誘い 前編
深夜にわさっと本日分を投稿です
かのご老人が再来
六名の戦士たちが里を発って数日が過ぎた。
表向きにはヴェルノルクへの親善、ということになっている。
オーストレームは季節外れの寒波に見舞われ、通りを行く人々は箪笥にしまったばかりの厚手の上着に身を包み、尻尾を巻き込むようにして足早に歩き去っていく。
夕方を迎えようとする時間である。誰もが帰途を急いでいる。
いま、里の北門をかすめるようにして黒歌鳥が飛んでいった。
それを眩しそうに見上げたのは魔法使いオージンである。
傍らに立派な体格の連銭葦毛を連れ、胡粉色の杖をまっすぐに立てる老人に疲れた様子は見受けられない。
これで、コントゥラータからとんぼ返りに戻ってきたのである。
休む間もなく昼夜を駆けて、しかしオージンの眼には強い光が宿っていた。
「……さて」
萌黄色の瞳が、南庄の方を向いた。
すでに老人の足は動き始めている。
遊水池の畔に立つ樫の木の上で、啓吾は一人趺坐していた。
目を瞑る啓吾の面前で、三つの小石が宙に浮いている。
ふわふわと不安定に揺れながら小石は円を描くように動いていた。
これも、精霊魔法の修練である。
どうにも啓吾は魔術というものが苦手であった。
自らの身体や武器を強化するのは苦でもないのだが、魔術らしい魔術を使おうとすると途端に不安定になるのである。
アルトゥーリやヘンリクが言うには魔力も豊富で精霊との交信も十分、なぜ精霊魔法がうまく行使されないのか、かえって疑問だとか。
理由が分からないのだから直しようもない。
したがって、こうしてひたすら修練を繰り返す他に思いつかなかったのである。
ふと、啓吾の目が開いた。
宙を浮いていた小石が手元に落ちたところで、どこからか黒歌鳥が飛んできた。
二、三周、くるくると円を描いたかと思うと鳥は啓吾の肩に止まった。
黒歌鳥は何事か囀っている。
しばし渋面を浮かべて考え込んでいたが、やがて啓吾はいくつか言葉を交わして鳥を大空へと放った。
直後に、啓吾は木から飛び降りている。
家の方からは焦ったようにクリスタが駆けてきていた。
「お兄ちゃん、お客さんだよー!」
途端に、啓吾の片眉が吊り上がった。
家で二人を待っていたのは見覚えのあるローブの老人である。
皺だらけの顔に笑顔を浮かべながら立ち上がった魔法使いの頭の上で、帽子についている大きなタッセルがぶらぶらと揺れている。
思いの外に早い再会に啓吾は苦笑を浮かべた。
「おぉ、おお。おかえりエリアス、お邪魔しておるよ」
「……元気そうで何よりだ」
「ふぉふぉ、そうじゃのう。ちょっくら遠くへ足を伸ばしておったが、この通り元気千万じゃよ」
「今日はゆっくりできるのか?」
「ほ。そうじゃとも。まっことその通り。是非とも君と語らいたいと思うてのお」
言い置いて、オージンはクリスタに向き直った。
どこか所在なさげに兄の後ろに立っていた少女に、老人はその長躯を折るようにして頭を下げた。
「お嬢さん。兄君を呼んできてくれてありがとうのう」
「……ふぇ! あ、その。全然大丈夫、です」
「ふふ。どうしたんだクリスタ、緊張して」
「だ、だって。お兄ちゃん、魔法使いさまだよ? 伝説なんだよ?」
思わず吹き出した啓吾に、クリスタは眉を八の字にして答えた。
確かに、この天真爛漫な少女にしては実に珍しい反応である。
さすがのクリスタも物語から飛び出してきた賢人に見えると緊張するのか、などと啓吾は益体もないことを考えている。
「ほっほっほ。儂などただの老人じゃよ」
「ふぇっ!?」
「ふふ、ふふふ。そりゃ無茶というものだ」
「そうかのぉ。ま、そんなことはよいか。さ、お嬢さんのお名前を聞かせておくれ」
「え、えっと。クリスタ、です」
「そうか。クリスタ、良い名じゃのう。儂のことはオージン、と呼んでおくれ」
人好きのする優しい笑みを浮かべてオージンはクリスタの頭を撫でた。
撫でられている少女はよほどに驚いているのだろう。
凝然として動けずに、狐耳と尻尾が総毛立ってまっすぐ上を向いている。
やがて手を下ろしたオージンは片目を瞑りながら口を開いた。
「さて、エリアス、クリスタ。話は母君の夕飯をいただきながらにしようではないか。君たちは実に運がいい。なにせエミリアは他ではちょいといないような包丁の名手じゃからのお」
言いながらオージンは二人を促している。
すでに待ちわびていたのか、食堂には三人を待つヨウシアとエミリアの姿があった。
無論、机の上には夕食が並んでいる。
主菜は香辛料に漬け込んでじっくりと焼き上げた立派なソードラビットの足肉である。
その他にちょっとしたサラダと甘藍の甘みを利かせたスープ、それからモンスのチーズを載せて炙ったバケットが食卓に並んでいる。
「おかえりなさい」
「おかえり、エリアス。クリスタもご苦労さま」
「ただいまっ!」
「ただいま」
笑顔で迎えた両親にしかし啓吾は少し違和感を覚えていた。
一見、なんでもない表情であるが、微かな緊張のようなものを二人から感じ取ったのである。
「さ、冷えてしまう前に食べてしまおう。座っておくれ」
食卓に並んでいるのはソードラビットのシチューである。
玉葱と人参、うさぎ肉、それにローリエ、タイム、セージを浮かべてくつくつと半刻ほども煮込んでおいた逸品である。
付け合わせはフランス料理のアリゴにも似たレンタというジャガイモ料理で、モンスのチーズをたっぷりと使った実にもっちりとしたものである。
これにカゴいっぱいのブールパンを加えて今晩の夕食であった。
晩餐は微かな緊張感の中で始まり、しかしそれはすぐに霧散した。
皆が皆、食べることに夢中になってしまったのである。
よほど舌が肥えているはずのオージンすら、最初の一口で感嘆の唸り声をこぼした。
「うぅむ。さすがのご馳走じゃ、これほどの包丁上手は他にはあるまい」
「まあ、お上手」
その顔に満面の笑みが浮かんでいる。
それきり魔法使いは黙り込んで木匙をせかせかと動かし始めた。
よほど気に入ったのであろう。
皺だらけの顔が至福の笑みに歪んでいる。
いつもなら何か言いそうな啓吾とクリスタも、今日はかぶりつかんばかりに皿へ顔を寄せている。
レンタのチーズと芋の割合が絶妙で、素晴らしい粘りなのである。
口に入れた途端に芋とチーズの甘みと香り、そしてなめらかな舌触りがなんとも癖になる。
さすがの啓吾も先の違和感など忘却の彼方に追いやって忙しなく木匙を動かすのが精一杯の有り様であった。
「いや、本当に美味しい。私は素晴らしいお嫁さんをもらったね」
言いながら、満面の笑みを浮かべてヨウシアが顔を上げる。
鉢の中のレンタはすでに綺麗さっぱり消えているあたりがなんとも彼らしい。
「うふ、ふふ。そんなに喜ばれると嬉しいわ」
満更でもない様子でエミリアはコロコロと笑った。
常の仕事ともなると、こういう風に褒められでもしなければ気持ちよく働けぬというものである。
そのあたりヨウシアはよくよく心得た夫と言える。
細々とした家事は言わずとも手伝うし、褒め言葉や礼が自然と出てくるのである。
しばらく、卓上の鉢が空になるまで会話はなかった。
もっともそれは険悪などというものからは程遠い和やかなものである。
今日は脚注がない……(´・ω・`)
【次回投稿】
明日は仕事の都合で投稿ができない可能性が高いです
その場合は明後日の夜9時ごろになるかと
どうぞよろしく




