フェロー 前編
本日最後の投稿です
中途半端ですが続きは明日で申し訳
オーストレームの里は大小の石材で土壁を覆った壁でもってぐるりと取り囲まれている。
その壁を北へと抜けたところに広がっているのは、長い歴史と共に少しずつ木々を切り拓いた放牧地である。
もとより牧畜に向かぬ土地柄をここまでにしたのは、身を削るようにして尽力した先人たちの賜物としか言いようもない。
この放牧地に面した北門は他のそれよりも一回り大きいもので、里を縦に走る大通りにつながっている。
大通りに入ってすぐ、西に折れ込むようにして牧場への入り口がある。
この牧場が里唯一の畜産施設といえるもので、モンスやアウィスフィラを育てているのだ。
朝方、ぞろぞろと放牧地へ向かう光景はなかなかに壮観なものである。
モンスについては既に触れた。
大型のヤギのような姿で長い顎鬚と太ましい体付きが特徴の獣である。
以前エリアスたちが食べていたエミリアが作った朝食にもモンスの乳から作られたチーズやバターが使われていた。
これらは里の食生活に欠かせない重要なものである。
老衰などで屠殺した場合には筋張った肉も煮込み料理や保存食に使用されるが、やはり重宝されるのはその乳ということだ。
濃厚でクセのある味の乳は食べる餌によって風味が変わるために、それぞれに工夫が凝らされたチーズやバターが商店にも並んでいる。
とはいえ、モンスの姿は既に牧場にはない。
数頭のアウィスフィラと畜産を生業とする者たちに率いられ放牧地へと出て行った後である。
いま、エリアスが約束通りの時間帯に牧場へ入ってきた。
緑色のトレンチコートを身に纏って打刀は背中に回している。
この長さで太刀拵えでもないのだから、さすがに腰に履くのは難しい。
下げ緒の方から自然に少年の身体に合わせてくれるのだ。背負っていてもそれなりに具合がい。
門を過ぎて奥まったところにあるベンチに腰掛けていたアネルマは少年の顔を見るなりケタケタと笑いながら立ち上がった。
「ひゃっひゃっひゃ。随分と男ぶりが上がったじゃないか」
「まあな」
頰の赤いモミジをからかわれてもエリアスは鷹揚に頷いた。
勲章というほど立派なものでもないが、可愛い妹からもらった親愛の証である。
卑下する気はない。
「いい面構えになったじゃないかい」
「いいのをもらったからな」
「いい子に恵まれたねえ」
「否定はしない」
おどけるアネルマにエリアスは笑顔を返した。
今の心持ちこそクリスタとサンテリのおかげなのだと少年は知っている。
自分が帰る場所が確かにここにあると感じさせてくれたのだと。
あの後、クリスタは恥ずかしさの余り寝所の毛布の中に引きこもりつつも、頰を打ったことを何度も謝りながらも「帰ってきてね」とエリアスに縋った。
その光景がエリアスの頭から消えないのである。
可愛い妹に頼られた以上はなにがなんでも頑張らなければ、などと思えてしまう。
それが無性に嬉しいのであろう。
「ひっひっ、だらしない顔だこって」
「羨ましいだろ?」
「ババアは長生きだから忘れたねえ」
ニヤニヤとした顔を隠そうともしない老婆と、その悪態をものともしない少年が軽口を叩きながら牧場を歩いていく。
奥まった入り口を過ぎれば柵で囲われた牧が正面に見えてきた。
牧を囲うように建てられた木製の畜舎には漆喰や木窓が設えられ、次代の牧畜犬を担うのであろう子犬たちが地面を転がり回る長閑な光景である。
春風が吹き抜けていく開け放たれた畜舎の中は静かなものだ。
当番が黙々と掃除している音だけが響いている。
畜舎を横目に歩く二人が近づいていくのは牧の方である。
ここまで来ればエリアスもアネルマが何を考えているのか気づいていた。
少年の瞳に映るのは柵の中で思い思いにくつろいでいるアウィスフィラの姿である。
アウィスフィラ。
親しみを込めて“アウィ”と呼ばれるその存在はこの里になくてはならないものだ。
体高は八尺余り。
巨大な鶏にも似たずんぐりとした体に鋭い嘴を持つ涼やかな顔立ちで、雄の頭頂には美しい鶏冠が見事なものである。
その体は白や黒、茶を基調とする羽に覆われており、二尺ほどもある雉にも似た尾羽が垂れ下がっている。羽に隠された下肢は堅牢な鱗を備えた竜のようなそれで、彼らが鳥獣の枠に当てはまらないことを端的に物語る。
アウィの強靭な足回りは悪路をものともせず、その体に対して小さな翼は空を飛ぶには及ばないものの、力強い跳躍を可能としている。
この里のアニム族にとって彼らは便利な足であると共に頼れるパートナーでもある。
アウィは非常に賢い。
言葉を操ることこそできないが、人の言葉を理解し自分で考えて行動するだけの知性と社会性を持つ特殊な生物である。
温厚な性格ながらも極めて誇り高く、気に入らない者を背に乗せるのを拒む。
そればかりかこれと決めた者がいれば主と定め忠誠を捧げ、その死を看取るその時まで忠節を変えることはないという。
エリアスはこれまでにない近さでアウィの姿を見て感嘆の吐息を溢した。
いっそ耽美なまでの威容は里に暮らす者にとって憧れと言ってもいい。
「見るのは初めてかい?」
「ああ、北庄はできるだけ避けてたからな」
「それじゃ今のうちにじっくりと見ておきな」
アネルマの言葉に甘えてエリアスはアウィをまじまじと観察した。
見れば見るほど不思議な生き物である。
“橘啓吾”としての記憶を持つエリアスは余計にそう思えた。
遠目に見れば鶏としか言えぬ造形にも拘わらず、羽の光沢ある輝きや頑健な足回り、知性を宿した黒い目、エリアスのことを意にも介していない風格、どれを取っても並みの存在でないことを示している。
ふと、エリアスの脳裏にかなり古い文献が過ぎった。
著者の名前も残っていない伝承の一片には、アウィスフィラという生物は神代の頃に竜と鳥の間に生まれたものであると記載されているのである。
その真偽のほどは不明だが、少なからず信憑性を感じるほどにアウィたちの貫禄は凄まじいものであった。
「満足したかい?」
どこか呆れた様子のアネルマに言われてエリアスは我に返った。
「ああ、大したもんだ。例の伝承を信じたくなったよ」
「ひっひっひ、案外ロマンチックだねえ」
「放っておいてくれ。それより……」
言いさしてエリアスは傍の老婆に向き直った。
落ち着くと共に、少年はどうしてか嫌な予感を感じ始めていたのである。
「俺はアウィに乗ったことはおろか騎乗を認められてもいないんだが」
「おやおやおや、もう察してるんだろう?」
「まさかとは思うが、これから認められてこい、と?」
「それ以外にどうするってんだい、ちなみにババアはエリィ坊の後ろに乗るからね」
あまりの無茶にエリアスは愕然とした。
しかしアネルマは気にした様子もなく歩き出している。
【脚注のようなもの】
牧……今作では牧場内にある放牧のための区域。




