47、犬①
ここに、ご先祖様の他にもう一人深刻な悩みを抱えた人間がいた。
オマワリの犬である。人の幸、不幸は時として奇妙な偏りをみせる事がある。順風満帆を、絵にかいたような幸福が続くこともある。かと思うと、これでもかこれでもかと連続して凶事が重なる場合もある。
けっして、幸、不幸は均等にばらまかれているわけではないらしい。
犬は、その不幸の偏りのただ中にいた。
犬は、気持ちの切り替えの異常な早さを得意技とする新人らしからぬ、陰々滅滅なドロ沼の拘泥にもがき苦しんでいた。
『何だって、僕はあの時泣き出してしまったんだろう』もっと、警官として気持ちをしっかりと持てなかったのか……。二度目の時も、何で『ごめんなさい』なんて言ってしまったのか……。
犬は、埒のあかない繰り言を繰り返していた。
それにしても、この理不尽、不条理は全部あの旧人、ご先祖様のせいだ。もともとの非は、何といってもご先祖様にあるのだ。何でこの僕が、苦しまなきゃならないんだ。
「う~~」
と呻いて、犬はようやく「よし!」と意を決した。
もともと、ご先祖様が悪いのだ。ここはどうしてもご先祖様と対決しなければ、この呪縛は解からはしない。対決を避けていては、僕は未来永劫浮かばれない。そん何では、生きて行く価値などない。死んだ方がマシだ。それならば、ひょっとして捻り潰されるかもしれないが、ご先祖様と対決してみよう。
なにしろ、恐ろしく凶暴な旧人なのだ。どんな事態になるか、見当がつかない。
だが、死ぬ気でやれば、もしかして、ひょっとして何とかなるかもしれない。ダメでもともとだ。少なくとも、今よりはマシな展望が開けるかもしれない。
犬は悲壮な決意を固めた。
逡巡を脱した犬は、行動を開始した。犬はあれこれと思いつく限りの周到な準備をして、旧人の居る木師の家に向かった。
コンコンと、ためらいがちにご先祖様のドアが叩かれた。
「はい。どうぞ」
ご先祖様の返事に応じて、ドアがゆっくりと開られた。……と思ったら、素早く犬が入ってきて、ソロリと後ろ手でドアを閉めた。
「ん、犬か。何か用かな」
ご先祖様は訝った。何か様子がおかしい。オマワリのくせに挙動不審だ。
「今日は、……ご先祖様に……抗議があります」
犬は、ヘンにシャチホコばっている。言動がぎこちない。
「あっ、いや、そうか……。いや、犬には悪いことをした。謝る。かんべんしてくれ」
ご先祖様はそう言って、深く頭を下げた。ご先祖様の謝罪は、軽い会釈程度のものでなく、かかとを揃え、姿勢を正し、キチンとした誠意のこもった謝罪だった。
犬は面食らった。『こんなはずじゃない』いきなりの恫喝と、うむを言わせぬ暴力に備えて、懐中には伸縮自在の警棒を忍ばせてある。その他にも、催涙スプレー、煙幕弾、そして万が一の奥の手に大きな音が出るピストルも用意した。
それなのに……それなのに、ご先祖様はあっさりと謝罪してしまった。
『こんなの困る』と犬は思った。ご先祖様に襲ってきてもらわねば、どう対応して良いか分からない。これじゃ、何のために何回もシュミュレーションしたのか……。
犬は困惑してしまった。
一方、ご先祖様は犬の困惑を不足とみた。
「いや、自分から理不尽な事しといて、抗議されたら謝るでは、あんたの方でも納得出来ないだろう。うん、だったら、犬の好きなようにしてくれ。気のすむようにしてくれ。叩くなり、引っ掻くなり、噛みつくなり好きにしていい」
「そんな……」
犬は当惑した。
「ん、何なら背を低くして……しゃがもうか」
「いや、そんな……ちょっと待ってください」
犬は、マジマジとご先祖様を見た。『何かが違う』やけに従順だ。気味が悪いほど物腰がやわらかで、人当たりが良い。少し痩せたような……いや、大分痩せたような気がする。
「ご先祖様は、断食でもなさっているんですか」
犬は、自分でも思いもよらなかった質問をした。
「……いや、ちょっと違う」
今度は、ご先祖様が当惑した。




