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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第一章 転生した剣客
28/61

密談 後編

本日最後の投稿です

次回は明日の予定


 払暁ふつぎょう、里長の館ではヨウシアとクリスタが軒先を借りて型稽古に励んでいた。


 アルトゥーリはすでに家を出ており、大事をとってベッドに押し込まれたままのサンテリと台所はエミリアが代わりに面倒を見ている。

 昨晩、館を訪れたはずのアネルマの姿は影も形もなく、子供たちは彼女の来訪すら知らない様子であった。


 ふと、前庭に聞こえていた音が途切れた。

 淡々と打ち合っていた二人の剣戟が、ヨウシアの中断で止まったのである。


「……うん、今日はこれくらいにしておこうか」

「えっ」


 稽古中の父にしては珍しく苦笑を浮かべてそう言ったものだからクリスタは仰天した。


「ほら、こっちにおいで。汗を拭おう」

「うん……」


 汲み置いていた木桶と手拭いを取ったヨウシアは前庭に突き出た椅子を指してそう言う。

 クリスタは困惑を隠せないながらも、冷たく湿った手拭いでじんわりと汗ばんだ身体を清めた。

 火照った肌に冷気が突き刺さるような心地よさに、少女は目を細める。


 ひと段落して椅子に背を預けたクリスタは、幾分気持ちがすっきりしているのに気がついた。

 振り向いた視線の先にあるのはゆったりと腰掛けてお気に入りの長いパイプに火を入れようとしている父の姿である。

 いつもの魔法を使っているのか、その口から飛び出た煙は広がらずに上空に消えていき馥郁とした甘い香りだけが前庭に広がっていく。


 堪えきれずにクリスタは口を開いた。


「お父さん」

「うん?」

「なんで止めちゃったの?」


 ヨウシアの大きな手がクリスタの頭を撫でた。

 問いかける少女の耳と尻尾はしょんぼりと項垂れていて、その心情をこれ以上なく表していたからである。

 撫でられる理由が分からずとも、クリスタの尻尾が嬉しそうにゆっくりと揺れ始めた。


「安心なさい。別に悪いことではないから」

「そうなの?」

「そうさ、私がクリスタくらいの頃にはもっと悩んだものだよ」


 座り直したヨウシアが徐ろに紫煙を吐き出した。

 手慰みの魔法が小さな煙の狐を形作り、クリスタを見ながらコテンと首を傾げる。

 自然と笑みを溢した娘にウインクしながらヨウシアは言葉を続けた。


「気にかかることがあるんだろう?」

「うん」

「エリアスのことかな?」

「うん」

「昨日の戦いのことは?」

「それも、あるのかな」

「それも?」

「……うん」


 答える娘の顔色はヨウシアが考えているよりかはずっとマシなものである。

 いくら天真爛漫な気質といえど、昨日のクリスタはやはりどこか無理をしているように見受けられた。

 思案げな父の様子に気づくことなく、クリスタは訥々とつとつと喋り始めた。


「昨日ね、初めて人が死ぬところを見てすごく嫌な気分になったの。狩りで生き物を殺すのとは違って、なんかすごく頭がぐるぐるして気持ち悪くて、吐いちゃって……」


 俯いて思い返しながら喋る少女の顔色は決していいとは言えないのだが、どこか決然としている。


 それが湧き上がる強烈な意志が生み出す信念めいたものが燻っているのだと、ヨウシアはすぐに気付いた。

 それは若き日の彼もまた直面し、咀嚼し、昇華したものであった。


「でも、倒れちゃったお兄ちゃんを手当てしてるうちにね。すごく情けなくなって、私、お兄ちゃん守るって決めてたのに、何にもできなくて、お兄ちゃんは怪我しちゃうし。……だから」


 顔を上げたクリスタの目に確りとした光が宿る。


「強くなりたいって、思った」


 ほんの僅かな間に力強く成長していた娘をヨウシアは優しい微笑みで見つめた。

 自分が同じ年頃に、果たしてこれほどに逞しかっただろうか。


「そうか。クリスタも一人前の戦士になれそうだね」


 わずかばかりの寂寥と満足感にも似た充足を感じながら、ヨウシアは力強く頷いた。

 いつになく真面目な表情でクリスタもまた頷きを返した。

 その顔色にはやりきれない悔恨が滲み出ている。


「私、お兄ちゃんとの約束守れなかった。それなのに、助けてもらって心配ばっかりかけて、何にもできなかった」


 少女の脳裏に過るのは、昨日の兄が見せた表情である。

 気丈な兄が浮かべた泣きそうな顔が忘れられないのだ。


 責められることなど何もないエリアスが傷ついている。

 それがクリスタにはどうしても許せなかったのである。

 バカみたいな我侭だと自分で思いながら、それでも彼女はその考えを捨てられなかった。


 だから、クリスタは昨夜とうとう兄に声を掛けられなかった。

 今にも泣き出しそうに見えるエリアスの横顔に焦燥感を堪えられなくても、もはやどうすればいいのか少女には分からなかったのだ。

 また兄を傷つけるのではないか、それが何よりも恐ろしかったのである。


 坩堝るつぼのようになっている胸懐きょうかいを少しずつ片付けていくかのように、クリスタはゆっくりと父に語った。


 ヨウシアは相槌を打ちながら辛抱強く聞いた。

 そして娘があらかたの胸の内を語り終えたと見たところで静かに口を開いたのである。


「クリスタはつまり、エリアスのことがどうしようもなく心配なんだね」

「……そう、なのかな」

「そうだと思うよ。お兄ちゃんが大好きだからこそ心配でたまらないのさ」

「そうかも、しれない」


 クリスタが困ったような顔で見上げる。

 対してヨウシアは息子を真似て片眉を上げながら言葉を続けた。


「私だって、好きな人には少しでも元気でいてほしいものだしね」

「うん……!」

「ふふ、いい返事だ。大丈夫、きっとクリスタの力が必要になるよ」

「ほんとう?」

「エリアスは……」


 言いさして、ヨウシアは虚空を仰ぎ見た。

 細く吐き出した紫煙が再び狐の形を取ると、彼の周りをぐるぐるとうろつきはじめた。

 それを見るともなく眺めながら、ヨウシアは重い口を開く。


「とても大事なことを悩んでいるんだろうね」

「それって……」

「はて、ね。こればかりはあの子にしか分からない」

「なにか、できないのかな」

「できると思うよ」


 ヨウシアはどことなく満足げに頷いた。


 勢いづいて振り向いたクリスタの側に煙の狐が立ち止まった。

 小さな耳に内緒話でもするかのように口元を近づけ、少女はくすぐったそうに身をよじった。

 卓越した魔法に制御された狐は少しも煙たくない様子である。


「エリアスが私たちの誰かに相談するならきっとクリスタだからね。その時は煩くせずに、よおくお兄ちゃんの言うことを聞いてごらん」

「そんなことでいいの?」


 目をパチクリとさせる娘にヨウシアは苦笑いを返した。


「これが案外難しいのさ。それで、いいかい。話が終わったらクリスタの気持ちを伝えておあげ」

「私の、気持ち」

「そう。それがなによりの薬になるだろうさ、あの子はクリスタが大好きだからね。大事な人がいてくれる、それがどうしようもなく頼もしい時もあるんだよ」

「……そっか。うん」


 思うところがあったのか、クリスタはそれきり黙り込んだ。

 その真剣さに笑みを浮かべヨウシアはパイプを咥え直した。

 口の端から漏れた煙がすうっと上空へと昇っていくのを、彼は目を細めて見送った。


(信じているよ、エリアス)


 どんな悩みを抱き、どんな答えを出したとしても、それでも愛する息子の帰る場所に自分たちがいることを、確かにヨウシアは望んでいた。


【脚注のようなもの】

訥々……口ごもりつつ話すさま。途切れ途切れに話すさま。

坩堝……金属を溶かす壺。転じて、熱狂を表すさま。また、種々のものが混ざり合って混沌としているさま。


【次回予告】

悩みつきないエリアスの元に現れる老女

むきだしの愛情に触れたその時、少年はなにを垣間見るのか


次回、エインヘリャル物語『帰る場所』


時代おくれの少年剣客が異世界を駆ける!

どうぞよろしく


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