46、兎
木師の懸念は、現実になってしまった。
ご先祖様は、会食以来プッツリと物を食べなくなった。ぜったいの禁忌を知らずに犯していた、人肉を喰っていたというショックが大きく、山羊先生から伝えられた旧人の罪業の深さも重い罪の意識となって食物を受け付けなくなった。
それでも木師たちは、一時的なものだろうとタカをくくっていた。
しかし、二日たち三日たっても、ご先祖様は食事をとろうとしない。ご先祖様はみるみる瘦せ細り、一種茫洋としてた風貌は目がギョロリと大きく、頬骨は突き出し、青白い顔色で凄蒼な雰囲気が漂ってきた。
別にご先祖様は、ハンストとかの反抗的な意志はなく、ただ単に食事が喉を通らないだけだった。ムリして食っても、すぐ吐いてしまう。事態は、かなり深刻な状況となっていた。
ご先祖様は、最初のうちこそ飢餓と自身の拒絶反応の狭間で藻掻いていたが、やがて達観したかのようになった。
ご先祖様は、異様な静寂のなかで窓の外に広がる空を見ていることが多くなった。
コンコンとドアがノックされた。
「ご先祖様、お昼ごはん持って来ました。ここに置いときますね」
兎がいつものように、食事を運んで来た。
「……」
「ご先祖様、少しは食べないと……」
みかねたように、兎が言った。
「要らない……」
ご先祖様は振り向きもしないで、ブスリとこたえた。ご先祖様は、ズ~と落ち込んだままだった。
「そんな~、少しは食べないと身体が持ちませんよ。お願いだから、少し食べてください」
「食べたくない」
ご先祖様は、素っ気ない。
「これは、肉など入ってませんから」
兎は、いつになく執拗だった。
「食いたくないんだ。さっさと持って帰ってくれ」
ご先祖様の応答には、次第にいら立ちが混じり始めた。
「……」
兎はなぜか意固地にも、立ち去ろうとしない。ご先祖様はとうとう我慢できなくなって、振り向いた。放っておいて欲しいのだ。
振り向いたご先祖様は、ハッとと胸を突かれた。兎が、目に涙をいっぱい溜めて見つめている。
『何ということだ……』
ご先祖様は、恥じた。激しく自分を恥じた。
『兎はこんなに、自分のことを心配してくれている』と、ようやく気付いたのだ。
兎は毎回、毎回の食事を用意してくれていた。いくら作っても、箸さえ付けない。
報われない、辛い、空しい奉仕を兎は続けていたのだ。それを……俺は、何というんだ。いい歳こいて、子供っぽいダダを捏ねて……。
子供の兎に当たるなんて、最低の大人だ……と思った。
突然、「わー!」と兎が泣きじゃくりながら突進してきた。
兎はまっすぐ、ご先祖様の股間に激突した。
「うっ!」
兎は泣きじゃくりながら、パタパタとご先祖様を叩いた。
「兎っ、うっ」
ご先祖様は息が詰まった。なお、兎はパタパタとご先祖様を叩く。タカがしれた力でも、急所だとこたえる。ご先祖様は、かろうじて身を捩った。
『これ程までに……』兎は、これ程自分の身を心配していたのだ。ご先祖様はそう思うと、胸がつまった。息がつまって、胸がつまって呼吸が苦しい。
それでも、ご先祖様は兎のなすがままに任せた。『叩け、好きなだけ叩け。恩知らずな俺を気のすむまで叩くがいい』ご先祖様は、今はどんな罰でも甘んじて受けようと思った。
「ご先祖様、死にたいの……」
激情がいくらか納まったのか、兎が下から聞いてきた。声は、まだ微妙に震えている。
「……死にたくはない。だけど、めし、食事が喉を通らない。ムリに食おうとしても、嘔吐してしまうんだ。だから、もう諦めた。観念したんだ。俺には、木師のいう『まったく新しい精神種族』には、とうていなれないらしい」
ご先祖様は自嘲する風でもなく、淡々と語った。兎は、やけに客観的なご先祖様の言い方が気になった。まるで、よそ事みたいに……。
「何とかならないの」
「……」
「ご先祖様は、ここに蘇生したことを悔やんでんじゃないの」
兎は鋭い。時々、ズバッと本質に切り込んでくる。
「うん、少し。だけど、こうして兎に巡り合えただけでも、蘇生した甲斐があったと思う。兎には、感謝している」
「あら……」
兎に、ようやく微かな笑みが戻った。あどけない笑顔が、胸にしみ込んでくるようだ。
……と思ったら、兎は、「山羊先生に相談してくる」と言い捨て、ぶつかって来た時と同じ唐突さで何処かへ行ってしまった。
ご先祖様は、一人残された。
「……」
ご先祖様は、内心忸怩たる思いを嚙みしめていた。
やっぱり俺は、まったく新しい精神種族にはなれないらしい。兎のあの切り替えの早さには、とてもついていけない。それは……いい。残念なのは、感動的なとてもいい場面だったのに、それが、ブ恰好なカタチのまま終わってしまったことだ。
なんで、この胸で受け止めてやらなかったのか。
ご先祖様の悔いを証明するように、ご先祖様の股間の近くにアヤシゲなシミが残っていた。




