第十章 忘れられたもの
「こっちよ」
建物を滑り落ちるように降りてきたセイをジナが呼んだ。そのときにミドリの身体をジナに預ける。何も喋らす、いまはただここから離れることだけを考えて。途中にいくつかの魔族の死体があった。
「ここならいいだろう」
森の奥からさらに北へのぼって泉の湧き出る側で、オウカがシュンの身体を横たえた。泉のまわりは木々が生い茂り、まだ太陽の光は届かない。わずかにこぼれる朝日の光に朝露がきらきらと光っている。
アカネはすぐにシュンの側によって手をとる。頬に血でついた指のあとがあった。主が最後に触れた証。
ローズマリアはリオの側に膝をついて様子を見る。浅速く息をしているがほとんど意識はない。
セイはアオイの身体をそっと寝かせた。その横にミドリも寝かせる。
ここに横たわっているのは全部自分がやった。ここまで握ってきた剣には全ての証拠がこびりついている。リオ、ミドリ、アオイ、そしてシュン。意識がなかったわけじゃない。すべて覚えている。はっきりと自覚したのは、シュンを斬った直後だった。
「リオ・・・しっかりして・・・」
ローズマリアのそんな励ましの言葉すら、セイにとっては責め言葉になる。
「あぁ、おばばがいてくれたら」
ローズマリアは傷を破ったスカートで圧迫止血をしながら嘆いた。たとえおばばがいても助かる傷ではない。分かってはいるのに、そういわずにはいられない。
「みな無事かね」
泉の奥から出てきたのは長老だった。その後ろには若い女性の姿がある。彼女も人型魔族であろう。淡い青の肌をしている。
「長老・・・」
「まさかシュンが次期魔王だったとはね」
オウカは少し呆れたような口調で言った。そして青ざめたままのシュンの顔を見る。
「前王は死んだよ。彼が魔王となった」
長老の横で立っていた女性が口を開いた。とても綺麗な声だ。魔族とは思えない。
「あなたは・・・?」
ローズマリアが恐る恐る尋ねる。
「この顔に見覚えはないかしら?姫様」
それだけ言うとリオの側に片膝をついて服を思い切り破いた。
「ちょ・・・」
止める間もなく、リオの上半身があらわになった。オウカとセイが慌てて後ろを向いた。ジナは気にとめる風でなく、その様子を見ている。
「風の傷ね。よほどの剣の使いかしら」
はじめは顔を赤らめていたローズマリアもその傷を見ている真剣な表情の女性の顔を見つめた。どこかで見た顔だ。
「ジナ、水をちょうだい」
そう命令すると、ジナは泉から両手いっぱいに水をすくってリオの傷口にかけた。
「くっ」
リオの顔が苦痛に歪む。額には汗が滲みでている。
「大丈夫なんですか?」
ローズマリアはすこし手荒な治療に心配する。
「この程度の傷ならすぐに気がつくわ」
そういうと腰に下げていた小さな袋から小瓶を出す。塗り薬のようなものを傷口に直接塗る。
「あ・・・ぁ」
悲鳴を押し殺したような声がリオの唇から漏れる。
「化膿止めだよ。女の子がこんなところに傷を残すわけにはいかないでしょう」
手早く塗り終えると、別の瓶から粉を振った。塗り薬にくっついた粉はそのまま薬の中に溶けていく。
「これで乾かせば大丈夫よ」
それだけ言うと女性は立ち上がってシュンのほうへ行った。
膝をついて頭を下げる。そして赤く鮮やかな血がこびりついた頬をさわる。
「シュン様は・・・」
アカネの弱弱しい声に女性は黙って首を振った。
「傷が深すぎる。・・・私にはどうすることもできないよ」
魔族と人間の混血児。どの薬が身体にあうのかもわからない。下手な治療をして寿命を縮めるぐらいなら、このまま静かに看取ってやるのが最善の方法だろう。
その言葉にアカネは顔を伏せた。シュンの手を握って声にならない泣き声をあげた。
セイはただ黙って拳を固く握り締めた。
「魔王が死ねば我々も死ぬ。それは抗えぬ自然の摂理。1年のうちに、全てが終わるよ」
長老はそういうと、近くの倒れた樹木に腰を下ろした。ジナは暇そうに泉の中に足をつけた。
そのとき南のほうで崩れる音がした。あの魔王の居住地が崩壊した。
「魔王の力が弱まったせいだ。あれはもともと魔王の力で成り立っているものだからね。『家』の結界も消えているだろう」
脅えた表情をしていたローズマリアにオウカが説明してやる。
そうしてようやく本当にシュンは魔王で、そして死んでしまうのだと実感する。
ローズマリアは自然と涙を流した。
「我らが王のために涙すること・・・感謝する」
オウカはその様子を見て、ローズマリアに静かに頭を下げた。
「ん・・・」
リオの目蓋がかすかに動いて、ゆっくりと目をあけた。
「リオ!!」
ローズマリアは涙をふいてリオの顔を覗き込んだ。
「いたぁ・・・」
すぐに起き上がろうとしたのか、胸に痛みが走って全身の力が抜ける。
「ちょっと・・・服、服!!」
胸に触れて自分が服を着ていないことに気付いて、慌てて胸を隠した。とは言っても服になるようなものもなく途方にくれる。
「これ、着れば」
そういって差し出されたのは赤い打掛けだった。帯を解いたアカネが一枚脱いでよこしたのだ。
「あ、ありがとう」
リオは素直に受け取ってローズマリアの手を借りて立ち上がると、それに腕を通した。
「汚れるよ?いいの?」
「かまわないわ。・・・シュン様が死ねば、私も死ぬもの」
あきらめたような言い方に、リオは改めて回りを見る。
眠ったままのミドリとアオイ。アカネが座ったすぐ横で青ざめた顔のシュン。ずっとそれから背を向けたままのセイ。泉の側に座っているオウカとジナ。樹木に座っている長老とはじめてみる女性。
ぐるりと視線をめぐらせて、セイを見る。
「セイ、正気?」
その言葉にビクリと身体を震わせながら、ゆっくりとこちらを向く。
「あぁ」
か細い声で答える。その様子に、シュンがああなったのはセイがやったのだとわかる。
「リオ、傷は大丈夫?」
「あ・・・」
ローズマリアの変化にリオは驚きの声を上げた。
「名前・・・」
そういわれてハッと気付く。そして仕方ないか、という感じでため息をつくものの、顔からは笑みがこぼれた。
「名前なんて、関係ないわよ」
その様子を見ていた女性が声を掛けてきた。
「医師・・・」
はっきりとその女性の顔を見て、リオが呟いた。
「あら、リオのほうが先に分かってしまったわね。・・・しかたないわね、今の私はしわしわのおばあちゃんだもんね」
「おばば?」
「私を目の前にしておばばというのは失礼というものよ」
リオがまだテーベルにいたころ、その時の医師の助手としてこんな女性がいたことを思い出したのだ。
「その姿・・・魔族?」
「そうよ。ずっと昔にね、テーベルで疫病がはやったの。それでテーベルの民はみんな死ぬんじゃないかって言われて、魔王さまがね・・・3代目の、私を村に遣わしたのよ。まぁ魔族の間でも優秀な医者だったから、人間の治療なんて朝飯前ってとこ。魔王さまは私に不死の力を与えてくださったわ。それから分離の力もね」
「分離の力?」
セイ、ローズマリア、リオの視線が集まる。
「リオ、あなたは『家』で言ってたわよね。古文書を書いたのは老子だと。外れてはいないわ。けれど彼もまた、分離の力を使っていたのよ。人間に怪しまれないように、少しずつ姿を変えた自分を作り上げる。人間たちの目には後継者というかたちで映るけれど、実際、医師は私のままだったし、老子はディーリーだった。そうやってでも、テーベルの民を守ろうとしたのよ。歴代の王は」
「あの、名前は関係ないって」
リオが思い出したように聞いた。
「あぁ、別にね名前を呼んだからってなにも変わりはしないのよ。名前はただ、テーベルの民をテーベルに留めるための鎖のようなもの。村の外に出ても名前を言えなければ外で暮らすことはできない。テーベルの民は信仰深かったからね。古来から続く風習に逆らう人はいなかったのよ。だから家長だけが名を呼ばれるのはそうしないと、区別がつかないから。外見だけで話すのは難しいでしょう?門の側の畑の裏の旦那さんが・・・みたいにね」
医師は少し笑い話ふうに真実を告げた。
「それじゃ、門の外に出ても問題はなかったの?」
「えぇ、ただ役目を忘れてもらっては困るからそういう制約をつけただけよ」
結局は忘れられたけれどね、と医師は自嘲気味に言った。そして視線をシュンによこす。
「あの子は王に向いていないのよ」
まるで母親が我が子をみるかのような瞳だ。
「優しすぎたんだわ。人の血があそこまで魔族を変えてしまうのね」
短い沈黙の後、再び医師が口を開いた。
「魔族は常に冷静で冷酷でなければならない。自然の流れを読み、自然と共に暮らすためには必要なことだった。けれど彼は人の子でもある。母親は彼に愛情を注ぎすぎた。人にしてみれば本当に当たり前のことだけれど、人を愛した魔族と魔族を愛した人と・・・2人の愛情はとても大きすぎて、彼には支えきれなかったのよ。純潔の魔族でいるなら冷酷でいられた。純潔の人であるなら優しさを持てた。けれど彼の身体に流れているのは二つの相反する血。どちらに血が勝っても、両親を悲しませることになる・・・彼はそれを知っていたのよ」
医師は小さくため息をついた。
「一連の出来事はこの子がしたことだわ。それは否定できない。でもそうさせたのはこの子自身じゃない。魔族の血と人族の血がさせたのよ」
医師は指を組み合わせて、そこに額を置いた。その背を優しく長老が撫ぜる。




