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第六章:青いズボンと、泥まみれのゲートル

「……はぁ? ちょ、ちょっと宮本くん……。あなた、何を唐突に、どストレートなこと聞いてるのよバカっ!!」

携帯天幕を激しく叩くスコールの音のなか、塚原志保(つかはら しほ)は、心臓が口から飛び出そうになるほどの衝撃に、泥だらけの頬を一瞬にして真っ赤(赤面)に染め上げ、狭い蛸壺(タコツボ)の底で完全に唖然(あぜん)とした。

現代の札幌でのOL生活でも、会社の上司や合コンの男たちから、こんなデリカシーの欠片もない空気の読めない質問をぶつけられたことは一度もなかった。

(なんなの、こいつ……っ!? 初対面の、しかもこんなブラックな生き地獄みたいな戦場で、二十五歳の独身女性に向かって年齢だの結婚だの……デリカシーもない、空気も読めない男に言われたくないわよ!)

志保はバックパックを盾のようにギチギチに抱きしめながら、目の前で九〇式鉄帽を脱いでいる晶三を、現代女子としての冷徹な目で上から下まで値踏みするように睨みつけた。

汗と泥にまみれた青白い坊主頭。小作農や漁師の貧しい暮らしで行育が遅れたのか、現役兵にしては背も小さく、鎖骨の浮き出た貧相な身体――。

(――絶対に私のタイプではない。断じて違う。っていうか、もしかしてこいつ、アスペか何かなの……!?)

志保が心の中で烈火のごとく毒突いているのに対し、当の宮本晶三(みやもと しょうぞう)補充兵は、自分がどれほど不躾(ぶしつけ)な地雷を踏み抜いたのか1ミリも理解していない様子で、ただただ首をかしげて「キョトン」と純粋な目を瞬かせているだけだった。この噛み合わない温度差に、志保は怒るのすらバカバカしくなり、深く、長い溜め息を吐き出した。

緊張が切れた途端、炭火ジンギスカンの消化が早まったのか、彼女の胃袋が「ぐぅ……」と小さく悲鳴を上げた。

「……はぁ。もういいわ。宮本くん、私、ちょっとお腹空いたんだけど」

「あ、お腹が空いたんですか? はい、どうぞ。これ、僕の分です」

晶三は根の優しい男だった。彼はすぐに、肩から斜めに下げたキャンバス地の雑嚢(ざつのう)のボタンを外し、その中から、何かゴツゴツとした塊を引っ張り出して志保の前に差し出した。

(――って、ちょっと待って! 泥だらけの手で食べ物触るなよ!! スメハラの上に衛生観念までブラックなのっ!? ――ってか、何これ、非常食かよ!!)

志保が目を剥いて見つめた晶三の手元にあったのは、大戦末期の配給品である、湿気って四隅に薄緑色のカビがポツポツと浮き出た、たった二個の硬い乾パンだった。

お洒落な定山渓のキャンプで、生ラム肉やカマンベールチーズをシャンパンで流し込んでいた志保にとって、それは食べ物というよりは泥の塊にしか見えなかった。

晶三は、そんな志保の驚愕を余計に、自分のひしゃげたアルミの飯盒(はんごう)を愛おしそうに撫でながら、焼き潰れて……いや、素朴な声をボソッと寂しげに響かせた。

「……自分、テニアン島に补充兵として送られてきて以来、もうしばらく本物のお米を食べていません。毎日、このカビた乾パンを先輩たちから奪い合いながら、なんとか生きてるんです……」

「お、お米を食べてない……?」

志保は絶句した。イカ漁師の倅として、函館の豊かな海の幸を食べて育ったはずの二十歳の少年が、この南の楽園で米の一粒すら与えられず「お荷物」といじめられながら飢えに震えている。その生々しい前線の困窮(史実の現実)に、志保の胸の奥がまたチクリと痛んだ。

そんな志保の複雑な沈黙をどう受け取ったのか、晶三は雑嚢を締め直すと、彼女の下半身へと純粋な視線をカチリと向けた。

「……ところで、志保さん。志保さんの穿いている、その鮮やかな青いズボン(高機能アウトドアパンツ)と、その頑丈そうな靴、少し変わってますね? 天女様の国の、特別な軍服ですか……?」

(「「「…………」」」)

志保は、自分の最先端のゴアテックスアパレルを奇妙な目で覗き込んでくる晶三を見つめ、毛布代わりにバックパックを抱きしめたまま、心の中で本日最大級の強烈なツッコミを炸裂させた。

(――ちょっと、泥まみれのゲートル(巻脚絆)に、底の抜けたボロボロの軍靴を履いてる男に、私のお洒落なトレッキングスタイルを言われたくないわよーーーッッ!!!)

熱帯の凶悪な烈日が、雨上がりのジャングルに再びギラギラと差し込み始める中、噛み合わない常識のギャップと強烈な汗の臭いを抱えたまま、札幌の几帳面OLと、函館のお荷物補充兵の二人の奇妙なタコツボ野営生活は、お腹の虫の音と共に、いよいよ予測不可能な方向へと転がり始めるのだった。

(第七話へ続く)

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