再会 前編
今日、一つ目。あともう一つ投稿予定。
久しぶりの17時更新で申し訳。
フェローの足の速さは大したものであった。
北門から出た一行がハミル湖に着くまで本当にあっという間だった。
紫丁香花の側に降り立ったエリアスは実に嬉しそうに相棒を褒めながら首元をくすぐるように撫でまわしている。
傍で固まった体をほぐしているアネルマはまたしても呆れ気味である。
「ほれ、さっさと済ませなよ。晩飯に間に合わなくなったらどうすんだい」
相変わらずの悪態である。
苦笑したエリアスはフェローに二言三言告げてからアネルマを連れて湖の水際まで進んだ。
涼やかな抜剣の音が勿忘草の原に響き渡る。
変化はすぐに訪れた。
昨日と同じように泡立った水面から姿を現したのはスフュレリアである。
少しばかり意外そうな表情はアネルマがいるからであろうか。
杖に寄りかかる老女は別段驚いた様子もない。
「昨日の今日ですまない、ちょっと時間をくれないか」
『もちろんです。私も、貴方に話したいことがあったもので』
「それは、構わないが……」
ついエリアスはアネルマを振り向いた。
とりわけ気にした様子もない老女は気にするな、と言わんばかりに片手をひらひらと振っている。
『ちょっとだけ、待っていてくださいね』
アネルマに一つ言い置いてスフュレリアはエリアスの手を取った。
『少しの間、私に身を任せてくださいませんか?』
「……ああ」
逡巡の後に頷いてエリアスは力を抜いた。
アネルマは黙って様子を見守るのみである。
スフュレリアに誘われてエリアスが湖の浅瀬まで進んだその時、にわかに彼女の体が仄かに光を宿したかと思うと水面が泡立ち、心地よい春風が少年の体を弄んだ。
直後である。
一際に大きくなった泡がスフュレリアとエリアスを包み込んで消えた。
「はて、どうしたものかね」
落ち着きを取り戻したハミル湖を前に、一人取り残されたアネルマは呟いた。
格段の信頼を置いているのか、取り立てて心配している様子もない。
フェローは紫丁香花の側に座り込んでうたた寝を始めている。
スフュレリアたちが戻るまで休むことに決めた老女は転進して、すぐに立ち止まった。
背後で膨れ上がる気配に、アネルマは杖を握り直している。
気付くと、エリアスはギリシア神殿としか思えぬものの前にいた。
ぼんやりとした仄かに白い輪郭に覆われた空間はかさついた地面とオリーブばかりで中央に聳え立つ周柱式の神殿以外には何も見当たらない。
秩序だった比例関係が生み出す荘厳な彫刻にも似た美しさがその神殿には備わっている。
「ここは……」
『そうですね、“代行者”の社、というのが一番近いでしょうか』
思わず零れた言葉を拾ったのはスフュレリアである。
隣に立つ絶世の美女はどこかいたずらっぽく笑顔を浮かべている。
『驚かれましたか?』
「そう、だな。確かに驚いたけど、少し納得した」
エリアスは目を瞬かせて答えた。
考えてみれば道理ではある。
“橘啓吾”をこの世界に送ったはずの代行者、エリアスが“橘啓吾”の記憶を得た洞窟を守っていたスフュレリア、両者が何らかの関わりを持っていたとしても無茶な話ではない。
その答えが面白かったのかスフュレリアは楽しそうに笑ってから口を開いた。
『ごめんなさいね。騙すような真似をして』
「いや、大丈夫だ」
『ふふ、ありがとうございます』
手を差し出しながら『さあ、行きましょう』と言うスフュレリアに頷きを返しながらエリアスはその手を取った。
すぐに妙な酩酊感とともに風景が揺れる。
直後に、二人の姿が掻き消えて神殿の内陣へと改めて出現した。
事態を理解したエリアスは室内を見渡して、思わず溜め息を漏らした。
ギリシア建築の粋が現れている造りの部屋にはしかし、場違いな内装が設えられていたのである。
両側の壁には人の背ほどもある棚が作りつけられ、その中には無数の本や小物が詰め込まれている。中央にでんと置かれた大きな机はマホガニー製と思われるし、その上にはエミール・ガレの作品にも似たランプや花瓶が並んでいた。
エリアスは呆れた様子を隠しもしない。
スフュレリアがくすくすと笑っている。
「本当に、いい性格をしている」
「褒められると嬉しいねえ」
答えたのは、やはりと言うか代行者である。
以前と全く同じ姿形の青年はいつの間にかエリアスの側に姿を現していた。
言い返す気力もない少年とスフュレリアに椅子を勧めながら代行者もまた腰を下ろした。
「さて、どこから話そうかな」
にこやかに笑う代行者の手には見覚えのあるティーカップが握られている。
見やれば、机の上にはエリアスとスフュレリアの分がある。
(……急かしても仕方がない、か)
思案するように頭を揺らしている代行者を見やりながら、半ば諦念まじりにエリアスは一口紅茶をすすった。
あの時と同じ馥郁とした香りが少年の口の中に広がる。
カップの中が半分ほどなくなった頃、ようやく代行者は徐ろに口を開いた。
「とにかく、まずはおめでとうだね。ちゃんと居場所を手にしたようで僕も嬉しいよ」
千草色の代行者の瞳がエリアスのそれを射すくめた。
堪えきれない衝動に押されて少年は前のめりになりながら口を開く。
「……そのことだが。俺の身体は、魂は、どうなっているんだ?」
詳しく語らなくても、この超越した存在は答えられるという確信を持ってエリアスはそう口にした。
そして確かに、代行者はたったそれだけの言葉で少年の問いかけを正確に理解したのであった。
「安心してくれていい。君は橘啓吾でありエリアスだ」
「……っ!」
「一つの魂が世界を渡り、記憶を封じて新たな生命を吹き込まれたのさ。別々の魂を混ぜたとか、肉体を奪い取ったとか、取り憑いたとか、そういうことでは決してない」
柔らかい笑みを浮かべながら代行者は言葉を続ける。
「君の肉体は橘啓吾の延長線上にあって、その魂は前世から何も変わっちゃいない。今はただ、急に呼び起こされた前世が混じったせいで今の君自身が混乱しているだけさ」
最後まで聞かないうちに、エリアスは天井を見上げた。
万感の思いが渦巻き坩堝のようになった胸の内から少年の瞼に熱いものが噴き溢れる。
しばらくの間、誰も何も喋らなかった。
時折、代行者とスフュレリアがカップを傾ける音だけが響いただけである。
ようやく顔を下ろしたエリアスの目元は袖で拭われ赤くなっている。
無言で、代行者が新たな紅茶を注いだ。
その温もりが少年の五臓六腑にしみじみと染み渡る。
エリアスが落ち着くのを見計らって代行者はゆっくりと口を開いた。
「はてさて、ここからは順序通りに話していこうか」
そう言って代行者は指を三つ立てた。
「僕から君への贈り物は三つだった。まずはそのコート、お祖父さんから君が譲り受けたトレンチコートだね」
もう一方の手がエリアスの着ているそれを指し示した。
それと気付いていた少年は静かに頷く。
「君の転生に際してちょっとあっちから拝借したよ。安心して使えるように魔法もかけた。だから早々ダメにはならないだろうし、君の身体に合わせて大きさが変わるようになっている」
代行者の指が一つ折られ、次は腰元を指し示した。
「次がその刀。君の家に代々伝わっていた古いのがあっただろう?」
「ちょっと待ってくれ」
我慢できずにエリアスは代行者の言葉を遮った。
「確かにこの刀はあれと瓜二つの刃紋だが、俺が知る限りあの刀はもっと短く磨上られて銘も残っていなかった。それにこいつの切れ味は……」
「まあまあ、少し待っておくれ」
言い募る少年を制して代行者は左手を宙に向けた。
途端に一本の刀の映像が空中に浮かび上がった。
その茎にはエリアスも知る名工の銘がある。
「これは君の家にある刀の元々の姿だよ。長さ三尺一寸の大太刀で、来国俊の銘が切られているね。もっとも、僕は鑑定師ではないから本物かどうかはわからないけれど」
空中の像が切り替わり、今度はエリアスの手元にある刀が大きく映る。
映像の中で番指の拵えが外れ、むき出しになった茎には全く同じ銘が切られているのが分かる。
「さっきのをモデルに特別に仕立てたのがこれ、いま君の腰にある刀だ。長さも刃紋も全く同じにね。だからまあ言うなればレプリカになるのかな」
そこまで言うと、急に代行者は苦笑を浮かべた。
「拵えのことは勘弁しておくれ。後から間違えに気づいたんだ」
「それは構わないが……」
「ありがとう。ああそれから、もちろんその下げ緒にも魔法がかかってる」
「……む」
エリアスは片眉を吊り上げた。
不意に、手元にある刀の作者はどうなるのか、という益体も無い考えが浮かんだのである。
来国俊の銘はあるが、作ったのは代行者ということになる。
この刀を“来国俊”などと呼ぶのも妙な話ではある。
「ふ、ふふ。そのあたりは君に任せるよ」
少年の苦慮を見抜いたのか代行者はそう言って笑った。
傍のスフュレリアも優雅にカップを傾けているが、どこか面白がっているのが手に取るようにわかった。
「さて、話を戻そうか」
代行者がエリアスに人差し指を立てて見せた。
同時に宙に浮いていた映像がぷつりと消失する。
【脚注のようなもの】
周柱式……プリプテラル。ギリシア神殿の一般的な形式。中央部分を囲むようにして列柱が並んでいる。
内陣……ナオス。神殿中央、神像を安置する部屋。作中では代行者が好き勝手にいじっていた。
マホガニー……桃花心木。柔らかく加工しやすいため高級家具や楽器に使われる銘木。世界三代銘木の一つ。
エミール・ガレ……アール・ヌーヴォーを代表する芸術家。ガラス工芸だけでなく、家具や陶器のデザイナーでありアートディレクター。経営者としても有能。ガラスパーツをガラスに象嵌する技法や、パチネと呼ばれる錆色に曇らせる技法が特徴。柔らかい風合いと自然物のあしらいが美しい。
(アール・ヌーヴォー……19世紀末から20世紀初頭にかけて起こった美術運動。”新しい芸術”を意味する。)
茎……柄の中にはめ込まれる刀身の根元のところ。刀匠の銘が切られるのもここ。
大太刀……長大な刀のこと。一般的に三尺以上のものを指す。ちなみに太刀は刃を下に向ける拵えをするのが普通。
来国俊……鎌倉時代後期の名工。二字国俊との別人説、同人説は非常に興味深い議論。代表作は愛染国俊や鳥養国俊(二字国俊)、蛍丸や鷹匠切(来国俊)など。




