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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第二章 行きて帰りし旅路
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誘い 後編

一日ぶりにごきげんよう、本日分の投稿です

予告より一時間ほど遅くなってしまい申し訳。



 食後、誰からともなく男衆が煙草をやりだした。

 相変わらず煙はエミリアたちを避けて自ずから開け放たれた窓へと吸い込まれていく。


 啓吾とヨウシアはミルヤミ印の三六番を各々のパイプで燻らせている。

 一方のオージンが咥えているのはオームポール型のメシャムパイプで、そのボウルからは仄かに黄味がかった白い煙が吐き出されている。

 なにやら特別の配合をしている魔法使いの煙草は、時折パチパチと音を立てながら独特の発酵臭を伴う甘い匂いを発していた。


 煙を楽しむ三人は皆、晩餐の余韻に浸りながらなんともだらしない顔つきである。

 ハーヴティを楽しんでいるエミリアとクリスタも、時折そんな家族の顔をおもしろそうに眺めるばかりであった。


 なんともなしに、気づけば啓吾は傍の老人を見上げていた。

 この時の、彼の内心を説明するのはひどく難しい。

 ただ一つ言えるとすれば、ここのところ啓吾を悩ませているいくつかの問題について、人知を超えた魔法使いならば答えを見出せるのでは、と考えていたのは確かである。


 不意にオージンは大きく紫煙を吐き出した。

 口先をすぼめ、ふっさりとした髭の隙間から吹き出した胡粉色の煙がその場で留まったかと思うと、やにわに翠鳥そにどりの姿へと転じて飛び立ったのである。

 各々の周りを楽しげに飛び回ると、やがてその鳥は啓吾の面前で留まった。

 せわしなく羽を動かしながらも首を傾げる姿はなんとも可愛らしい。


「浮かぬ顔じゃのう。……悩み事かね?」


 パイプを咥えたままでオージンはそう呟いた。

 首を斜めに傾げるようにして啓吾を見やるその萌黄色の瞳に理知的な光が宿っている。

 思わず啓吾は苦笑を漏らしていた。


「そう、だな。悩みはあるさ、若者らしく、な」

「ふぉ。素直は美徳じゃぞ?」

「時によりけりだと思うがなあ」

「言いおるわい」


 オージンは面白げに笑った。

 魔法使いに向かって、構えた様子もなく自然に言葉を返せる若者というのは意外に少ないものである。


「あんたなら分かりそうなものだが?」

「ほっ、それは買い被りというものじゃわい」

「どうだか」

「……はて、まあしかし若者の悩みといえば、人生か未来か、それとも仕事、でなければ恋のことと相場が決まっておろうのう」

「ふ、ふふ。どこの相場だ」


 戯けたように答える老人の仕草に、思わず啓吾は笑いをこぼした。

 側では両親の表情がかすかに険しくなっていくのに気づいていたが、彼はあえて知らぬふりをした。

 もっとも、“恋”のくだりでクリスタが顔を紅潮させていたのはさすがに気づかなかったようである。


 煙の翠鳥が、啓吾の周りを遊ぶように飛んでいる。

 再びオージンの口から飛び出した新しい翠鳥がそれに加わった。


「……さてそうなると、放浪者ならではの悩みかのう」

「ふぅん」

「当てて見せようかの。多くの放浪者は魔術を学ぶ段において躓くものじゃて」

「その通りだ。やっぱり分かってるじゃないか」

「ほっほ。伊達に長生きはしとらんでな。さて、そこで提案じゃ」

「提案、ね」

「なあに、難しいことではない。ちょいとわしと一緒に旅をしてみんかね?」


 その時、ヨウシアが溜息を吐くようにして煙を吐き出した。

 口の端から飛び出た紫煙はいつもの狐に姿を変えると、オージンの翠鳥たちにちょっかいを出し始めている。

 その様子を横目に、微かな緊張を含ませながらヨウシアの口が開いた。


「オージン殿。エリアスを行かせるのは賛成できないな」


 いつも通りの柔和な口調ながら、その雰囲気はどこか固い。

 それどころか押し黙って静観しているエミリアもどうやらこの提案に否定的な様子である。

 違和感に、クリスタだけが首を傾げている。


「ふぅむ、なぜかのう。わしは旅の先に彼の悩みを解く答えがあると確信しているのじゃがな」

「子供を危険なところに黙って送り込む親はいないさ」

「はて……」


 何かしら言おうとした老人が、言葉を止めた。

 視線は啓吾に注がれている。


 直後、啓吾の口から吹き出された紫煙がオージンの翠鳥とヨウシアの狐を掻き消した。

 魔術というのも烏滸がましい、魔力を帯びさせた煙をぶつけただけであるが、精密な魔術によって構成されたそれらを消すには十分であった。

 啓吾は、苦笑を浮かべて徐ろに口を開いた。


「それは……」


 何かを察したオージンが杖を手繰り寄せ直後、空間に仄かな光が舞った。

 これでしもべ・・・どもに覗き聞かれる心配はない。


「カレルヴォたちが“精霊の峰”へ向かったことに関係があるのかな」


 全員の目が見開かれた。

 啓吾が口にした事実は里でも数えるほどの者しか知らない。

 ヨウシアやエミリアが漏らすはずもなく、当然知らなかったクリスタは寝耳に水に他ならない。

 珍しくオージンすらもが驚愕を隠していなかった。


「エリアス……」

「父さん、黙っていてごめん」


 半ば呆然としてパイプを取り落とした父に、啓吾は申し訳なさそうに答えた。

 両親がわざわざ隠すのである。

 れっきとした理由があるのだろうと啓吾は理解していたし、むしろ気づいていることを誰にも言わなかったことに後ろめたい感情すら抱いていた。


 ヴェルノルクへの親善として進発したカレルヴォたちが進路を別に取り、何かに追われるかのように急いでいると知ってから、啓吾はよくよく思案していた。

 やがて彼らがどうやら精霊の峰を目指しているのだと分かった時には、啓吾はある程度の確信を持って現状を予想していたのである。


 もとより、精霊の峰に危険が迫る原因など限られている。

 そうと分かればこと・・の渦中が“穢れた山”であることは明白であった。

 日頃から知恵の館の蔵書を読み漁っていたのが役に立った。

 何しろ少年は、単なるエリアスであった頃から“本の虫”なのである。


「ふぅむ。そこまで分かっておるのか」

「……エリアス、いったいどうやってそれを?」


 問いかけるヨウシアの顔色は諦念じみたものが現れている。

 拾い上げたパイプを楽しむ余裕もないようである。

 気まずそうに頭を掻いた啓吾はちょうど火が落ちたパイプを机に置いて、やにわに立ち上がると手近な小窓に歩み寄った


「まあ、なんというか、友達が知らせてくれたのさ」


 言い置いて小窓を開けた啓吾が指笛を細長く吹いた。

 まるで鳥のようなその音色に、数拍置いて返事があった。

 しばらくして姿を現したのは小夜啼鳥さよなきどりである。

 小鳥は人の多さに驚いたように右往左往してから、やがて窓の下枠に落ち着いた。

 啓吾に手ずから餌を与えられ嬉しそうに目を細める姿はなんとも可愛らしいものである。


「ほっ。なんとまあ、鳥を友とするとは……」


 言いながらオージンが莞爾かんじとして笑う。

 そこには先ほどまでの凄みはかけらもない、まさに好々爺の面持ちで啓吾を見つめて射る。


「変か?」

「まさか。むしろ納得じゃよ、お主はやはりワイナの再来じゃ」

「……どういう意味です?」


 魔法使いの言葉に反応したのはエミリアであった。

 隣のヨウシアも訝しげな顔つきを隠していない。


「おや、お前さんたちもフォーガ族には会ったことはないのかね」

「……ええ」

「オージン、さん。フォーガ族ってなに?」

「ほぅむ、その呼ばれ方は新しいのぉ」

「爺さん……」


 生半、呼び捨てにするのはクリスタも躊躇ためらったようである

 楽しげに笑うオージンに啓吾の三白眼が突き刺さった。


「おっと、フォーガじゃったの。今は随分と珍しくなってしまったが、古い民の一つじゃよ。翼を持ち、鳥となって大空を駆ける勇者たちじゃ」

「ふわぁ、かっこいい……」

「確か、人の姿と鳥の姿を自在に使い分ける種族だったかな」

「おう、よく勉強しとるのう。その通りじゃ。そして、これはあまり知られておらぬが、彼らには自然の鳥たちと言葉を交わす力があるのじゃよ」

「ああ、なるほど……」

「もちろん、アニム族とフォーガ族の血を継ぐワイナにもその力が備わっておったと言われておる」

「……エリアスは、ワイナでも、まして王でもないよ」


 そう告げるヨウシアの表情が思いの外厳しい。

 ヨウシアもエミリアも、啓吾が要らぬ重責を負うことを恐れているのである。


「ほっほ、怖い顔をせんでくれ。わしにそんなつもりはない。ただ、この少年は確かにかの英雄の系譜に連なっておるのじゃと、そう言ったまでよ」

「爺さん。俺は異界の出だぞ?」

「血のことを言うのではない。魂とか絆とか、そういうもっとあやふやなものじゃよ」


 深い、ひたすらに深い萌黄色の瞳が啓吾を見つめている。

 謎かけのように問いかける老人の声は、まるで少年の奥底までおも見通そうとしているかのようであった。

 身じろぎもせずに、皆が啓吾を見つめている。


 老獪な魔法使いが何を言おうとしているのか、何をさせようとしているのか忖度しようとして、しかし啓吾は思いとどまった。

 ふわりと微笑を浮かべると、目前の小夜啼鳥に何事か囁き再び元の椅子に腰を下ろしたのである。

 そうして啓吾がオージンを見つめ返した時、小鳥はすでに小窓を飛び立っていた。


「……ま、いいさ。俺は俺だ」

「エリアス……」


 溜息をこぼすように、エミリアは息子の名前を呼んだ。

 泰然と莞爾として笑う少年はいかほども気負っていない。

 彼には愛すべき家族と友がいる。

 それが啓吾が寄って立つべき全てであり、己が心に添って生きる根源なのである。


 啓吾の返事に、オージンはしばし言葉を発さなかった。

 皺だらけの目元を細め、なんとも言えぬ笑みを浮かべながら少年の顔を見つめていたのである。

 やがて、老人は徐ろに口を開いた。


「わしは……。エリアス、君に随分と感心しておる。お主の言う通り、人は自分が自分であるために足掻き戦うのじゃ。ゆえに、わしは正直に語ろうと思う。その上でどうするか、それは君自身に決めてもらいたい」


 啓吾は静かに頷きで答えた。


「よいかな、ヨウシア殿、エミリア殿」

「……ふぅ。この上、仕方もない、ね」

「私は……」


 目を瞑る夫の隣で、エミリアは何か言いかけて、しかし黙った。


「子供たちが決めることを応援するわ」


 そう告げた母親はすでに何かを覚悟しているようである。

 啓吾を見るその眼差しはほの悲しい光を宿しつつも、柔らかい微笑みを浮かべている。


「さてはて、ならばまずはわしが見てきたことをゆるりと語ろうかのう……」


【脚注のようなもの】

翠鳥……ソニドリ。カワセミのこと。カワセミは翡翠と書き、ヒスイの漢字の元になったと言われる。他にも多彩な漢字を当てられる。

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