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人の行方  作者: 森三治郎
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73/86

73、兎②


ご先祖様がここに目覚めてから、いつの間にか半年近くの月日が流れていた。

たまらなく長く、熱く、苦悶(くもん)懊悩(おうのう)した夏も過ぎ去り、今はコスモスが鮮やかに咲き競い、土手には毒々しいほど真っ赤なヒガンバナも咲いていた。空気そのものが澄み、天高く馬肥える秋、実りの秋となった。

ご先祖様の自虐的とのいえる苦行の勤労は、豊かな実りとなって結実した。ヤマさんと一緒に、バタバタと米の収穫を終わらせると


「ご先祖様、良くやりました。上出来とは行かなかったけど、合格点をあげます」


と、誉めてくれた。

一段落がつき、二人だけのささやかな収穫を祝っていた時


「これが、ご先祖様の取り分です」


と、ヤマさんが手形のような物をくれた。

ご先祖様は、やっと、ほっと一息つけた。これで世話になりっ放しの木師に、少しは恩返しが出来ると思った。自分の自由になる金を、自分で稼げたことも素直にうれしかった。

それにしても、蘇生してからのこれまでのことを思い返してみると、感慨深いものがある。

よく何とかなったと思う。よく無事に生きて来られたと、思わずにはいられない。

これで、ようやく何とか自信もついた。自分の仕事が形になり実にもなったので、来期に向けての展望も開ける気がしてきた。

新たな課題に取り組むことも、検討してみようかと思った。

今は、少々の安堵と虚脱感の中の平穏な日々が続いていた。



そんなオリを見透かしてか、木師がご先祖様に一つの課題を持ち込んできた。


「ふむ、ここの新人の思考の中核を成しているものに、老荘思想がある。老子とか荘子のことだ。まず、それを理解して欲しい」


木師はそんなことを言って、何冊かの本を置いていった。

表題は『老子(ろうし)の説明』とか『荘子(そうし)の解釈』とかなっている。ご先祖様は、まず老子から開いてみた。

老子を読み進むうち、驚いたことにイチイチ思い当たることがある。『無為自然』とは、ここの暮らし方のことをいうのでは、と思えるほどだ。

ここには、権力闘争もないし、スポーツなどの力自慢競争もない。美醜をランク付けするコンテストもないし、セックスも、美食も、時には生存欲さえあるかどうか疑わしい。

要するにここには、ギトギトした人間の欲望が欠落している。ケバケバした人工の装飾品の類も欠落しているようだ。おそらく、ここでは芸術的という言葉は死語なのではないか。センチメンタルなんて言葉もないんじゃないか。

そういえば、ここではお祭りとか、イベントとかも全然なかった。髪飾りとか、首飾り、イアリング、指輪などをしている人を見たことがない。

『旧世界の汚濁がないのは、いいのだが……』

ご先祖様は、少しばかり旧世界の汚濁が懐かしく思い返された。

また、老子の思想に『小国寡民(かみん)』というものがある。それこそ。ここのことをいっているのではないか、とも思える。一般に大きな国ほど、人口の多いほど制度は煩雑になり、問題も多く統治は難しくなる。小さな国でしかも少人数なら、理想的な国造りも可能なんではないか。なお、さらにここでは人間そのもの、人間の欲望から身体つきまでが、つつましく小さいのだ。

こここそ、老子が目指していた世界なのではなかろうか。

ご先祖様は、老子を感心しながら読み進み、荘子へと入って行った。



エビネ


挿絵(By みてみん)


エビネです。(根がエビのように連なることから、エビネ)

園芸物もありますが、自然の中で見かけると、また、感慨深いものがあります。

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