかしいと思わないか?」
それは私に対する怒りを交えた注意でした。
そして、私はフランキーさんが私をご指名だった理由と怒られてしまっている原因が自分のミスだと腑に落ちたのです。
「お前もお前だ。私の付き人ならば、周りの状況を見て、この子じゃなくても、他のスタッフさんにでも私が待たされている説明に来てもらっても良かったんだよ。私が控え室に戻ってしまった事が何故なのか?それを自分で考えて行動しなきゃ。私の隣にベッタリ付き添っているだけが付き人じゃない。気を回して動くのが付き人だ。」
それまで叱られていたであろう付き人さんも更に注意されていました。
「これから私は、お前達二人にゲンコツを喰らわせる。そして、これでこの話は終わりだ。ゲンコツはこの事をお前達が覚えておいて欲しい為だ。私も痛いがこれで私のむしゃくしゃも消える。すまないが付き合ってくれ」
そういって私達二人の頭にゲンコツを喰らわせました。
そこまで痛くはありませんでしたから加減されたのでしょうが、硬く重く愛情が伝わる痛みは身体と心に残りました。
それは、理不尽から来るゲンコツではなく、私自身が納得して受け入れたゲンコツだったからかもしれません。
そして、フランキーさんはにこやかに笑って「撮影に行くか!」とステージセットへ歩いて行かれました。
その後の撮影期間中は、フランキーさんは私に何かと目をかけて頂き、良く「頑張れよ」と声をかけても頂きました。
私は、勉強させて頂きました。
フランキー堺さんは、尾を引く性格ではなかったのかもしれません。
寧ろ自分が怒ってしまった事に対して萎縮しないかと心配してくれている程でした。
フランキーさんは御自宅をロケセットとして提供して下さる事もされていました。
「昔、撮影した時よりモノが増えているから、手狭だけどな」
と言いながら私には分からない様な高級な調度品が椅子やテーブルがたくさんありました。
3階か4階建の御自宅だったと思いますが、良く知らない撮影スタッフがたくさん昇り降りし、照明機材が部屋に立てられ、幾ら自分が主演のドラマだとはいえ、荒っぽいスタッフ達を大勢、自宅という自分の聖域に引き入れる事への寛容さと仕事への情熱が感じられましました。
更には、奥様に至っては嫌な顔ひとつせずにスタッフ達全員にお茶まで出して頂きました。
楽しい事が大好きで、人が大好きで、芸事が好きな方でした。
スタッフもキャストも分け隔てなく接し、年長者として座長(=主演)として占める処は忘れない。
そんな方でした。
●代表作とオススメ
亡くなられて30年になろうとしていますから、中には「フランキー堺」さんを知らない方もいらっしゃるかもしれません。
特撮が好きな方々には「モスラ」や「世界大戦争」でご存知の方々もいらっしゃるでしょう。
そんな方々にこそ、「フランキー堺」という俳優でありコメディアンでありジャズドラマーを知って欲しいのです。
私のオススメは、映画の「私は貝になりたい」と「幕末太陽傳」は勿論ですが、「駅前シリーズ」「世界大戦争」「赤かぶ検事奮戦記」あたりです。
喜劇人でもあり俳優でもある「フランキー堺」の芝居の真骨頂が観られます。
特に「世界大戦争」は、現在の我々の置かれている状況の最悪のシミュレーションを市井の立場から観られ、それを演じるフランキー堺はじめ俳優陣の素晴らしさと円谷特撮のダイナミックさ、そしてこの映画が65年前に予言的に公開された事を考えて鑑賞して頂きたいと思います。
確かに65年も前の作品ですから、映像的にも手作りの特撮ですし、出て来る車や小道具や兵器達まで古く感じられると思います。
しかし、戦後16年という戦争を身を持って知っている人達が考え演じ作られた映画に、本物の「平和の尊さ」を教えられる映画になっています。
「平和は粗末にしちゃいけねぇ」というフランキー堺さん演じる主人公の言葉が重く聞こえます。
●出演作品
◯映画 ■:特撮映画
◎:主演(確認が出来た作品のみ表示)
★︰転機的な作品
▲:TV ◆:声優・吹替
▽:バラエティ
▼:ナレーター・ナビゲーター ・ラジオドラマ
☆:CM・PV □著書・書籍
映画
◯名探偵アジャパー氏(1953年、新東宝)
◯青春ジャズ娘(1953年、新東宝)
◯七変化狸御殿(1954年、松竹)
◯愛のお荷物(1955年、日活)
◯初恋カナリア娘(1955年、日活)
◯緑はるかに(1955年)
◯丹下左膳 第一部 乾雲の巻
第二部 坤竜の巻
第三部 昇竜の巻(1956年、日活)
◯◎牛乳屋フランキー(1956年、日活)
◯◎ドラムと恋と夢(1956年、日活)
◯ジャズ・オン・パレード 1956年 裏町のお転婆娘 (1956年、日活)
◯お転婆三人姉妹 踊る太陽(1957年、日活)
◯◎フランキー・ブーチャンのあゝ軍艦旗(1957年、日活)
◯◎★幕末太陽傳(1957年、日活)
◯◎フランキーの宇宙人(1957年、日活)
◯倖せは俺等のねがい(1957年、日活)
◯嵐を呼ぶ男(1957年、日活)(ノンクレジット)
◯母三人(1958年、東宝)
◯◎ぶっつけ本番(1958年、東宝)
◯◎駅前シリーズ(1958年〜1969年、東宝)
※森繁久彌、伴淳三郎と共にトリプル主演
駅前旅館 1958年
喜劇 駅前団地 1961年
喜劇 駅前弁当 1961年
喜劇 駅前温泉 1962年
喜劇 駅前飯店 1962年
喜劇 駅前茶釜 1963年
喜劇 駅前女将 1964年
喜劇 駅前怪談 1964年
喜劇 駅前音頭 1964年
喜劇 駅前天神 1964年
喜劇 駅前医院 1965年
喜劇 駅前金融 1965年
喜劇 駅前大学 1965年
喜劇 駅前弁天 1966年
喜劇 駅前漫画 1966年
喜劇 駅前番頭 1966年
喜劇 駅前競馬 1966年
喜劇 駅前満貫 1967年
喜劇 駅前学園 1967年
喜劇 駅前探検 1967年
喜劇 駅前百年 1967年
喜劇 駅前開運 1968年
喜劇 駅前火山 1968年
喜劇 駅前桟橋 1969年
◯◎★私は貝になりたい(1959年、東宝)
◯貸間あり(1959年、東宝)
◯独立愚連隊西へ(1960年、東宝)
◯幽霊繁盛記(1960年、東宝)
◯羽織の大将(1960年、東宝)
◯赤坂の姉妹より 夜の肌(1960年、東京映画)
◯◎■モスラ(1961年、東宝)
◯◎特急にっぽん(1961年、東宝)
◯◎■世界大戦争(1961年、東宝)
◯南の島に雪が降る(1961年、東宝)
◯◎雲の上団五郎一座(1962年、東宝)
◯おへその大将(1962年、宝塚映画/東宝)
◯忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年、東宝)
◯社長シリーズ(1962年〜1967年、東宝)
サラリーマン清水港 1962年
社長洋行記 1962年
続・社長洋行記 1962年
社長漫遊記 1963年
続・社長漫遊記 1963年
社長外遊記 1963年
続・社長外遊記 1963年
社長紳士録 1964年
続・社長紳士録 1964年
社長忍法帖 1965年
続・社長忍法帖 1965年
社長行状記 1966年
続・社長行状記 1966年
社長千一夜 1967年
続・社長千一夜 1967年
◯喜劇 とんかつ一代(1963年、東京映画)
◯台所太平記(1963年、東宝)
◯ばりかん親分(1963年、松竹)
◯◎末は博士か大臣か(1963年、大映)
◯ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗(1964年、東宝)
◯◎君も出世ができる(1964年、東宝)
◯ラーメン大使(1967年、大映)
◯旅行シリーズ(1968年〜1972年、松竹大船)
喜劇 大安旅行 1968年
喜劇 婚前旅行 1969年
喜劇 逆転旅行 1969年
よさこい旅行 1969年
縁結び旅行 1970年
満願旅行 1970年
体験旅行 1970年
開運旅行 1971年
喜劇 誘惑旅行 1972年
喜劇 怪談旅行 1972年
快感旅行 1972年
◯ドリフターズですよ!盗って盗って盗りまくれ(1968年、東宝)
◯河内フーテン族(1968年、宝塚映画/東宝)
◯こわしや甚六(1968年、松竹)
◯白昼堂々(1968年、松竹)
◯◎喜劇 “夫”売ります!!(1968年、東映)
◯妾二十一人 ど助平一代(1969年、東映)
◯◎極道ペテン師(1969年、日活)
◯◎与太郎戦記(1969年、大映)
◯喜劇・あゝ軍歌(1970年、松竹)
◯喜劇・命のお値段(1971年、松竹)
◯喜劇 頑張らなくっちゃ!(1971年、松竹)
◯◎喜劇 男の子守唄(1972年、松竹)
◯◎喜劇 日本列島震度0(1973年、松竹大船)
◯男じゃないか 闘志満々(1973年、松竹)
◯◎喜劇 男の泣きどころ(1973年、松竹)
◯宮本武蔵(1973年、松竹)
◯街の灯(1974年、松竹・田辺エージェンシー)
◯俺の血は他人の血(1974年、松竹)
◯喜劇 男の腕だめし(1974年、松竹)
◯喜劇 女の泣きどころ(1975年、松竹)
◯喜劇 百点満点(1976年、東宝)
◯日本の仁義(1977年、東映)
◯ダイナマイトどんどん(1978年、大映)
◯翼は心につけて(1978年、共同映画全国系列会議)
◯ハワイアンラブ 危険なハネムーン(1978年、日活)
◯けっこう源さん(1978年、天理教道友社)
◯復讐するは我にあり(1979年、松竹)
◯北斎漫画(1981年、松竹)
◯嵐を呼ぶ男(1983年、東宝)
◯国士無双(1986年、サンレニティ)
◯親鸞 白い道(1987年、松竹)
◯星の牧場(1987年、東映クラシックフィルム)
◯あいつ(1991年、アルゴプロジェクト)
◯超能力者 未知への旅人(1994年)
◯写楽(1995年、西友)
◯瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997年、松竹)
テレビドラマ
▲◎わが輩ははなばな氏(1956年〜1959年、ラジオ東京テレビ)※本物のフランキー堺一家が生放送で出演
▲◎★私は貝になりたい(1958年、ラジオ東京テレビ)
▲足にさわった女(1960年、日本テレビ)
▲テレビ指定席 / 流人天国(1961年、NHK総合)
▲◎こんばんは21世紀(1964年、東京12チャンネル)
▲大河ドラマ(NHK総合)
太閤記(1965年)
おんな太閤記(1981年)
太平記(1991年)
▲こりゃまた結構(1967年、TBS)
▲◎売らいでか!(1969年、よみうりテレビ)
▲ザ・ガードマン 第293話(1970年、TBS)
▲江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎 第10話(1970年、東京12チャンネル/東映)
▲◎速歩自源流(1969年、NHK総合)
▲男は度胸(1970年、NHK総合)
▲大忠臣蔵(1971年、NET)
▲人形佐七捕物帳 第2話(1971年、NET)
▲東芝日曜劇場(TBS)
風船のあがる時(1972年、HBC)
あぁ!新世界(1975年2月2日、HBC)
時計(1977年、HBC)
馬逃げた!(1979年、HBC)
▲銀座わが町(1973年、NHK総合)
▲顔で笑って(1973年、TBS)
▲落日燃ゆ(1976年、NET)
▲遠山の金さん 第49話(1976年、NET/東映)
▲水戸黄門 第7部 第33話(1977年1月3日、TBS/C.A.L)
▲夜明けの刑事 第111話(最終回)(1977年、TBS/大映テレビ室)
▲浮浪雲(1978年、テレビ朝日/石原プロモーション)
▲銀河テレビ小説(NHK総合)
春の珍客(1979年)
◎現代夫婦考(1981年)
▲連続テレビ小説(NHK総合)
マー姉ちゃん(1979年4月〜9月)
▼鮎のうた(1979年10月〜1980年4月)
▲◎あ・うん(1980年〜1981年、NHK総合)
▲将軍 SHOGUN(1980年、アメリカ・NBC)
▲桃太郎侍 第191話(1980年、日本テレビ/東映)
▲◎赤かぶ検事奮戦記シリーズ(1980年〜1992年、朝日放送/松竹)
▲必殺シリーズ(朝日放送・松竹)
特別編必殺仕事人 恐怖の大仕事 水戸・尾張・紀伊(1981年)
必殺シリーズ10周年記念スペシャル 仕事人大集合(1982年)
▲▼ザ・ハングマン4(1984年、朝日放送/松竹芸能)
▲ポニーテールはふり向かない(1985年、TBS/大映テレビ室)
▲◎土曜ワイド劇場 養子探偵団(1986年、朝日放送/松竹)
▲山頭火 〜何んでこんなに淋しい風ふく〜(1989年、NHK総合)
▲鬼平犯科帳 第1シリーズ 第16話(1989年、フジテレビ/松竹)
▲びいどろで候〜長崎屋夢日記(1990年、NHK総合)
▲獄門島(1990年、フジテレビ)
▲本多の狐-徳川家康の秘宝(1992年、朝日放送)
▲特選!黒のサスペンス「視線・証拠無し」(1993年10月4日、関西テレビ)
▲坊っちゃん -人生損ばかりのあなたに捧ぐ-(1994年1月1日、NHK総合)
▲雪(1994年、NHK総合「正月ドラマ」)
▲横溝正史シリーズ・女怪(1996年、フジテレビ)
▲土曜ドラマ/ぜいたくな家族(1996年、NHK総合)
テレビアニメ
▼まんが日本絵巻(1977年〜1978年、TBS)
劇場アニメ
◆ちびっ子レミと名犬カピ(1970年、東映動画)
バラエティ
▽コメディフランキーズ(1963年〜1964年、TBS)
▽夢をあなたに(1966年〜1967年、NHK総合)
▽スポットライト(1972年〜1973年、NHK総合)
▽▼霊感ヤマカン第六感(1977年〜1984年、朝日放送)
▽▼お好み演芸会(1989年〜1990年、NHK総合)
ラジオ
◆フランキーのさわやかジョッキー(文化放送)
◆フランキー堺のフランキー夜話(ニッポン放送)
CM
☆エースコック「駅前ラーメン」
☆佐藤製薬「ハイトス12」(1965年)
☆武田薬品工業「タケダ胃腸薬」(1977年〜1985年)
☆ヤンマー「ヤンマー農機具」
☆コクヨ「コクヨロングランデスク」
広告
☆柳屋本店 「柳屋ヘアトニック」
著書
内村直也編「現代テレビ講座 第2巻 テレビタレント篇」ダヴィッド社、1960年
「フランキー太陽伝」報知新聞社、1969年
「(フランキー堺の)男性諸君―独断と偏見に満ちあふれたお喋り集」ルック社、1975年
「写楽道行」(SF時代小説)
「芸夢感覚―フランキー人生劇場」
「写楽を探せ―謎の天才絵師の正体」
「俳句のゆたかさ―森澄雄対談集」
「(著名人が語る〈学びのヒント〉第5巻)創るよろこび」
●不思議な縁
これは個人的な想いなのですが、フランキー堺さんと我が郷里である徳島県には少なからず縁があると感じています。
先ずは、フランキー堺さんが徳島県麻植郡鴨島町(現在の吉野川市鴨島町)出身の「曾我廼家五九郎」という喜劇俳優の甥にあたるという点です。
「曾我廼家五九郎」は、私の母校でもある徳島市内の中学校を卒業後に東京に上京し、明治・大正時代には大阪で川上音二郎等が所属する喜劇一座に入り、独立して座長を勤め大阪から再び東京へと上京した後に、麻生豊の漫画「ノンキナトウサン」を映画化した際に主役を演じ一世を風靡しました。
その喜劇俳優の血がフランキー堺さんにも後継者として流れていると言われています。
しかし、今回ネットを使って調査してみたのですが、曾我廼家五九郎(本名は武智故平)さんとフランキー堺(本名は堺正俊)さんの家系図が繋がらないというか詳細が分からないので何とも言えませんが、曾我廼家五九郎さんには御兄弟は弟さんしか居らず、フランキー堺さんの御両親の詳細も分からずですので、少なくとも私見では曾我廼家五九郎さんのお母様の御親戚としての関係になるのではと考えられます。
まぁ、明治・大正時代と言えど鹿児島県と徳島県のご結婚がなかった訳ではなく、無いとは言い難い親戚だと思われます。
更に、前途した様にフランキー堺さんは「東洲斎写楽」の熱心な研究者であった点です。
「東洲斎写楽」は、謎多き絵師ですが阿波藩(現在の徳島県)のお抱え絵師だった歴史もあり、「写楽」と言えば徳島県を抜きにしては語れません。
また、お仕事でも「邪馬台国阿波説」が話題になった際には、剣山などをレポートするために徳島県内を訪れた記録がありますし、1995年3月には徳島県立21世紀館イベントホール(徳島県文化の森総合公園内)で
「東洲斎写楽と役者絵の世界」と題して講演を行った事も記録されています。
●あとがき
私はフランキー堺さんという役者さんをちゃんと認識したのは、テレビドラマの「赤かぶ検事奮戦記」のリアルタイム視聴でした。
それまでにも「モスラ」や大河ドラマや朝ドラなどにご出演しているのを拝見した事があったのだと思いますが、格好良いヒーローでもなく明白にコミカルな三枚目でもなく、印象には残るのですが芝居が余りにも自然体過ぎて誇張が見当たらなく正直埋もれていました。
しかし、いざ主役となると眼を引くことだらけで、更にお名前が「フランキー」ですから、ハーフ?とインターネットも乏しき時代もあって分からない事だらけでした。
そんな中でフランキー堺さんを調べる内に「幕末太陽傳」を観て驚きました。
そこにはあの「赤かぶ検事」であるフランキー堺という役者の若かりし頃の生き生きとした芝居がありました。
勿論、私が生まれる前の映画でしたからレンタルビデオで借りて鑑賞したのですが、三枚目で自由奔放、洒落が効いているのに嫌味の無い芝居に、何故か惹きつけられました。
「赤かぶ検事奮戦記」の人情味のある落ち着いた芝居とは違い、コメディアンを彷彿とさせる芝居がそこにはありました。
そして、そんなフランキー堺さんと私がお仕事をご一緒出来るとは想ってもいませんでしたから、明るいお顔を拝見した時には「赤かぶ検事奮戦記」の「柊検事」が思い出されて本当に嬉しかったのを覚えています。
多分、私はその事が本当に嬉しかったのでしょう。
余り多くを覚えていません。
しかし、没後30年を迎える前にフランキー堺さんの事を語れたのは本当に嬉しい限りです。




