六話 逃げても逃げても
朝のチャイムが鳴る五分前。
ざわつく教室の中、誰かが黒板を消し、プリントが回収されていた。
教室に入った充希は、まず瀬能孝司の姿を確認する。
席に座り、淡々とノートを開く優等生の横顔。昨日と同じ場所に、昨日と同じ絆創膏が貼られていた。
(……やっば。視界に入っただけで心臓バグる……! いや落ち着け、昨日決めたろ。距離を取れば問題なし!)
そう自分に言い聞かせて、椅子に突っ伏したその瞬間。
カタン、と椅子を引く音。顔を上げると、瀬能がプリントの束を片手に立ち上がり、こちらへ歩いてきていた。
「園田、昨日の課題プリント――」
「ご、ごめん! 今、手ぇ離せない!」
食い気味に叫んで遮る。もちろん両手は机の上で暇を持て余していた。
その不自然さに、教室が一瞬静まり返る。
「おい園田、どうした朝から」
「委員長に課題聞かれるとか逆に珍しくね?」
「もしかして何かやらかした? 怒らせた?」
「ち、ちげーし! 怒らせてねーし!」
必死の否定が裏目に出て、クラスの笑いが広がる。
瀬能は一瞬だけ怪訝そうに充希を見たが、すぐに「そうか。じゃあまた」と淡々と席に戻っていった。
(いやおかしいのお前だろ!? 委員長で頭いいくせに課題聞きに来るとか何!? なんで誰も突っ込まねーんだよ!)
充希だけが心の中で机を叩き続けていた。
◇
昼休みのチャイムが鳴ると同時に、教室の空気が一気にゆるんだ。
机を寄せ合って弁当を広げる者、勢いよく廊下に飛び出していく者。ざわめきが廊下まで溢れていく。
「なあ園田、飯どうする? 購買か?」
いつも一緒にパンを買いに行っている高木だ。
椅子をがたんと鳴らして立ち上がりながら、充希は首を横に振った。
「いや、今日は食堂!」
「は? お前、滅多に行かねーじゃん」
「いいから高木も来いよ! おごるから!」
「俺はパンの方がー」と文句を言う高木を強引に引き連れ、めったに行かない学食へ逃亡。
油の匂いと食器の音に包まれながら、二人は揚げたての唐揚げ定食をかぶりつく。
「……うまっ!」
「だろ? やっぱ揚げ物は正義」
口いっぱいに頬張りながら、くだらない話題で盛り上がる。
最近ハマってるスマホゲームの話で「俺のギルド最強だから」「嘘つけ即死してただろ」とか笑い合い、ようやく緊張がほどけてきた。
(よし……ここまで来れば瀬能も近寄ってこねーだろ。これで平和だ……!)
そう思った矢先。
「……なあ園田」
高木がじっと顔を覗き込む。
「お前さ、朝から……瀬能のこと避けてね?」
「――っ!」
箸を落としかけ、水をがぶ飲みする充希。
「そ、そんなことねーし!」
声が裏返った瞬間。
「園田、食堂とか珍しいな」
背後から落ち着いた声。振り返れば、トレーを持った瀬能孝司。
「っっっ!?」
心臓が止まりかける。
高木は机を叩いて爆笑した。
「お前ホントに避けてただろ!」
「ち、ちげーってば!!」
慌てて高木の言葉を否定しつつ、瀬能に「な、なんでここに?」と少し引き気味に尋ねる。
「……俺も昼飯を食べに来ただけだが」
「当たり前の理由だった!!」
これじゃあまるで、自分が自意識過剰な奴みたいだ。周囲の席からも「園田、挙動不審〜!」と冷やかしが飛び、充希は耳まで真っ赤になった。
隣に腰を下ろす瀬能の存在に、心臓はさらに限界突破しそうだった。
◇
放課後のチャイムが鳴り終わった体育館。
ボールが床を叩く乾いた音に、部員の掛け声が重なる。
(よし……昼は死ぬかと思ったけど、なんだかんだ乗り切った! あいつに言われた“明日話そう”も、このままスルーでいい!)
そう思いながら部活に打ち込む。
バスケットボールが床を叩く乾いた音。部員の掛け声。
充希はシュート練習に集中しようとしたが、強烈な視線を感じて顔を上げた。
そのとき――観客席に視線を感じた。
「……っ!」
眼鏡の奥から静かにこちらを見つめる瀬能孝司の姿が、そこにはあった。
(いやいやいや! なんで!? アイツ帰宅部だろ!?)
動揺で手元が狂い、パスが味方の顔に直撃した。
「おい園田、集中しろ!」
「委員長がわざわざ応援に来てくれてるからって、そんな照れんなよー」
「ち、ちげーから!!」
必死に否定するが、顔は熱くなるばかり。
一方の瀬能は視線を逸らさず、ただ静かにこちらを見つめ続けていた。
(……どう考えてもおかしいのはあっちだろ! なんで誰も瀬能に突っ込まねーんだよ!!)
充希の理不尽な叫びは、もちろん心の中にしか響かない。
練習が終わり、部員たちがぞろぞろ帰っていく中――。
「園田」
瀬能が立ち上がり、体育館の中央に進み出てきた。
静まり返った空間に、その声がやけに大きく響いた。
心臓が爆発寸前で、充希は一歩も動けなかった。
「……昨日の続きだ。俺、お前に話がある」




