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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第二章 行きて帰りし旅路
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オーストレームの里 後編

もそっと更新

とうとうあの人が登場


後書きを忘れていたので追加しました


 ミルヤミの店を出て啓吾が向かったのは、牧場である。

 道すがらに稽古場に顔を出して先輩への挨拶も済ましている。

 付き合いがあり兄弟弟子でもあるヤンネ、アンティア、リューリの三人はもちろん、面倒見の良いディックや他の連中も皆一様に啓吾の成人を寿いだ。

 その腕前と人柄が里の戦士たちの間では割と好かれているのである。


 牧場で啓吾を待っていたのはパーヴァリ翁だった。

 オームポール型のパイプを咥える老人は今日も矍鑠かくしゃくとした様子である。


「元気そうだな、爺ちゃん」

「おうよ。おいらにゃアウィたちがいるからな、そうそうおっ死ぬわけにもいかねえのさ」


 にかっと歯を見せて笑う老人に啓吾は笑みを返した。

 あれ以来、アウィのことを一から十まで教えてもらったパーヴァリ翁は少年にとってこの道の師であり友でもある。


「今日は成人の挨拶に、な」

「おぅ、もうそんな時期かよ。それじゃあおいらと一服してくかい?」

「すまん。最初の一服は……」


 そこまで聞いてパーヴァリ翁は広い額をぴしゃりと叩いた。


「そういや、親父さんとなんて前に言ってたっけな。こりゃすまんことをした」

「いや。……そうだな、近いうちに顔を出すよ」

「おう。そりゃ楽しみじゃあねえか」


 呵々として笑う老人の口から溢れる煙はかつてのそれよりもずっと甘い香りのそれである。

 自然と啓吾の顔に笑みが浮かんだ。


 不意に、牧場に龍笛のような澄んだ鳴き声が響く。

 振り向いた啓吾の視線の先にフェローの姿が映った。

 主の来訪に気付いたのであろう。

 駆けてくるその姿はどうにも嬉しそうに見える。


「へっ、フェローも随分と甘えん坊になっちまったなぁ」

「可愛いもんだろ」

「ちげえねえ」


 言い置いて、啓吾はひらりと柵を乗り越え牧の中に降りた。

 すぐに辿り着いたフェローが主の体に顔を擦り付ける。

 啓吾が囁き、フェローが小さく鳴く。

 傍目からは分からないが確かに通じ合っているのである。


 しばらくしてパーヴァリ翁を振り向いた啓吾が大きな声を挙げた。


「爺ちゃん!」

「どうしたんでい?」

「このままフェローを連れてくよ。ハミル湖にも挨拶に行ってくる」

「おうよ!」


 老人は頷きを返して牧の入り口を開く。

 じきに啓吾の乗ったフェローがそこから出てきた。


「帰りはそう遅くならないと思う」

「待っといてやろうじゃねえか」


 啓吾の手がフェローの首元を軽く叩いた。

 みるみるうちに消えゆく彼らを、老人はパイプを咥えたままで見送った。




 パーヴァリ翁に鍛えられた啓吾の腕は確かである。

 ハミル湖に至るまでの騎乗にも危うさはない。

 必要ならば曲芸乗りもできるほどに熟達したのは彼の卓越した素質なのか、よほど師が変人なのか、それともその両方なのか。


 辿り着いたハミル湖の前には相も変わらず白い勿忘草わすれなぐさが咲き誇っている。

 紫丁香花むらさきはしどいに側でフェローから降りた啓吾はそこで凝然として固まった。


 先ほどまで、確かに勿忘草の原には誰もいなかったはずなのである。

 しかし今の啓吾には一人の老人の姿が見えている。

 ハミル湖の側に立ち尽くしているその老人からどうしようもない圧迫感を感じているのである。


 傍のフェローは気付いた様子もなく不思議そうに啓吾を見つめている。

 脂汗を垂れ流しながらも、啓吾は重い足を引きずって動き始めた。

 ゆっくりとその老人に近づいたのである。


 彼はこちらに気付いている。

 妙な確信が啓吾にはあった。


「……ふぅむ。大したものじゃ」


 急に、老人からの武威が消え去った。

 驚きに固まる啓吾に老人はゆっくりと振り返る。


 その長身は六尺を優に超えているだろうか。

 胡桃くるみ色の着流しのようなものに、くるぶしまである生成り色のローブを着込み、頭の上にはローブと同色で大ぶりのタッセルがついた帽子を冠っている。


 肩から下げた大ぶりな鞄、三尺以上はあろうかという見事な剣、そして右手に持つ不思議な輝きを見せる胡粉ごふん色の杖。

 どれも尋常ではない。


 彫りの深い顔立ちに立派な鼻筋、深い光を宿した萌黄色の瞳が啓吾を見つめている。

 仄かに煌めくような美しい白髪と長い髭も相まって実に神秘的な老人である。


 瞬時に、啓吾はこの老人が誰なのか確信した。


魔法使いウィザード……」


 それは有史以来の種々の文献に名を連ねる不老の賢人。

 広大無辺の叡智と深遠なる魔法を司り、生きる伝説となった蓋世がいせいの英傑が啓吾の目の前にいた。


 老人が頷き、髭に埋もれた口元が徐ろに動き出す。


「左様。わしは世界の理を知る最後の民。安寧を尊び、平和に仕え、災いの知らせを告げために駆けつける使者じゃ」


 にわかに歩みだした魔法使いは啓吾の眼の前で腰を屈めた。

 同じ高さになった思慮深い瞳が細まり、柔和な笑みが浮かんでいる。


「わしにはたくさんの名前があるでの。フロプト、ベルヴェルク、スヴィパル、エイノク、シーズスゲッグ。ドヴェルグからはバフレルと呼ばれ、アルヴはハルティンディじゃった。しかし君には“オージン”と呼ばれたいのお。親しい者は皆、そう呼んでくれる故に、な」


 そう言って魔法使いオージンは啓吾の手を取った。

 皺だらけのその右手は不思議な温かみを少年に与えたようである。


「俺は、エリアス。もしくは橘啓吾。好きな方で構いません」

「ほぅほぅ、良い心構えじゃ。二つの人生を大事にしておるのがよぉく分かるて」

「……ありがとう」

「うむ。それがよい」

「それ?」

「そうとも、儂などに畏まらずともよいのじゃ。ゆるりといこうぞ」


 そう言いながらオージンは片目を瞑って見せた。

 なんとも茶目っ気のある振る舞いに、啓吾は思わず苦笑を漏らしていた。


「そうか。……会えて光栄だ。魔法使いオージン」

「わしもじゃ、若き放浪者よ。ほんに永い時間、君を待ち侘びておった」

「……?」


 意味ありげな視線を寄こして、しかしオージンはすぐに背を伸ばした。

 その目は遠くアルプ霊峰の方を睨んでいる。


「さてさて是非ともゆっくりと語らいたいところじゃが、今は急ぐとしよう。それというのも、取り急ぎアルトゥーリに伝えねばならんこともあるでな」


 唐突に、オージンが指笛を響かせた。

 どこからか走り寄る馬蹄の音が聞こえる。


「すまぬがわしは先に行かねばならぬ。すぐにまた会うことになろう、今はさらばじゃ」


 直後であった。

 やにわに連銭葦毛れんせんあしげの立派な馬が勿忘草の原に飛び込んできたかと思うと、ひらりと舞い上がったオージンの体がどこをどうしたものか馬上に収まったのである。


「それとスフュレリアには頼み事をした故に今は留守じゃぞ。日を改めて来るがいいじゃろう」

「……あ、ああ」


 啓吾はそう言うのが精一杯であった。

 次の瞬間にはオージンに促されて馬は走り去って行ったのである。


「なんというか、嵐のような御仁ごじんだな」


 もしもこの時の啓吾の感想をパーヴァリ翁が聞いていたら、吹き出したのは間違いがない。

 まさに、

『おめえさんが言うかよ』

 なのである。


 やがて気を取り直した啓吾は短剣に手をかけて、止めた。

 魔法使いの言葉を疑うほどのこともない。

 また次の機会でもスフュレリアならば怒りはしないだろう、と思ったのである。


 啓吾は待ち惚けていたフェローに二、三言謝ってから騎乗した。

 挨拶は、ここで最後である。


(さて、帰るか……)


 踵を返した啓吾はそこで妙なものを見た。

 つい先ほど別れたばかりのオージンがかなり遠くながら立ち止まって少年の方を向いたのである。

 徐ろに魔法使いの大声が響き渡る。


「忘れておった! 成人、おめでとう!!」


 一瞬、唖然としてしかし啓吾は口を開いた。


「ありがとう!」


 大きく手を振って、再びオージンは走り去って行った。

 その後ろ姿を眺めながら啓吾は忍び笑いを漏らした。

 どうやらあの魔法使い、悪い人ではないらしい。


【脚注のようなもの】

胡粉色……日本画にも使われる白色顔料が由来。微かに黄味がかった白色。実に美しい。しんなりとした白。

蓋世……史記の項羽本紀より。世を覆い尽くさんばかりの手腕や功名、気力があること。

連銭葦毛……虎葦毛。星葦毛。葦毛に灰色の斑点が混じっている模様、馬。

(葦毛……生まれた時は黒や茶の毛だが数年で白っぽくなっていく毛色)


【次回予告】

里の戦士として力をつけつつある啓吾

多彩な仲間たちとともに少年は剣客として大成していく


次回、エインヘリャル物語『戦士たち』

どうぞよろしく!


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