フェロー 後編
本日二つ目です。あとは閑話を一つ投稿します。
微妙な時間帯で申し訳
アネルマとパーヴァリ翁が息を飲む中、悠々とフェローが歩き出した。
エリアスが落ちる様子はない。
そこそこの速さになっても危うげなく騎乗している。
それは多分にエリアス自身が類まれなるバランス感覚を持っていたのもあるが、それ以上にフェローがその翼を使って足を支えたおかげである。
なにしろ少年の股下ではフェローの巨躯を完全には跨がれていないのだ。
「こりゃあ驚いたね」
「なんてこった。よりによってフェローが……」
アウィの中でも一際気位の高いフェローがエリアスのために配慮し、しかも実に楽しそうに駆けているのである。
やがて牧を一周してフェローがエリアスを乗せたままアネルマたちの前に横向きに止まった。
「ばあちゃん、爺ちゃん、すごいよ! この娘は本当にすごい!!」
エリアスは年齢相応の表情で歓喜を露わにした。
少年を返り見るフェローの目はなんとも慈愛のこもったそれである。
長年アウィを育ててきたパーヴァリ翁はそれが指し示す意味をすぐに理解できた。
「お、おいおい、まさかおめえさん……」
信じられない光景を見上げながらパーヴァリ翁が呟く。
アネルマは察したように天を仰いだ。
どこか得意げな顔をしたフェローの黒々とした目が老人を捉えている。
「爺ちゃん、これでいいのか?」
満面の笑みでそう言うエリアスに、とうとうパーヴァリ翁も限界を超えたようである。
額を押さえながら呵々として笑い出した老人は、瞼に熱いものを湛えながら何度も首を振って答えた。
「これでいいもなにも。上も上、最高の出来でえ。今この時から坊主は最高のアウィ、フェローの主になったんだ。これ以上もねえよ」
言いながら、パーヴァリ翁は誇らしげに胸を張るアウィを仰ぎ見た。
「そうか。……フェローに見合うだけの男になれるように頑張らないとな」
「あたりめえだ、そうでなきゃ俺が承知しねえよ。ったく、おめえさんが忠節を捧げる日がこようとはなあ」
目を細める老人の瞼裏には昔日の思い出が映っているのだろう。
不意に、黙っていたエリアスがフェローの顔を振り返った。
龍笛のような鳴き声が細く響いた。
小さく頷いた少年はパーヴァリ翁の前に飛び降りた。
「爺ちゃ」
「あんだ?」
「フェローがさ、ありがとう、だと」
エリアスは真面目くさった顔色でそう言った。
老人の顔がなんとも言えぬものに歪む。
困った顔を見せた少年はフェローを振り向いて「な?」と端的に尋ねた。
それに、フェローが頷いてみせた。
パーヴァリ翁が唖然として見上げている。
いつの間にか地面に落ちていたパイプをエリアスが拾い上げた。
袖で土汚れを拭いながら、言葉を紡ぐ。
「なんとなく、だけどさ。こいつらの言ってることが分かるんだよ。フェローと仲良くなれたのもそのおかげでさ。みんな、爺ちゃんのことが好きなんだな、いろいろ聞いたよ」
柔らかい微笑みを浮かべて、エリアスがパイプを差し出した。
「フェローは、あんたに救われたって言ってた。全部、爺ちゃんのおかげだから、ありがとうって」
震える老人の手にパイプがそっと乗せられる。
少年はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ああでも、煙草は前のやつがいいんだと。今のはちょっと臭いとさ」
途端に、パーヴァリ翁はひったくるようにして背後を向いてしまった。
パイプを握った右手で顔を拭いながら、
「鞍、……鞍を、持ってこねえと」
と誰にともなく呟いて畜舎の方へと歩いていく。
その小さな後ろ姿を、優しい目をしたフェローがじっと見つめていた。
「……まったく、年寄りをあんまり驚かすもんじゃないよ」
「いや、面目次第もない」
笑うアネルマに、エリアスは頭を掻きながら答えた。
パーヴァリ翁のことにはどちらも触れない。
「ふん。これでもってエリィ坊もますます放浪者らしくなったねえ」
「どういう意味だ?」
「おや、知らないのかい」
心底意外だという風にアネルマはそう言った。
杖にもたれ掛かりながら口を開いた老女の様子は記憶を掘り下げようとしているそれである。
「随分古い文献だけどねえ、海の向こうで七王国ができた頃だったかね……。ともかく、そいつによると魔獣とも会話ができた放浪者がいたんだとさ」
「そっか、納得がいったよ」
言いながら傍のアウィを撫でるエリアスの表情はホッとしたように見える。
気持ちよさそうに体を震わせたフェローは甘えるように少年の首筋に顔を埋めた。
「こんなの前には無かったからさ。正直びっくりはしてたんだ」
「怖いかい?」
「まさか。おかげでフェローに出逢えたんだ、感謝だよ」
「ひっひ、大人物は言うことが違うねえ」
「からかうなよ」
他愛もないことを二人が喋っているうちに、パーヴァリ翁が道具一式を持って戻って来た。
目元が微かに赤らんでいるものの、すでに平常を取り戻したようである。
「すまねえ、待たせちまったな」
気持ちを入れ替えた様子で老人はテキパキと働いた。
エリアスたちが口を挟むほどの間もなく割合しっかりとした鞍、鎧、頭絡、手綱が用意されていく。
安心しきった様子のフェローはされるがままである。
「急ぎらしいから今日のところはこっちでやっちまうが……。エリアス、おめえにも覚えてもらうからな、明日からでも顔を出せや」
エリアスが真剣な顔で頷く。
短い時間で、パーヴァリ翁はアウィの取り扱いを簡単に教えた。
どのみち確りとしたことは覚える暇もないが、賢いアウィならば大まかな指示だけでも移動はできる。
「……とりあえずはこんなとこだ。アニーちゃんもいるからでえじょうぶだろ」
「わかった、助かるよ爺ちゃん」
言いながらエリアスがひらりとフェローに跨がった。
直後に軽く杖を打ち付けたアネルマの体がふわりと浮かび上がり、エリアスの後ろに乗り込んだ。
パーヴァリ翁が満足げに笑みを浮かべた。
その口元に空になったパイプを咥え直している。
「世話になったねえ」
「いんやアニーちゃんの頼みだ。それに、いいもん見せてもらったよ。ありがとよ」
老人の目はエリアスを捉えている。
「こちらこそ、だ。これからもよろしく頼む」
少年は笑みと共に相棒の首筋を軽く叩いた。
高らかなフェローの鳴き声が牧場に響く。
軽やかな足音と共に進み出した彼らの姿はあっという間にパーヴァリ翁の視界から消えていった。
「まったく、嵐のような奴らでい」
不敵な笑みを浮かべる老人の脳裏にフェローとの出会いが過っている。
もともと、フェローは珍しい野生のアウィであった。
一際弱い体に生まれついたフェローは森の中で放棄され衰弱しきっていた幼子だったのだ。パーヴァリ翁が助けられたのもたまたまである。
それからずっと、彼がフェローの親代わりであった。
誠心誠意育てた娘が誰よりも強く成長し、アウィの頭になったのはパーヴァリ翁の密かな自慢である。
無意識のうちに胸元を探っていた老人の手が止まる。
先ほどまで吸っていた煙草は畜舎にいた若いのにやってしまったのである。
ドヴェルグ族が嗜む強い味わいだったそれは出物が少ないのだが後悔はない。
近いうちに煙草屋のミルヤミを訪ねなければとパーヴァリ翁はひとりごちる。
昔の彼は煙草屋ミルヤミの作る甘い香りと深みのある味が売りの“二十七番”を好んで吸っていた。
それも長いこと連れ添った妻が逝ってからはご無沙汰である。
彼女が生きていた頃は時折、この牧でアウィたちを眺めながら同じ煙草を分け合って吸ったものである。
パーヴァリ翁には子供がいない。
授かりものゆえ気にしなかったが、夫婦にとってはフェローが娘なのだ。
老人は空のパイプをふかす。
苦味のある湿った味がパーヴァリ翁の口の中に広がった。
【脚注のようなもの】
頭絡……馬具の一種。頭部につける。馬銜と手綱に繋がっており、これによって繊細な動作を可能にする。
【次回予告】
アネルマとともに湖にやってきたエリアス
そこで彼が見たものとは……
次回、エインヘリャル物語『再会』
時代おくれの少年剣客が異世界を駆ける!
どうぞよろしく




