帰る場所 後編
本日はこれで最後。
明日、明後日は分量の関係で変則的な投稿になりますがご容赦ください
「ばあちゃん、助かった!」
「まあまあ、ちょいとお待ちよ」
「うぐっ」
アネルマは今にも駆け出しかねない少年の腕を掴んで引き留めた。
どこにそんな力があるのか動こうとしていたエリアスが小揺るぎもしない。
「ちょいとあたしも用があるもんでね、一緒に行くよ」
「おいおい、さすがに足腰に響きやしないか?」
「こりゃお世話さま。足は調達する予定だよ」
「まあ、それならいいけど」
「準備もあるから四半刻後に北の牧場においで」
「了解した」
力強く頷いたエリアスは幾分いつもの調子が戻ってきているようにも見える。
満足げに笑ったアネルマは少年の頭をくしゃりと撫ぜると再び口を開いた。
「その間に、エリィ坊はちゃんと覚悟を決めておきな」
「覚悟……?」
「どんな答えを得るにせよ、どう生きるのか考えて選び取るのは自分自身なんだからねえ。あんたを心配している誰かのことを忘れちゃいけないんだよ、人は一人では生きていけないんだから」
そう言って老女は立ち上がると杖をつきながら颯爽と去っていった。
言うべきことを言ったと思ったらさっさと立ち去るアネルマの悪癖を指摘する暇すらエリアスにはなかった。
年齢を感じさせない足取りで老婆がエリアスの視界から消える。
同時にようやく少年は気付いた。
よほど余裕がなかったのだ。
自省しながらエリアスは歩き出した。
裏庭に面した一室の前に来ると、物音が聞こえてくる。
エリアスはやにわにその扉を開け放った。
思わず逃げ出そうとしたのか、奇妙な体勢の二人が気まずそうな笑みを浮かべて出迎えた。
「あ、あははは」
「ごめん、ね?」
寝所にいるはずのサンテリとクリスタである。
アネルマとの会話を盗み聞きしていた反省か二人は素直に謝った。
「まったく」
徐ろに歩み寄ったエリアスの両手がそれぞれの頭を掻き抱く。
「ありがとな、心配してくれて」
「う、うん」
「……お兄ちゃん」
どこか嬉しそうな二人の声を聞きながらエリアスは感謝していた。
こんな自分のことを案じてくれる妹と親友がいることがどうしようもなく嬉しかったのである。
一拍おいて両腕から解放された二人とエリアスは車座になって腰を下ろした。
「まあ、あれだ話は聞こえてただろ?」
「えっと、だいたいは……」
サンテリが申し訳なさそうに答え、クリスタは難しそうな顔で静かに頷いた。
「聞きたいこと、あるか?」
あえてそう言ったエリアスに、クリスタが重い口を開いた。
「私は……、お兄ちゃんのことが聞きたい」
「俺のこと?」
「うん。お兄ちゃんが何を不安に思ってたのか、なんで傷ついてたのか」
「……クリスタ」
少女の強い眼差しにエリアスはもちろんサンテリまでもが息を飲んだ。
開いていた窓から春先の爽やかな風が室内を吹き抜ける。
ハッと吐息を漏らしてエリアスの口が動き出す。
「俺はさ、父さんも母さんも大好きなんだよ。クリスタが可愛くて仕方ないし、サンテリといるとすごく楽しい」
唐突な独白に、二人は目を瞬かせながらにわかに顔を赤くした。
その様子に堪えきれないような笑みをこぼしてエリアスは言葉を紡ぐ。
「本当に幸せなんだ。人間に生まれて面倒なことだってあるけど、こんな恵まれた環境に居られることがこの上なく嬉しいんだ。……だけど」
言いさして天井を見上げたエリアスの視界に“橘啓吾”の人生が幻視する。
「今の俺には橘啓吾って名前の前世の記憶があるんだ。嘘にできないくらいには実感も思い入れもあって、どうしたって捨てられやしない。どっちが自分自身なのかも分からない」
再び降りてきたエリアスの視線がしっかりと二人を見つめる。
「俺がエリアスならいい。でも“啓吾”が本当の俺なら、もしもエリアスを乗っ取っているなら、俺はそれが怖い。紛い物がみんなを裏切ってるんじゃないかと思うと、それが怖い」
言い切ってエリアスは目を閉じた。
痛い沈黙が部屋に落ちる。
沈痛な面持ちで俯くサンテリの顔色は見えない。
と、同じように俯いていたクリスタがどこか不穏な雰囲気を醸し出しながら口を開いた。
「それで、ぜんぶ……?」
「そう、だな。結局のところ俺が悩んでたのはそれが全てだとっ……!?」
「ばかぁぁあああ!!」
クリスタが大声を挙げたのと、その右手が勢い良く振り抜かれたのはほとんど同時であった。
快音と共にエリアスの体が横に飛ぶ。
目を閉じていて咄嗟に対応できなかったとはいえ、生半可なことではない。
傍観していたサンテリまでもが目を見開いて言葉を失った。
「お兄ちゃんは紛い物なんかじゃないもんっ! お兄ちゃんだからってお兄ちゃんをバカにするのは許さないんだからっ!!」
「ク、クリスタ……?」
「サンテリは黙ってて!」
「はいぃ」
猛烈な勢いで言い募るクリスタにサンテリは文字通り尻尾を丸めて後ずさった。
狐耳から尻尾の先まで総毛立って怒りを露わにする少女の姿は仁王もかくやである。
なんとか起き上がったエリアスも真っ赤なモミジ頬に気にするいとまもなく呆然と妹を眺めていた。
「お兄ちゃんは私を助けてくれたもん! ニセモノはあんな顔しないもん! お兄ちゃんはお兄ちゃんだから……!! だからッ、あんなに苦しんで……!」
掴みかかるようにしてクリスタは兄に抱きつくと、その胸に自分の顔を押し付けた。
抑えきれない嗚咽がエリアスの鼓膜に届く。
「だからっ、そんなこと言っちゃやだよぉ。何があってもお兄ちゃんはお兄ちゃんだもん、どっかに行っちゃやだよっ!」
「クリスタ……」
確かな温もりがエリアスの冷え切っていた身体に染み入っていく。
震える両手で、少年は胸元の妹をしっかりと抱きしめ返した。
黄金色の狐耳がエリアスの頬を優しく撫でる。
「エリアス」
サンテリの柔らかい声にエリアスは顔を上げた。
真剣な面持ちの親友が鼻を掻きながら言葉を続ける。
「なんていうか、さ。僕も君が紛い物だなんて思わないよ、やっぱりいつも通りのエリアスだもんね」
「そう、かな」
「うん。それにさ、もしも君がケイゴって人だとしても、エリアスが消えたわけじゃないんだと思うんだ。それならやっぱり君は君だよ」
「……そうか」
「まあ僕だって、クリスタが目を覚ましてくれたんだけどさ」
そう言ってサンテリは照れたように笑った。
言葉にならない泣き声をこぼし続ける妹を感じながら、エリアスは頭の中がすっきりとしていくのを自覚していた。
理屈ではない。
受け入れてくれた、そう思えた時に少年の中に燻っていたものが不思議と消え去って陽だまりのような安心感が溢れ出したのである。
「なあ、クリスタ、サンテリ」
「なんだい」
「ありがとう」
エリアスの瞼から零れたものがクリスタの髪を濡らした。
今回は脚注がお休み……(´・ω・`)ショボーン




