最終回、堂宇④
今回で最終回です。
二、初夏
さらさらと小川が流れていた。草萌える土手をあがると、見渡す限りのピンクのレンゲ草畑が広がっていた。レンゲ草畑には、蝶が舞い、蜂が踊っている。やがて、目が痛くなるような真っ黄色の菜の花畑が現れた。頭の中まで真っ黄色になるような菜の花畑が、えんえんと続いている。
一転すると、小高い丘の中腹に居た。丘は満開のサクラで覆われ、はらはらと白い花びらが軽やかに舞い落ちている。一陣の無情の風が花びらを吹き飛ばした。夢のようなあでやかな花吹雪が舞った。
「ああ……」
「きれい……」
「この世のものとは思われない……」
雨が降っていた。雨上がりの田んぼには、イネが青々と成長している。虹が出ていた。霞をまとわりつかせた山ひだを俯瞰していた。次々と、眼下に絶景が展開している。
めくるめく画面は展開し、別方面では、もう違う景色が刻々と進行されていた。
ご先祖様は、堂宇に展開された全方向の壮大なパノラマに悪寒さえ覚えた。
堂宇の映像は、兎のところで見た映像の比ではない。水辺にいれば水中に引きずり込まれるような思いがするし、雨が降れば実際に雨に濡れるような気がする。野も山もにおい立つように、色とりどりの鮮やかな色彩が展開していた。
さわさわと揺れる新緑は、少しづつ陰影を濃くして行く。草原に出れば、交響曲が風のようだ。渓谷を望めば、足がすくむ……。
三、小川の流れ
手が切れそうな、冷たく透き通った流れがあった。
さらさらと、小さな清冽な流れが森をはしる。やがて岩をはみ、なだらかな岩肌を白い飛沫となって駆け下る。青黒く苔むす森を、岩を裂いて清流は下る。両側を垂直に削り立った巨大な岸壁が現れた。
地の底は暗いみどりの瀞。はるかな上空に小さな青空が見える。
流れは様々な表情を走馬灯のように繰り広げながら、駆け下り、岩を舐め、瀑布となり、とうとうと流れる。
山から里へ、急流から穏やかな流れに、流れは田畑を潤し人家を潤し、大きく蛇行しながら流れる。
やがて、茫漠たる大海へと着いた。
四、雷
もくもくと、入道雲が湧き出た。たちまち人家を覆い、田畑を、野を、山を、谷を、河原を覆い、全天を覆った。不気味な地鳴りのような前触れが、おどろおどろしく威嚇を繰り返していた。
「雲が……」
「不吉な……」
やがて、全天が暗雲に覆われてしまった。真っ黒な暗雲が、怒りをはらんで激しく逆巻き出した。いまにも、ご先祖様たちに襲いかかってくるかのようだ。
突如、天空を切り裂く目も眩む閃光がはしり、バリバリバリッと天空を揺るがし、ドドドーッと轟音を発し大地を揺るがした。
「ひー!」
「あわっ!」
思わず悲鳴が上がった。
凄まじい衝撃だ。脳天に、雷の直撃を受けたかのような衝撃だった。まさに、心胆を寒からしめる凄まじい天の怒り、恫喝だった。なおもドドド……ゴロゴロゴロと凄まじい恫喝と威嚇が繰り返されている。
おそるおそる様子を窺うと、暗雲が少しづつ後退していた。
「……」
『痛い!』と思ったら、兎が太ももを布地ごしに肉までつかんでいた。反対側の太ももも、木師の手につかまれていた。木師は向こうを向いている。手だけが、ご先祖様の太ももにあった。
ようやく暗雲は遠のき、雲の切れ間から一条の光明がじょうじょうと連なる山肌の樹海を照らしていた。
ご先祖様は、太ももをつかんだ木師の手が、静かに弛緩して行くのに気付いた。
ご先祖様は覚った。『あの雷鳴の時、木師は逝かれたのだ……』と。
ご先祖様は、今はもう何も言えず、震える手で木師の手をそっと押し包んだ。
五、秋から冬へ
水平線を真っ赤にそめて夕日が沈んでゆく。荘厳な落日があった。
連なる山なみを、野を、里を、大地を赤く、黄色に染めて秋が行く。巨大なイチョウが、はらはらと黄色い葉を風に散らしていた。桂並木の葉が、風に吹き飛んでいた。
渓流の紅葉は、鮮やかに赤く染まって風に揺れている。
季節が移ろうように、ご先祖様の手の中がゆっくりと熱を失って行った。
ご先祖様は、どうしようもなく目頭が熱くなった。ご先祖様は自分の熱が移れとばかり、木師の手を強く押し包んだ。包んだ手に、はらはらと涙が滴り落ちていた。
「ご先祖様……」
そっと添えられた手で我に返ると、周りは乳灰色に染まっていた。
余韻が続いている。雪がしんしんと降り積もっていた。
ご先祖様は、天空を振り仰いだ。遥かな高みから、雪があとからあとから舞い落ちていた。
完




