78、兎⑦
ここには、恋愛のプロセスとかルールみたいなものは無さそうだ。ツジツマを合わせようとするのは、ドダイ無理だとご先祖様は覚った。脈絡なんて無くて良い。
何も考えずに行動することだ。と、思ったのだ。
ここの新人たちが、甘ったるい恋の語らいをするところなど見たことも無いし、想像も出来ない。あるとすれば、やっぱり『種付け』なんだろう。それとも、人工授精かもしれない。『情緒が欠落している』と、ご先祖様は新人たちの情緒の無さを嘆かわしく思った。
「怒っているの」
「いや」
「恐い顔してる」
兎はそんなことを言いながらも、まんざらでもなさそうだ。ご先祖様は兎を抱いて、キッチンのドアを開けた。すると、そこは小さな中庭だった。渡り廊下のようなものがあり、物干し場らしくもある。取りあえずドアがあったので開けてみると、物置だった。
いったい、この家の構造はどうなっているんだ。『大丈夫なんだろうか』と、ご先祖様はこの先が心配になった。
「あっち」
兎が、違うドアを指している。あんまり、ムーディでは無い。子供を寝かしつける父親のようだ。
ドアを開けると、まさしくベットルームだ。可愛らしいベットがある。その他には、イスとも机ともつかぬ物がある。ご先祖様はポンと兎を放り投げて、そして自身もベットに身を横たえた。二人は向かい合って横臥し、取りあえず何とかそれらしい格好になった。ご先祖様は、兎の髪を優しく撫でた。
「ふふふふ……」
何を思ったのか、ご先祖様は突然笑い出した。
「なに?」
「いや、ね、兎が案外気がきいていると思ってさ。正直、俺には兎が情緒とか、男と女の微妙なアヤとか、そんなことは理解できないんじゃないかと思ってたんだ。いや、これでなかなか気がきいている。そしたら、妙なことを思い出した」
「へ~、それで何を思い出したの」
「うん」
ご先祖様は、天井を見た。
「親鸞を知っているかな。最澄、源信、法然、そして親鸞とその奈良から室町時代を代表する坊主、僧侶だな」
「どこかで、聞いた事があるわ」
「そう、その親鸞だ。親鸞は鎌倉時代の坊主で、浄土真宗を起こした人だ。法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、親鸞は法然の弟子なんだ。
そんなことはどうでも良い。その親鸞が二十九歳のみぎり、何に迷ったのか京都の六角堂に参篭し修行を始めた。六角堂は、仏教にゆかりの深い聖徳太子の建立とされ、救世観音がマツられている。親鸞はその六角堂に百日参篭しようと目論んでいたらしい。その九十五日目の払暁、救世観音からお告げがあったんだ。
それは『お前が宿報により女犯の罪を犯すときは、私が妻になって犯されよう。一生の間、お前の身の飾りとなり、臨終には極楽へ導こう』というものなんだ。
つまり、ね、親鸞が自分の情欲に負けて女の人が欲しくなり、実際にヤッてしまったとしよう。その時はくだんの救世観音が女となって、それも飛び切りの美女になって、お相手をしてあげようというのだ。そして、文字どうり親鸞のまわりを生涯華やかに彩り、飾り立ててあげよう。そして、親鸞が死ぬ際は手を取って極楽へ導いてあげよう、というものなんだ。何という気の利いたことを言う観音様なんだろう。ねっ、そう思わないかい」
「……」
兎はいつしか、うつむいていた。小さな肩が、小刻みに揺れている。笑っているらしい。
「ほほほほほ……、また、ご先祖様は妙なことを思い出したものね。ほっ、すると、私は観音様……、ご先祖様はムシのいい親鸞様」
「ふふ、そんなところだ。ところで、観音様、この部屋は明る過ぎやしないかい」
すると、兎は枕元から小さなリモコンを取り出した。
「こんなところかしら」
「いや、もう少し暗い方がいい」
室内が、ボンヤリと暗くなった。




