第七章:夜天の照明弾、板チョコレートの仁義
テニアン島北部のジャングルに、どす黒い夜のとばりが静かに降りてきた。
だが、その闇は決して長続きはしなかった。
「……っ、まぶし……な、何これ!?」
塚原志保が思わず腕で目を覆うほど、夜空の向こうから凄まじい閃光が炸裂した。米軍が日本軍の得意とする「決死の夜襲(挺身斬込)」を極限まで警戒し、洋上の戦艦や陣地から、コンスタント(一定間隔)に照明弾を打ち上げ始めたのだ。
シュルルル、と不気味な風切り音を立ててパラシュートでゆっくりと落下してくるマグネシウムの光は、熱帯の不気味な原生林を、まるで真昼の太陽のようにおぞましく白々と照らし出していた。
その怪しい白光のなか、宮本晶三補充兵は、九〇式鉄帽を膝に抱えたまま、タコツボの底で静かに夜空を見つめていた。
(……友軍の皆は、どうしたかな……)
晶三の胸の奥に、切ないセンチメンタルな感傷がじっとりと広がっていく。
(お荷物補充兵の自分を、毎日毎日『全部隊の恥さらし!』と理不尽に怒鳴り散らし、何度も何度も容赦なくビンタを張ってきた、あの恐ろしい古参兵の人たちや、鬼軍曹の班長殿……。みんな、あの米軍の上陸の大混乱のなか、まだ生きているのかな。……それとも、本当に僕だけが、こんな泥の穴の中で生き残り、置いていかれてしまったのかな……)
いじめられ、見捨てられたはずなのに、それでも戦友たちの安否を純粋に気遣う晶三の優しい横顔。照明弾の冷たい光に照らされたその寂しげな背中に、志保は現代の冷酷な職場のパワハラ上司の姿を重ね合わせながらも、彼の持つどこか一本筋の通った「無骨な優しさ(武士道)」に、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
志保は晶三の心を紛らわせるように、「……よしっ」と小さく呟き、泥壁に置いた大型バックパックのサイドポケットへ几帳面に器用な手を突っ込んで、ガサゴソと中身を漁り始めた。
出てきたのは、都会のオフィスバッグやアウトドア用のポーチにいつも入っている、お馴染みの現代のアイテムたちだった。
定山渓で飲みかけていた本物の澄んだミネラルウォーターのペットボトル。
デスクの引き出しに忍ばせていた、甘い板チョコレート。
そして、ボトルに入った粒ガムと、お洒落なデザインの現代の電子タバコ(VAPE)――。
志保がそれらを几帳面に膝の上に並べていると、晶三がふっと我に返り、泥まみれの顔をこちらへ向けた。
「……宮本くん? 大丈夫?」
「あ……はい。志保さん、大丈夫ですか? ……南国ですけど、夜のジャングルは、雨上がりで少し……寒いですか?」
晶三は自分の寂しさを隠すように素朴に微笑むと、背嚢の頑丈な紐を過集中モードの手際で解き、陸軍支給の目の詰まったカーキ色の軍用毛布を、おそるおそる志保の肩へと優しく差し出してきた。
「これ、使ってください。お荷物の僕ができるのは、これくらいですから……」
「……ありがとう、宮本くん」
志保は、男の汗と泥の臭いが染み込んだその毛布を素直に受け取り、肩を包み込んだ。スメハラなんて言って悪かったな、と少し反省しながら、志保は自分の膝の上の「宝物」を、晶三の泥だらけの手元へとすっと差し出した。
「宮本くん、これ。……さっきお米食べてないって言ってたし、古参兵のことも気になるだろうけど……少しだけど、どう?」
照明弾の白い光の下で、志保がパキッと小気味よい音を立てて半分に割ったのは、現代の甘いミルクチョコレート。そして、その横に添えられた、煙が出ない不思議な電子タバコ。
それを見た補充兵の宮本晶三くんは、生まれて初めて見る未来の甘味と「神の煙草」のディテールに、ただただ、その純粋な目を皿のように丸くして激しく目を丸くしたのだった。
(第八話へ続く)




