48、犬②
ご先祖様はしばらく沈黙の後、クルリと背を向け窓の外を見た。それから、部屋の右端まで歩き、反転して左端まで歩いて犬を見た。
「ん、まあ……良かったら掛けないか」
それからご先祖様は自分の今、現在の心境、状況を丁寧に説明した。そして二十世紀人の罪業は認めるが、自分は『人肉喰い』の現実はどうしても許せない。どうあっても、許容出来ない思想であること。その結果として、まもなく自分は餓死するかもしれないことを説明した。
「……」
犬は言葉が無かった。犬は、改めて刮目してご先祖様を見た。逆光を背に静かに佇むご先祖様は、清々しく見える。
『生きていることこそ、業だ』と誰かが言っていた。ご先祖様が食うことを諦めた時、生きることを諦めた時、人間の奥深いところまで巣くっている業というものが浄化されつつあるのかもしれない。
……と、犬はご先祖様のうちに清澄さをみた。そういえば、まるで後光が射しているようではないか。
それにひき換え、自分の悩みは何と小さなものか……と、犬は思った。自分は我が身一つを汲々として、悩み苦しんでいる。ご先祖様は、旧人類の罪を全部背負い込んで苦悩しているのだ。それも、自分の死を真正面から見つめている。
すでに、自我の妄執を超越した潔さがある。ご先祖様の苦悩に比べたら、我が身の苦悩などまったく取るに足らないものだ。
そのことを悟った時点で、犬の悩みは霧消していた。
「何か、僕に出来ることありますか」
犬は今までの復讐心をいとも簡単に振り捨て、自分がご先祖様に何がしか出来ることを望んだ。
「いや、犬は抗議に来たのではないか」
「そんなことは、どうでも良いのです。僕に何か出来ることがあったら、おっしゃってください。僕は間違っていました。ご先祖様は、大変な苦悩を背負っていらしたのですね。今、やっと解かりました。僕は、狭い了見で考えていました。許してください」
「いや、謝るのは俺の方だ」
ご先祖様はおかしな成り行きに、狼狽した。
「いいえ、謝るのは僕の方です。ご先祖様は、ここにとって重要な方なのです。だから、蘇生されたのだと思います。ご先祖様には、重大な使命があるのだと思います。だから、その分だけ苦悩が大きいんだと思います」
犬は、いつしかご主人を仰ぎ見るような態度となっていた。
「そんなに、買いかぶられても困るんだが。ただ……」
「ただ?」
「いや、ちょっと川が見たい」
「川ですか?そんな、たいした川はないですが……。はい、案内しましょう」
犬は、さっそく腰を浮かせた。ここの新人たちの共通の特徴は、やることが速いことだ。犬も例外ではなかった。いささか短絡的な、直情怪行の癖があるようにもご先祖様は思えた。




