85、堂宇③
きざはしのテラスで切り株に腰を下ろし待つうち、係員らしき者がコップを盆に乗せて持って来た。
「どうぞ」
「ふむ」
各々に配られたコップ、ご先祖様は木師に差し出された分を、いきなり奪い取った。
アッケに取られ見守る皆の前で、ググッと一気に飲んでしまった。
何の変哲もない水の味がした。
「……困った人だ」
木師は動ずる気配もなく、ご先祖様の分を手に取った。どうやら、これに毒が入っているんじゃないらしい。ご先祖様は代わりに自分が毒を飲んでも、安楽死など中止にさせたかったのだが……。
山羊先生が『違います』というように、小さく首を振っていた。
「さて……」
木師は皆を促し、先に立って堂宇に入った。薄暗い回廊を巡ると、内部がプラネタリウムのようになった丸いドーム状の空間があった。真ん中付近に、シンプルなイスが四脚用意されていた。イスはクルクル回り、各々が好きな方向を向いて良いらしい。
イスは意外にも座り心地が良く、ゆったりしていた。
床とドーム状空間の壁面の境が曖昧だった。その部分からゆっくりと、しかし速やかに滑らかに暗闇が広がり、やがて真っ暗闇となった。
突然、目の覚めるような緑なす大地が広がり現れた。まじかに見える低い山々、緑の稜線、どこまでも高く青い無限の蒼穹。いきなり、どこからか音楽が湧き出てきた。
ベートーヴェンの『田園』交響曲だった。
一、早春から
「おお……」
「これは……」
息をのむ光景が眼前に広がっていた。どこまでも青い空、緑なす大地、見渡す限りの新緑の野、山々がはるか彼方まで続いていた。
四人は声も無く、緑の絨毯のただ中に居た。ご先祖様は、ただただ呆然と口を開けたままだった。どこからか流れてくる曲は、聞き知ったものだ。懐かしく心地よい、爽やかな風になぶられているようで、気分が軽やかに浮き立つようだ。軽快で、麗しく、滑らかに映像と曲が一体となって流れてくる。
いつの間にか緑の中に、薄赤い点がポツリポツリと見えてきた。薄赤い点は、たちまち愛らしい紅紫色の花となった。
「カタクリだ……」
「ふむ……」
見ると別のところにも、白く咲く清楚な花があった。
「一輪草だ……」
のどかな丘陵に、穏やかな陽光は降り注いでいる。木々が芽吹き、今まさに様々な色とりどりの花が咲き競い、春を謳歌していた。
『楽園』とは、このような所か……とご先祖様は思った。




