第七章 シュンの気持ち
森の中心に近付いているのがわかる。魔族の匂いが濃くなっていく。すこしずつ、魔族が増えている。
「これを顔に塗りなさい」
家から出てしばらくして、ミドリが小さなビンを取り出した。
「変わり目の粉よ、この人数で無用な争いはしたくないの。魔族に紛れてもらうわ」
きらきらと光る粉を指にとって言われたとおり、頬に魔族の紋様を入れた。見た目に変わった様子はないが、セイはわずかに気が魔族寄りになったのを感じた。この変わり目の粉のおかげか、魔族が横を通り過ぎてもこちらには見向きもしない。
「シュン様も、これと同じものをつけていたのよ・・・。決して魔族の気配が外に漏れないような強力な粉をね」
アオイがリオに紋様を描きながら言った。
「でも、洗えば落ちるんでしょう」
シュンがこんな化粧をしている姿など誰も見たことがない。
「えぇ、でもシュン様は・・・」
アオイは少しつらそうな表情をして、目を細めた。そしてどこか愛しそうに囁く。
「あの人は、特別だから」
「シュンが、魔族」
セイはどこかで、やっぱりな、と思った。ここに来て、シュンの様子が一変したのを感じ取ってはいた。けれど口にしたところで彼が本当のことを話してくれないことをいままでの付き合いでわかっている。
リオは「シュンはシュンだからなんでもいい」と言ったことを後悔していた。魔族と聞いて、たしかに自分のなかで魔族に対する憎悪が広がった。姉を殺した種族として。シュンのせいではないと、自分に言い聞かせてなんとか怒りを抑える。
ローズマリアは混乱した。テーベルの神官として、成すべきことをせずに、ただ民を守るために魔族を憎み、あの小さな世界に閉じこもっていた。この森に入って、魔族と会って、共存も悪くないと思った。けれどシュンが魔族だと聞いて、老子が魔族だと知って、衝撃を受けた。彼らが自分の中で憎しみの対象にはならない。けれど他の民は、他の人間は、リオのように家族を魔族に殺されたものの怒りは、自分に抑えられるだろうか。本当の役目を知って、自分は人が果たすべき均衡の鍵の一部としてなれるのか。
「真実は、あいつに聞く。言わなくても喋らせる。俺がそれを聞いてあいつを恨むかどうかはそれから決める。・・・あいつは俺の、最初の仲間なんだ」
セイはそういって立ち上がった。
「長老、もし私がシュンを恨むとしたら、それはシュンが姉を殺した場合です。あの時姉を殺したのは鳥族だった。シュンじゃない、だから。私は絶対シュンを恨まない」
流れる涙を拭ってリオは外へ出た。
「長老さま、もし新たな魔王が立って、老子がいなくなっても人は古文書を守っていけるでしょうか。王はこれまでの人の過ちを赦してくれるでしょうか」
「それは新たな王が決めることだよ、ローズマリア。これまでの真実を、間違いなく受け止め、後世に伝えてゆく、それがあなたの役目だ」
長老の言葉にローズマリアは一礼して立ち上がった。
「老子」
魔の森の最奥で、シュンは老人の後姿を見つけた。
「・・・ディーリー」
老人はその呼び名にハッと振り返った。老人の姿は見る見るうちに変わっていく。年老いた面影を消して、獣に近い魔族になった。
「その奥に父がいるんだね」
ディーリーは黙ってひざを折った。
「話がある。2人でしたいから誰もここを通すな」
「御意」
シュンはひざを折った魔族の前を通って、扉に手をかけた。
「父様」
何十年ぶりかに見る父は生気のない顔をしていた。
「お久しぶりです」
二言目を言ったときに、大きな瞳がゆっくりと動いた。そして大きな椅子にもたれていた身体を起こして、シュンに向かって手を伸ばした。
「シュンか」
濁った声だった。彼はもう若くない、そうシュンは感じた。
「はい。ただいま帰りました」
「サヤに似てきたな」
慈しむような瞳で、優しくシュンを撫ぜた。
「母は、もう亡くなりましたよ」
そういうと彼の指の動きは止まった。
「あなたが愛し、憎んだ女はもういない。・・・そろそろ拳を下ろしてください。これ以上の争いには何の意味もない」
「死んだか、そうか・・・死んだか・・・」
「もう、いいですね?父様」
そう尋ねると、男は黙って頷いた。シュンは静かに剣を抜いた。人型へと変化していく父は、本当にただの老人であった。200年もの間畏怖され続けてきた魔王という存在は、こうも変わってしまうのだろうか。
「魔族の王、汝の命、わが力を持って、終焉を与う。父様・・・母はあなたを、ずっと愛していました」
「そうか」
魔王が一筋の涙を流したとき、シュンは迷わず、首に当てた剣を引いた。ゴトリと首が落ちる音がした。吹き上げる血はなく、乾いた体が音を立てて崩れていった。
彼はもう、死んでいたのだ。50年も前に。家の結界がそれから何十年も保っていたのが不思議なぐらいだ。それほど彼は人を愛していた。母の種族を。
シュンは父の残った首を拾い上げ、椅子に座った。そのひざに父の首を置いてそこから見える薄暗い景色をぼんやりと眺めていた。
彼らが来るかもしれない、きっと来る。真実を知ってか知らずか、魔族はもう終わる。魔族の王たる父が人の母を愛し、自分を儲けたときに、ずべては終わっていたのだ。
「・・・!!」
「アカネ、どうしたの」
「シュン様が」
アカネは震える身体を押さえて走り出した。息を切らして、主の下へと急ぐ。
「ディーリー・・・」
扉の前で、魔族が1人、仁王立ちになっている。
「老子・・・?」
「そうだよ」
ピクリとも動かない魔族を避けて、アカネは扉を押し開けた。ディーリーは魔王が死んだときに共に死んだのだ。それでもなお新王の命に従い、扉の前に佇んでいた。ローズマリアはしばらくそれを見上げていた。きっと触れてしまえば崩れてしまう。どこかに残った老子の面影を、彼女は捜していたのかもしれない。しばらくしてローズマリアは目を伏せて、彼の横を通り過ぎた。
「シュン・・・」
シュンはその声にゆっくりと目を開けた。聴きなれた、仲間だった者の声だ。ひざの上においていた父の頭は、いまは骨と化している。崩れた魔王の肉体は砂になって少しずつ風に流されている。
「やぁ・・・その様子だと、真実を話したわけではないんだね。ミドリ」
「は」
ミドリは素直にひざを折った。
「他の連中の様子は」
「みなこの森に帰っております。じきに外の世界の魔族はいなくなります」
「そうか」
「どういうこと」
リオが少しずつ近付いて話しかけた。
「僕が、新しい魔族の王だよ」
とても、とても冷たい目をしていた。ほんの数日前まで一緒に笑って、旅をしていた人とは思えない。
「そうだね・・・教えてあげるよ・・・、愚かな魔族の物語を」
シュンは立ち上がって、頭蓋骨を装飾棚の上に置いた。
「僕が生まれたのは、今から60年前。両親は100年前に出会っていた。父の一目惚れだそうだ。・・・父はそのころ在位100年の魔王だった。彼にやってできないことはない、そう言われつづけてきた。そのころが父の最盛期だったのかもしれない。そんな父は母に不老不死の力を与えた。死ぬときは一緒だと誓って。本当に、誰もが羨む夫婦だった。毎日が幸福で満たされて、この2人がいれば世界は安泰だと言われていた」
シュンの視線はどこか遠くへ向けられていた。アカネはそれを見てまた涙した。主の気持ちが、両親を慈しむ気持ちが、彼女の心に流れ込んでくる。アオイは静かに妹を抱きしめた。
「母はずっと23歳のままで見飽きることのない美しい女性だった。そんなときに母は僕を身籠った。父は言ったよ、この子は全世界の平和の象徴だと。3人で誰もが平和に暮らせる世界を作ろう、とね」
「シュン・・・あなたは本当に魔族なの?全然私たちと変わらないじゃない」
リオが叫んだ。シュンは自嘲に似た笑みでリオを見返す。
「僕は母親似だからね。どうして僕が平和の象徴だと言われたと思う?」
視線を彼女から離して父の頭を見る。
「父は魔族、母は・・・人間だったからだよ。種族を超えた2人の間に僕がいた。だから平和の象徴なんだ。そこまでは良かった。本当に、普通だったんだ。・・・異変は10ヶ月を過ぎた時に起きた。僕が生まれなかった。前代未聞の出来事だよ。魔族同士の子供なら一年もあれば生まれる。人間なら10ヶ月。・・・待てど暮らせど、僕はずっと母の腹の中だった。混血児だから仕方ない、そう魔族の医師は言った。混血児だといえば、なんでもアリって訳だ」
「でも、生まれたんでしょう?」
ローズマリアが恐る恐る聞いてくる。シュンは王座から離れ、森が一望できる石の窓枠へと座った。
「あぁ・・・40年という、長い年月を経てね」
「40・・・年」
リオは目を見開いて、息を呑んだ。
「ありえないわ」
「そう、ありえない。でも僕は生まれた。不老不死の力を持った母といえど、相当参っていたよ。腹の中にいるときから、少しずつ外の世界のことは感じていた。父が望んでいること、母が望んでいること・・・僕は、平和の象徴であること」
セイは近くの椅子に腰を下ろした。真直ぐにシュンを見て、けれどシュンは一度もセイを見なかった。
「すごく、喜ばれた。僕の誕生は、魔族中から祝われて・・・。いままで多くの中傷を受けてきた人間の母も、そのときばかりは世継ぎを産んだことで魔族の仲間入りができた。僕が生まれてから、本当に幸せな時間が包んだ。二度と味わうことのない、至福のとき。一方で父の・・・魔王の願いは強くなっていった。人と魔と妖と、3種族が平和に暮らせるようにと、力を尽くした。けれど彼はその思いが強すぎて、狂っていった。平和を望みすぎて、逆に僕や母を苦しめた。相互不可侵・・・それだけで十分平和であったのにもかかわらず、少しでも、同族間で争いがあればそれを厳しく処罰した。誰の助言も聞き入れなくなって、狂っていった。なのに!!」
シュンは思い切り窓枠を叩いた。大理石の窓枠に小さく亀裂が走った。
「それでも彼は俺を平和の象徴だと言った。言い続けた!!」
頭を手で抱え、少し思案した後、ゆっくりと初めてセイを見た。
「だから、壊してやった」
その視線にセイは何も感じることはなかった。冷たい氷のような瞳の奥に、シュンは感情を押し込めた。
「妖族戦争・・・。50年前に起きたあの争いの発端は僕だよ、セイ」
セイはそれを聞いて視線をそらさず、固く拳を握った。リオとローズマリアは2人を交互に見て、シュンに視線を向けた。
「僕は平和の象徴になんかなりたくなかった。父の理想郷も嫌いだった。ただ、父がいて、母がいて・・・普通の幸せだけでよかったんだ。だから壊してやろうと、妖族を唆した。妖精族がいなくなれば妖族は滅ぶ。あんな下等な霊族に、妖族をまとめる力はない。霊族に力を与えたのは僕だ。でなきゃあいつらが妖精族に勝てるわけがない。そうやって僕は笑っていたんだ、君の一族が死んでいくさまを。・・・今でも覚えているよ、あのときの光景を」
シュンはうっすらと笑って手を組み合わせた。
「妖精族の長を殺したのは僕だ。僕以外、殺せる力を持ったやつはいなかったからね。年老いた老人だった。命乞いもせず、血まみれになって、僕を睨んだ。『我が一族は決してお前を赦さない。この血にかけて永遠にお前を呪い続ける』そう喚いていた。そのまま、首を落としてやったけどね」
沈黙があたりを支配した。だれも何も聞かない。ただ、シュンがしゃべるのをひたすら待った。
「これが知りたがっていた真実だ。キミは妖族に会ったことがないよね?当たり前だよ、この世界にもう妖族の生き残りなんて数えるほどしかいない。妖精族が滅び、霊族が死に絶え、だれが妖族の長を務める?彼らは自ら滅んでいった・・・いや、僕が用意した滅びの道を迷わず進んでいってくれた」
そのとき、アカネは苦しさのあまり膝をついた。姉が心配そうに背をさする。
「苦しいか、アカネ」
息を荒げるアカネに目をやったシュンは一言そういった。アカネは黙って首を横に振った。苦しいのかやめて欲しいのか、涙のたまった目でシュンを見上げ続けた。
「妖族戦争をきっかけに、父は更なる理想郷を謳った。滅びゆく妖族を救うため、妻との愛を確かめるため、僕を象徴にするために・・・なぜ戦争が起こったのかも確かめずに」
「・・・どうして、セイを巻き込んだの?お父様が憎いだけだったんでしょ!?どうして周りを巻き込むの!!」
リオが叫んだ。拳が怒りに震えている。もし、シュンが近くにいたらおもいきり殴っているところだ。
「父の理想郷を壊すためだよ。そのためならなんだってできた、なんだって利用する!!そんなときだった・・・母がとうとう父の元を離れた。僕を連れて、この森を出た。父から逃げるように、母は自分の故郷へと帰ろうとした。だが、40年、50年経っていきなり帰ってきた女をだれがその村の民だと認めてくれる?変わらぬ姿を持ったまま、息子を連れて戻ってきた者を、誰が人間だと認めてくれる?・・・僕たちは妖怪だと呼ばれた。浅ましい、悪魔に魂を売った売国奴だと罵られた・・・。どっちが浅ましいか、魔族を忘れ、妖族を忘れ、人間が人族であることも忘れ、さも当然のように世界を支配し、契約さえも忘れた愚かな人間が!!・・・我々を蔑む権利などない・・・そう思った」
そして視線はゆっくりとリオに向けられた。リオのあごに、汗が伝った。
「ディーリー、老子はたまに使いを送ってくれた。父の様子や、テーベルのことを伝えに。永遠を誓い合った愛は、母が逃げたことで脆くも崩れ去った。父は母を恨むようになった、そして人を。それでも彼は理想郷を謳いつづけた。馬鹿みたいにね。そんなときだ。もう何十年も経ってから、テーベルで子供が古代文字を解読しようとしているとディーリーが伝えにきた。僕は嬉しかった。浅ましい人間が、また道を外してくれているとね。ディーリーはそれを阻止しようといろいろ画策をしたようだけれど、商人のほうが一枚上手だったようだ。古文書がテーベルから出れば、人間の世界も崩壊する。彼はリオが古文書を持っていないことを知っていた。けれど書置きがあったことで混乱した。だから教えてあげた。商人が死んで今は少女が持っていると。そうやってわざと刺客を向けさせた。少女にありったけの恐怖を味あわせて、魔族がそれを嗅ぎ取るように。下等魔族のほとんどが目は見えない。けれど古文書の在り処は知っている。崇拝する魔王そのものだと思っているからね。魔族は本能で動く存在だから、古文書を持っているものは味方だと、守るべき存在だと思った。だからリオは襲わなかった。リオが恐怖を味わえば味わうほど、魔族はリオを守ろうと、周りの人間を殺した。リオの姉を外に出すようにいったのは僕だ」
それを聞いてリオはシュンに飛びかかった。すばやくその手をミドリが押さえる。
「予想外だったよ、まさか彼女が妹を殺して自分も死のうとするなんてね。でも結果は変わらなかった。キミは恐怖を味わい、姉は死んだ。ちょっとした余興で楽しめたよ。そのころになると魔族も人の血に酔い、古文書など関係なしに無作為で人を襲い始めた。父の理想郷は完全に壊れた」
リオは歯を食いしばって、激しくシュンを睨んだ。ミドリに掴まれた腕が怒りで震えている。涙が止まらなかった。本当にシュンを恨む事実があったことが悔しくて、またシュンの人の命を弄ぶ姿が赦せなくて。
「そこまでして、ただ理想郷を壊したかっただけかよ!!」
セイが勢いよく立ち上がり、剣を抜いた。リオ同様、歯を食いしばってシュンを睨む。
「待って」
その腕をローズマリアが掴んだ。
「放せ!!」
有無を言わさずにその手を振り払って、シュンに斬りかかった。シュンは微動だにせず、足を組んで、剣が身体に触れるのを待った。
そうだよ、セイ・・・俺を殺して。




