52、宗教とは①
タイトルを変えました。『人の行方』です。
ジャンルを変えました。文芸です。
木師の部屋の開け放された窓からは、丸く刈り込まれたツツジが見える。
いつも間に、赤、白、ビンクと色とりどりの鮮やかな花を咲かせていた。
木師はその庭を眺めながら、くつろいだ表情でお茶を飲んでいた。犬は、体よく部署に戻されていた。山羊先生も、用事で帰っていた。
兎だけが、すましてご先祖様の隣に座ってお茶を飲んでいた。
「俺は、ここで生きていく価値があるのか……」
ご先祖様は、いまだに拘泥を引きずっているようだった。
「ふむ、ご先祖様は、自分がここで生きて行く価値が無いと思うのかな」
木師は、のぞき込むように尋ねた。
「俺は、とうてい、その……新しい精神種族にはなれないみたいだ」
「何だ、そんなことか。ふむ、……ワシはご先祖様に『仏陀』のようになってもらいたいと、思っているのに」
「仏陀って……、仏さま?」
「ふむ」
「何だって、木師は……」
ご先祖様は呆れた。
「縁起でもないことばかり、言うんだなあ。ご先祖様とか仏様とか……、まるで、死んだ人間みたいだ」
ご先祖様は、木師がなんか意外に無神経な人間のように思われた。
「縁起が悪いというんなら、『弥勒』にでもしようか。五十六億四千万年後に、人類を救うとされているお方だ」
「また、そんな~、大それたことを~。何て、おそれ多い。俺は、ただの人間だ」
木師は自分をヘンなものに祭り上げようとしているのか、とご先祖様は勘ぐった。
「ふむ、ワシはご先祖様を、神様とか仏様みたいな胡散臭いものにしたてあげようとしているわけじゃない。そもそも、仏陀とは覚醒した人とか自覚した人とかの意味だ。つまり、悟った人のことだ。ふむ、ワシはご先祖様を教祖にして、新しい宗教を起こすつもりなど毛頭ない。
仏陀となった釈迦、つまりゴータマ・シッダールタにしたって、教団を作ったが宗教という意識は無かった。むしろ、その教えは哲学っぽい。
彼は導師だ。哲学者といった方が良いかもしれない。彼を聖者として祭り上げ、担ぎ上げた者こそ宗教者だ。
ふむ、キリスト教だってイエスが作ったわけじゃない。キリスト教は、パウロが作ったものだ。また、マルクスが現実の共産主義社会を作ったわけではない。マルクスなんか、生きていた間なにもしてないただの役立たずだった。ふむ」
「マルクスが?」
ご先祖様は、何か場違いな名前が出てきたと思った。
「ふむ、マルクスも宗教も似たようなものだ。その利用され方なんか、そっくりじゃないか。彼ら、釈迦、イエス、マルクス、ソクラテスなどの諸々の人間を聖者に祭り上げた者こそ、ずる賢く立ち回った性悪な人間だ。聖人と呼ばれた人間を越えてこそ、人類の進歩があるはずなのに……。奴らは、体よく聖者として人間の頭上に押し戴いて拝みだした。生前には蔑ろにしていたくせに、ほんとに身勝手で恥知らずな奴らだ。それで自分らといえば、当然聖者に準ずる者となる。聖者のほとんどは、、非業の死をとげてしまっている。実際、拝跪をうけるのは奴らだ。それらは、一方で王侯貴族を肯定することに繋がり、他方では賤民を肯定することになる。
つまり、人間を選別した。階級制度のバックボーンともなっている。
やがて、それらを守るための武力も生まれた。武力はやがて、力こそ正義と嘯く覇者となってしまう。
ふむ、ワシが言いたいのは、聖者を担ぎ出してはイケナイということだ。彼らあお踏み越えて、人類は精神の進化をすべきだったんだ。
彼らを、総て『道標』とすべきだったんだ」
「道標……。聖者ではなく、道標」
「そうだ道標だ。と、いうことは、宗教ではなく哲学ということになる」
「哲学……か」
前に、人類を断罪することがこれを書き始めた動機といいました。
では、『人類はどうすべき』か、というと、
人類に必要なのは『叡智』だと思うのです。
そして、人間のアイデンティティ、精神的支柱(これがないと人間は弱い)は、宗教に代わり、哲学が相応しいと思います。
しかし、現在の哲学の立ち位置は、なんの役にも立たない学問というものです。(今も就職活動では最も不利といわれています)
かつては、全学問の長といわれていたのですがね。
私は、人類を啓蒙したいと思っています。
一緒に考えてくれる同志を、募ります。




