オーストレームの里 前編
もそっと更新しました
家を出た啓吾はクリスタとサンテリを送りがてら、最初に里長の館を訪ねた。
額には鉢金、腰には例の刀を左に履き、短剣クレドは右に吊って、革鎧の上からいつものトレンチコートで身を包んでいる。
保守的な者が多いこの辺りは依然として厳しい視線を感じるが、それでもかつてのような理不尽からは解放されており啓吾自身もさほどに気にしていない。
三人を出迎えたアルトゥーリは満面の笑みを浮かべており、啓吾を厚く抱擁してその成人を寿いだ。
その職責ゆえに不用意に贈り物も渡すことができない彼なりの気遣いである。
「これからも、サンテリのことをよろしく、な」
「もちろん」
啓吾は皆に見送られて館を出た。
いつもならば彼もまた稽古場に行く前にアルトゥーリの元で学ぶのだが、今日ばかりはそうもいかない。
この里で成人の挨拶とはそれほどに重要なことであった。
その後、少なくない時間を使って気のいい商店の人々に挨拶を済ませてから啓吾は知恵の館に顔を出した。
かつての恩師であるヘンリクに暖かく出迎えられ、相変わらず愛想のないアネルマを交えて昼食を馳走になり、一刻近くも過ごしたようである。
知恵の館を出た時にはすでに日が高く昇っていた。
(これなら、少し寄り道できるな……)
啓吾の足は自然と裏通りに向かっていた。
食料品や日用品の類を商う店が多い表に比べると、こちらは木工品や革細工の工房などが立ち並んでいるようである。
啓吾が足を止めたのは比較的新しい店であった。
木造二階建ての家屋の通りに面した部分が店構えになるように最初から考えられた造りで、入り口の横に下げられた大きな布にはパイプと煙が大きく描かれている。
ここが里で唯一の煙草屋である。
「……いらっしゃーい」
「あはは。相変わらず眠そうだな」
「まーねー」
扉を押し開けた啓吾に気の抜けた声をかけたのは眠たそうな顔の女性である。
この女性、名前をミルヤミという。
わりかし小柄な体に丸っこい顔立ちで可愛らしい容貌で、煤竹色の頭髪からは猪の耳が突き出ている。
半目を開けてぼんやりと虚空を眺める姿はなんともやる気が感じられない。
しかしこう見えてミルヤミは一廉の職人である。
代々続く煙草屋の家系であった彼女は、ドヴェルグ族やアルヴ族から買い付けてそのまま売る商売のあり方に反発して一度は里を出たのである。
その後にどこで何をしたかは彼女以外に知りようもないが、付き合いのあったドヴェルグの伝手を辿って、よほど懸命に煙草の勉強をしてきたのは確かである。
二十年ほどして戻って来たミルヤミは煙草の製造とブレンディングに確固たる腕前を備えており、理解ある父親の賛同もあって店構えも新しく今の商売を始めたのだ。
彼女の生み出す煙草は他にない優美かつ多彩な仕事で、里の好き者はもちろん取引先のドヴェルグやアルヴをも唸らせた。
今や彼女の腕はこの里になくてはならないものである。
が、気だるげに机に頬杖をつくミルヤミにその才気を垣間見るのは難しい。
「今日はどうしたのー? ……ヨウシアのお使いー?」
そう言って首を傾げるミルヤミに啓吾は苦笑を漏らした。
啓吾の出自を気にも留めない彼女の緩さは少年にもありがたいものだが、こういう仕草をされるとどちらが年上か分からなくなるというものだ。
相当の苦労をしてきている大人のはずなのだが。
「いや、成人の挨拶さ」
「おー、おめでとう。それじゃあ煙草がいるねー」
「ああ」
それを聞いてようやくミルヤミは立ち上がった。
そうして部屋のあちこちから小さな樽を取り出して机の上に置き始めた。
樽の側面には数字が焼き付けられている。
この独特の感性を持つ職人は独自のブレンドに番号を振るのである。
曰く、
「……名前とか、面倒くさいしねー」
なのだとか。
「左から八番、十二番、二十七番、三十六番、四十番、四十四番。君が気に入りそうなのはこの辺りかなー」
「ん? 三十六番と言えば父さんのか」
「そうだよー」
啓吾は机の上に置かれた六つの樽をまじまじと見つめた。
この店には数え切れないほどのブレンドが存在している。
どうやってこれだけの種類を管理しているのか、甚だ疑問である。
「……見てるだけじゃ分かんないよー?」
「ああ、うん。すごいな、と思って」
「おおー、褒められた」
「……」
ミルヤミが二ヘラ、と笑う。
啓吾はなんとも言えない苦笑を漏らしながらそれぞれの煙草を検分した。
樽に嵌められたコルクを抜いてその香りを確かめるのである。
ふと、啓吾の脳裏に懐かしい顔が浮かぶ。
前世で成人していた啓吾は、祖父に誘われて時々は煙草を楽しんだものである。
あれで洒落者の月旦はパイプや煙管はもちろん、手巻き煙草や葉巻も嗜んでいた。
その一方で紙巻はほとんど吸わなかった。
祖父に言わせると紙巻も旨いは旨いのだが、
『どうにも紙に入っとる薬剤が臭くてかなわんのだ』
そうである。
たまに吸うかと思えば、わざわざ中の煙草を取り出して好みの紙で巻き直すほどであった。
ともあれ月旦は食や酒のみならず古今東西の煙草にも通じていた。
そのおかげで、歴こそ短いが啓吾もそれなりに煙草を嗜んでいたのである。
「……どうしたの?」
「ん? あ、いや」
ミルヤミの不思議そうな声に啓吾は現実に引き戻された。
すぐに気を取り直した啓吾は、六つの樽から三つを選び出す。
キューバの葉巻にも似た濃厚な風味の八番、前世でもちょっと嗅いだことがないような優雅な香りが漂う四十四番、それから父が愛飲する芳醇な甘味が特徴の三十六番である。
「どれも面白いけど、この三つがいいかな」
「んー。いいチョイスだねー」
「とりあえず三つともくれないか。吸い比べて決めることにするよ」
「別に色々吸い分けるのもいいと思うけどねー」
言いながらミルヤミは樽を片付けると店の奥に消えていった。
ここから窺い知ることはできないが、彼女曰く「もっとしっかりした」保管場所があってそこから頼まれた煙草を取り分けて包むのだとか。
多少時間がかかることを知っている啓吾は近くの椅子を引き寄せて座った。
種々の煙草が混在するこの店の独特な空気が少年は嫌いではない。
ふと、啓吾の顔が店の入り口に向いた。
鋭敏な感覚が、近づいてくる足音を感じたのである。
「ごめんくださいな」
「おじゃましますよ」
開いた扉からよく似た声が二つ響いた。
声に続いて入ってきたのはミルヤミよりもなお小柄な双子、ライノとレイラの兄妹である。その絹鼠色の髪から覗くのは鼠の耳だ。
姿顔立ちばかりか声までよく似ているのに性別が違うのが不思議な二人である。
「やあ、久しぶりだな」
「あれ、エリアスさんじゃないですか」
「ありゃまた、どうしたんですよう」
声をかけられた二人は心底驚いた様子でそう答えた。
この双子、ミルヤミの二つ隣で小物やパイプを拵える工房を営んでいる。
その腕前は大したもので、啓吾の横笛やヨウシアのパイプを見ればわかるように丁寧な仕事ぶりが評判であった。
当然、この双子は啓吾とも仲がいい。
三人はしばらく歓談を楽しんだ。
自然と話は啓吾が両親から贈られたパイプのことに及ぶ。
「ああ、やっぱりあのパイプは二人の仕事か」
「ええそりゃもちろん、精一杯に頑張りましたですよ」
「ええ、そりゃあいい仕事ができました。渾身ですよ」
誇り高いとばかりに鼻の穴を大きくする二人を啓吾はひとしきり褒めちぎると急に黙り込んでしまった。
不意に、いいことを思いついたのである。
さすがに訝しそうに顔を見合わせた双子に、啓吾は弾けるように問いかけた。
「君らの腕を見込んで頼みたいことがあるんだが」
『ほぇ!?』
双子の驚く声が重なった。
「新進気鋭のライノとレイラならどんな緻密な細工もお手の物だよな」
「え、ええ。そりゃまあ」
「あ、バカ兄貴……!」
惚けて答えたライノをレイラが叩く。
職人として安請け合いはするべきでない、と言いたかったのであろうが後の祭りである。
決まり悪げに妹を見やる兄はなんとも言えない表情である。
「いやなに、無茶な頼みはしないよ。実はね……」
楽しそうな顔で声をひそめた啓吾に双子は耳を寄せた。
しばらくして、仕事を終えたミルヤミが三つの煙草を包んで戻ってきた時には三人の密談は終わっていたようである。
笑顔で包みを受け取る啓吾の後ろで、難しい顔の双子が額を寄せ合ってなにやら相談していた。
「んー。お祝い価格でこんなもんかなー」
「……安くないか?」
「今後ともよろしくー」
「ふふ。なるほど、な」
苦笑しながら啓吾は代金を払った。
戦士として魔獣狩りをするようになったおかげで懐はそれほど寒くもないのだ。
ふと、何を思ったのかミルヤミの視線が奥の双子に向いた。
「どうしたのー。二人とも楽しそうだねえー」
ミルヤミに不思議そうに問われ、ライノとレイラは笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、ええ。実に面白い仕事をいただきましたからね」
「ほんとほんと。やりがいのある仕事は好きですからね」
「ふーん」
双子の目は生き生きとしている。
再び机に頬杖をついたミルヤミはいましも店を出て行く啓吾を眺めていた。
「またのお越しをー」
やる気のない見送りの声に、啓吾は右手を上げて答えた。
【脚注のようなもの】
煤竹色……囲炉裏や竃の煙に燻されてすすけた竹のような暗い茶褐色。
絹鼠色……明るい鼠色。ハムスターの一種である絹毛鼠の略から。




