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ブラッドムーンと偽りのキス  作者: 華月AKI


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8/11

八話 尽きない悩み

 その夜。

 シャワーを浴びても、心臓の鼓動は収まらなかった。


 放課後の瀬能の言葉が、まだ耳にこびりついている。

 ――俺、お前と付き合ってみたい。

 ――試しに、キスからでもいいか。


(あああああ! 思い出すな俺! 顔が熱い!)


 ベッドに潜り込み、枕を抱きしめて何度も悶絶した。

 目を閉じれば蘇る吐息の感触。自分の情けない姿。

(これ……ただの“衝動”じゃなかったらどうすんだよ!)


 週末だから、瀬能に会わずに済む。それだけが救いだった。

 けれど興奮は冷めきらず、結局ほとんど眠れなかった。


 ◇


 翌朝。

 重いまぶたをこすりながらリビングに降りると、珍しく母がソファに座っていた。

 夜勤明けらしく、まだ仕事着のまま湯気の立つマグを手にしている。


「おはよう、充希」

 母がにこやかに声をかける。


「……おはよ」

 充希はソファに沈み込む。寝不足で頭がぼんやりする。


 母はちらりと顔を覗き込み、ふっと笑った。

「ねえ、学校で何かあった?」


「な、なんで……」

 心臓が跳ねる。昨夜の瀬能の顔が脳裏に浮かんだ。


「父さんから聞いたのよ。クラスメイトに“噛みついた”んだって?」


「っ……!?」

 思わず声が裏返った。耳まで熱くなる。

「……父さん、余計なことばっか言いやがって!」


「ふふっ、やっぱり図星なのね」

 母は意味ありげに微笑む。その目は笑っているのに、まるで心の奥まで覗かれているみたいだった。看護師だからか、ちょっとした顔色の変化すら見逃さない。


「……でも、それだけじゃないんでしょ?」


「べ、別に! なんでもないから!」

 充希は慌ててテーブルに突っ伏した。

(やばい……これ以上は絶対言えない! 瀬能のことなんて、知られたら……!)


 ◇


 そこへ、夜勤帰りの父がリビングに入ってきた。

 ジャケットを肩に掛け、片手で煙草を弄びながらニヤリと笑う。


「……母さん相手に取り繕っても無駄だぞ、充希。なんだ、告白でもされたか?」


「っ……!? だ、黙ってろ父さん!」

 顔を覆った枕に声が吸い込まれる。耳まで真っ赤だ。


 父は楽しげに笑ったが、すぐに表情を引き締めた。

「……で、本題だ。怜が就活でこっちに来る。日曜の夜に着くから迎えに行け。俺も母さんも夜勤で留守になる」


「怜が来るの!? マジで!? やった!」

 充希は寝不足も忘れて顔を輝かせる。


「しばらくうちに泊まるってこと? 楽しみ!」


「遊びに来るんじゃねえぞ」

 父は渋い顔で煙草を置いた。

「……一応、お前が“発症”したことは怜にも伝えてある。ただな、あいつは昔からお前に甘い。しかもヨーロッパの田舎暮らしが長かったせいで、人間相手にズレたことを平気で口にする。お前まで余計なことを漏らせば、すぐにボロが出るぞ」


「わかってるって!」

 勢いよく答えたものの、胸の奥はざわついていた。

 瀬能のこと。昨夜のキス未遂。

 言えるはずがない秘密を抱えたまま、充希は頭を抱えた。


 ――怜が来る。

 心強くて、ずっと憧れてきた従兄弟。

 けれど、その名前を思い浮かべるだけで、不思議と胸が重くなるのだった。

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