53、宗教とは②
「宗教は、神を崇め、聖者を崇め、自分たちの都合の良いように勝手に解釈し、利用し神を頂点とした堅牢な序列社会を作ってしまった。
そこに、人類の過誤の第一歩がある。
ふむ、宗教の一番悪い点は、信じろということだ。つまり、疑っちゃイケナイんだ。
考えるなということだ。その方が、宗教にとって都合がいい。しかし、それが人間社会の歪みの原因になっている。いや、精神の退廃の原因となっていたかもしれない。
疑問こそ、人類の叡智のエネルギーであるはずだ。疑問を失うことは、進歩を失うことだ。宗教の正体とは、自分の主義主張を押し付けるエゴだ。ナワバリ争いを繰り返すただのエゴに過ぎない」
木師は、宗教こそ人類の過誤の元凶のような言い方をした。
しかし、ご先祖様は、以前木師の部屋で『マタイ受難曲』を聞いたのを思い出した。
「いや、木師はそんなこと言ってるけど、この前バッハの宗教音楽を聴いていたじゃないか」
「ふむ、確かに……。しかし、あれは芸術として鑑賞してたんだ。これは微妙なところなんだが、ワシはイエスを敬してはいるが拝してはいない。ワシは、宗教音楽として聴いていたわけじゃない。一つの芸術として聴いていたのだ」
「いや、それはそれとして、宗教はそんなに害悪があるのだろうか……。人間の心に救済、よりどころとして宗教はあるのではないのか……。人間はか弱い。誘惑にも弱い脆弱な生き物だ。何かに縋りつかねば、生きて行けない。
その脆弱な精神を、支えているのが宗教じゃないのか」
「ふむ、それはご先祖様の買いかぶりだ。宗教なんかなくとも、人は生きて行ける。
神とか宗教に縋りつきたくなる社会が、そもそも良くないんだ。人間窮すれば、ワラをも縋りつきたくなるものだ。多くの人間は過酷な厳しい現実を直視するより、嘘でもいいから楽し気な夢を見たいと思うらしい。それが、過酷な社会ほど宗教が繁盛する原理となっているのだ。
本来人間は宗教の支えなど必要ないんだ。強い自主自立の精神を育むべきなのだ。
そのような教育制度なり、システムを作るべきだった。それこそが、精神進化の道筋であったはずだ。宗教なんかに、人格形成のたとえ一端でも任せてはイケナかったのだ。
殆どの宗教は、スリ込み現象で成り立っている。鳥に顕著にみられる卵から孵った最初にみたものを親と思うアレだ。だから宗教も幼い精神が自主自立する前に、急いでスリ込みをやってしまう。物心がつかないうちに、洗脳してしまうのだ。要は教義の押し売りをしているのだ。
そして、それが何をもたらすかというと、他者との軋轢だ。そして、今言ったようなナワバリ争いだ。
そして、強い宗教ほど他者にも厳しい。その攻撃的性格は凄まじい程の凶悪さを秘めているのだ。
ふむ、宗教の絡む戦争はいつも凄惨な事態を招く。宗教は強い独善性を持つがゆえに、他者の逡巡、他者との比較検討を許さない。
それらは全て異端とし無知蒙昧と決めつけ、その存在を許さない。それは情状酌量の斟酌も無く、戦闘員と非戦闘員の区別もない。老若男女も構わない。宗教は、冷酷無慈悲な残虐行為も平然と実行させる狂気をつくり出すのだ。しかも、ずるいことに聖職者どもは、自分たちの手を汚さずに民衆や軍人らにそれらの汚い仕事を任せる。
宗教は、戦争にも積極的に加担してきた。
ふむ、宗教とは、神と置き換えても良い、人間の創り出した最悪の概念だ」
木師の言葉は、辛辣だった。
ご先祖様は、いつもながらに自分が容認なり、肯としてきたものが、次々と打ち砕かれることを予感した。
こうなにもかも否定されたんでは、イジケてグレてしまいそうな気もしてくる。




