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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第一章 転生した剣客
27/61

密談 前編

一つ目。本日はもう一つ投稿予定

遅くなってもうしわけ


「放浪者、か」


 例の如く、口元を撫でながらアルトゥーリは呟いた。

 ヘンリクと三人の戦士たちはすでに辞去している。

 囲炉裏端を囲んでいるのはヨウシア、エミリアとの三人であった。


 静かな室内は熾火おきびに照らされ、小さなはぜる音が宵を歌っている。


「なんとも、雲を掴むような話ではある」

「それはまあ、私達が育てた息子ですから」

「今まで少しもそれらしいそぶりもなかったしねえ……」


 言いさして、ヨウシアはしばし黙った。

 どことなく苦い表情で思い出すのは“放浪者”の名が出た時の息子の顔色である。


 ハミル湖で会ってからというもの、彼は息子の様子にどこか違和感を感じていた。

 はじめは危地に至って大きく成長したのかと思いもしたが、どうにも腑に落ちない。


「どうしたの?」

「ああ、うん。……スフュレリア殿のげんを考えると、あの洞穴で何かあったのかな、とね」


 考えをまとめながら、ヨウシアはポツリポツリと語った。


「ふむ。放浪者としての魂なり記憶なりを宿したか、取り戻したのか」

「でも間違いなくあの子はエリアスよ……?」

「ああ。私もそう思うよ」


 アルトゥーリの言葉に、不安げな顔で見上げた妻の両手をとってヨウシアは優しく撫でる。

 所々の振る舞いやヴァルネリとの遣り取りこそ彼らしからぬ言動ではあったが、食べ方や歩き方、癖一つとってもエリアスは以前と何も変わらなかった。

 言葉にできない確信が、ヨウシアにはあったのである。


「さっきは放浪者としての自覚があるようだったけれど、でもエリアスがいなくなったというのも違うんじゃないかな」


 アルトゥーリの唸り声が虚しく響く。


「はて。となると、一つの体に二つの……。これはまた面妖な」

「きっとエリアスは悩んでるわよね」

「今はただ、待つしかないのかもね。あの子でしか分からないことも、きっとあるのだろうし」


 重苦しい静寂である。

 ぬるくなった茶碗を何とはなしに見つめたり、虚空を睨んだり、各々に沈思黙考している。

 いずれにせよエリアス自身の問題なのである。

 本人が何も語らぬ以上、信じて待つ以外にやりようもない。


 やがて、口を開いたのはアルトゥーリである。


「ともかく、いま考えるべきはエリアスの今後の扱いであろうな」


 敢然としたその顔はすでに里長のそれである。

 エリアスの特異性が表沙汰となった今、それを隠すことは難しい。

 彼を守るためにも早急に今後のことを図らねばならなかったのである。

 ヨウシアとエミリアは厳しい顔色ながらも続く言葉を待った。


「こうなった以上、明日には主だった者を集めて話し合いをせねばなるまい。たとえスフュレリア殿の言葉があってもエリアスを王にという言葉も出てくる」

「その逆も、ですね」


 ヨウシアが指摘したのはエリアスを排斥しようという一派のことである。

 アルトゥーリは頷いてから言葉を続ける。


「ヴァルネリはもちろんとして、二割ほどは敵に回ることになると思っていい」


 ほとんど断定に近い物言いは、彼が卓越した里長であるが故であろう。

 もちろんヴァルネリのように極端なものばかりではないが、やはり人間を嫌い恐れているものは少なくない。


 精霊信仰も有名無実となりつつある人々もいる。

 そういった者にとってはエリアスが危険な人物にしか見えないだろう。


「では、味方は……」

「五割を下回ることはない。この里の信仰は篤い方ゆえ、な」

「けど……!」


 思わずという風に口を開いたエミリアの顔色は蒼白に近い。

 彼女の思うところを理解しているアルトゥーリとヨウシアの表情も依然、暗いものである。


 信仰篤い味方の多くが望むのはエリアスが王として立つことであり、過激なものは人間への報復をも考えるであろうことをこの三人はよくよく分かっていたのである。


 そんなものをエリアスに背負わせたいわけがない。


 それから一頻り、三人は議論を交わしたが良い解決策が出てこない。

 いよいよ子供達を連れて夜逃げしようかとヨウシアが半ば本気で冗談を言ったところでアルトゥーリが溜息を吐いた。


「仕方もない。気がすすまぬがあの人に出張ってもらうしか……」

「すりゃあ、あたしのことかい、アル坊?」


 里長の言葉を遮ったのは嗄れた老婆の声であった。


 三人が振り向いた先には、いつの間にか開いた戸に凭れ掛かるローブ姿の老女がいる。

 それぞれが並外れた達人の不意を突いたのであるから常人であるはずもない。


「……婆様」

「アネルマ殿」


 呆れた様子のアルトゥーリと素直に驚くヨウシアにアネルマは楽しそうにまなじりを下げた。


 老獪な雰囲気を隠さないこの老女こそ、先代のリベラスでありオーストレームの里で最高齢を更新し続けているアネルマその人である。

 赤墨あかすみ色のローブと自分の身長ほどもある老木から切り出した杖を常に身につけ、三毛色の猫耳と尻尾は殆ど白髪に埋もれており色の判別も難しく、分厚い半月型の眼鏡も相まって言葉にならぬ怪しさである。


「おばあちゃん……!」


 頭を下げたヨウシアに構わず、飛び出したのはエミリアだった。

 勢いのまま抱きついた彼女を苦もなく受け止めて、アネルマは優しく微笑む。


 どういうわけかこの二人、とてつもなく仲がいいのである。

 血が繋がっているわけではないのだが、どうにもウマが合うのかアネルマも「おばあちゃん」などと呼ぶのを許しているほどである。

 気難しく、口も悪い老女が明確に好意を示す数少ない例外なのである。

 今も甘えるように抱きしめるエミリアの背中を撫でている様は本当の祖母と孫娘にも見える。


「おうおう、どうしたねエミリア。アル坊にいじめられたかい?」

「婆様、人聞きの悪いことは言わんでくれ」

「ひゃっひゃ、里一番の乱暴者が立派なことを言いおって」

「いったいそりゃいつの話かね……」


 さすがの里長も頭を掻きながらたじたじである。


「さてね、ババアになると物覚えが悪くなるもんでねえ」

「そんなこと言っちゃダメよ、おばあちゃんすごく賢いもの」

「エミリアは優しいねえ。あたしゃ涙が出てくるよ」


 ようやく元気を取り戻したエミリアにおどけて見せながらアネルマは呵々として笑った。

 照れつつも笑顔で戻ってきた妻にヨウシアも笑みを返しながら、アネルマに再度深く頭を下げた。

 この思慮深い老女に彼も頭が上がらないのである。


「ご助成、ありがとうございます」

「ふん。礼ならつまらん話を聞かせたヘンリクに言うんだね。まったくあの子は誰に似たんだかババアをこき使ってからに……」

「ふ、ふふ。そりゃあ婆様に似たんだろうよ」

「ハンっ、言ってくれるね。あたしゃ手伝わなくてもいいんだよ」


 思わず茶々を入れたアルトゥーリを、エミリアの厳しい視線が射抜いた。

 苦笑を漏らしながら里長が軽く頭を下げる。


「ふぅむ、困った。それじゃあ一つ婆様の知恵を貸してもらえないかね」

「最初からそうしときゃいいのさ、まったく」


 悪態をつきながらも、アルトゥーリの話を聞く顔つきは真剣そのものである。

 この里の信仰に寄与し、旗振りもこなしている彼女も他人事ではない。

 ましてアネルマも気にかけている少年が渦中となればなおさらである


 良識と知恵を併せ持つ老女は話を聞き進めていくうちに視線を鋭く光らせると、最後には、

「あたしに考えがある」

 と言い切ったのである。


「結局、スフュレリアはあれせいこれせいと言わなかったんだろう?」

「まあその通りではあるが、呼び捨てというのは……」

「黙ってなアル坊。とにかく、やりようはある。あの子にも少しばかり働いてもらわなきゃならんだろうが——」


 四人の話し合いは夜更けまで続いた。



【脚注のようなもの】

熾火……おこしび。おき。真っ赤に熱された炭火。

赤墨色……朱墨とも。赤みのある墨。朱の粉末をにかわで塗り込まれた墨のこと。


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