第五章:恵みのスコール、度直球の質問
「……はぁ。宮本くんが、あの土方歳三みたいな格好いい男子だったらなぁ……」
上空を飛ぶグラマンの爆音に震えながら、塚原志保は大型のバックパックを胸の前に抱きしめ、狭い蛸壺の底でぽつりと本音を漏らした。
几帳面で綺麗な大卒OLのプライドなんて言っていられない。当たり前だが、命は惜しい。汗臭くて泥まみれの少年兵と密着するのは信じられない屈辱だったが、背に腹は代えられず、志保は仕方なく晶三の掘り広げた泥の穴の奥へと身を縮めていた。
そんな志保の呟きを聞いた宮本晶三は、円匙を握った手をふっと止め、泥まみれの顔の奥の純粋な目を瞬かせた。
「……土方歳三の、お墓と言われている場所なら、函館の自分の実家のすぐ近くにありますよ」
「――えっ!?!? 嘘っ!?」
それまで絶望に白目を剥きかけていた志保の目が、一瞬にしてキラーーーーン!と眩いほどの輝きを放った。現代のOL時代、新選組の聖地巡礼のために何度も函館の称名寺や一本木関門へ熱心に足を運んでいた志保にとって、それは何よりも脳のメモリーを刺激する奇跡のキーワードだった。
晶三は少し照れくさそうに、薄汚れた手拭いで坊主頭を掻いた。
「自分も、歴史は好きです。……家が貧乏だったので、高等科にしか行けませんでしたが……。函館の箱館戦争のお話は、小さい頃からお父さんによく聞かされていました」
(高等科って……高等小学校のこと!? 現代で言えば中学生の年齢で、この子はもう荒波のイカ釣り船に乗って、お国のために南の島へ補充兵として送られてきたんだ……)
恋愛は苦手な志保だったが、晶三の根の優しい声音と、函館の潮の匂いが残る素朴な佇まいに、胸の奥が少しだけツンと痛んだ。
その時、晶三がふっと顎を上げ、九〇式鉄帽の庇の向こうの空を見据えた。風の匂いが、変わった。
「志保さん、そろそろ……恵みの雨が来ますよ」
晶三が三八式歩兵銃を抱えてタコツボの奥へ身を潜めた、まさに数秒後のことだった。
ザァァァァァァァァァーーーーーッ!!!!!
熱帯特有の突風と共に、激しい大雨が容赦なくテニアン島の焦土を叩きつけた。川が1本もないマリアナの珊瑚礁の島において、天から降る雨水だけが唯一の神の恵みだった。大量の雨水があっという間に辺りを水浸しにし、激しい硝煙の臭いを綺麗に洗い流していく。
晶三は手際よく、空っぽになっていたアルミ製の昭5式水筒を泥壕の雨水へと突き出し、慣れた手付きで命の水を補水していった。
それを見た志保も、負けてはいられないと大型のバックパックのジッパーを几帳面に開け、中から一本の細長いギアを取り出した。
白く輝く、現代の最新テクノロジーが詰まったサーモスの真空断熱水筒(魔法瓶)。
「な、なんですか、その鉄の筒は……?」
晶三が目を丸くして見守る中、志保はスコールの激しい雨水をそのサーモスの細い口へと満たしていった。現代の魔法瓶の美しさと機能性に、晶三は「天女様の神の道具だ……」とただただ圧倒されていた。
雨足がさらに強まる中、晶三の漁師の倅としての手際よさが光った。彼は背嚢から、陸軍支給の防水仕様の携帯天幕を引っ張り出すと、不器用なはずの手先を過集中させて、タコツボの入り口の木の根にロープワークでガチガチに縛り付け、あっという間に即席の雨よけの屋根を作り上げた。
「さあ、志保さん。中へ」
「あ……ありがとう、宮本くん」
その驚異的なブッシュクラフト(野営の知恵)のおかげで、志保は激しい雨に濡れることなく、狭い穴の中でホッと一息つくことができた。
ザーザーと携帯天幕を叩く雨音だけが、狭い泥の穴の中に静かに響き渡る。
グラマンの爆音も艦砲射撃の地鳴りも雨のカーテンに遮られ、二人の間に、どこかほのぼのとした、不思議な静寂の時間が流れた。
その、至高の雨宿りの最中のことだった。
晶三は、膝を突き合わせるほどの至近距離で座る志保の泥だらけの顔を、大真面目な顔でじっと見つめ、素朴な声を度直球に響かせた。
「ところで、志保さん。……志保さんって、何歳ですか? ……結婚、してるんですか?」
「「「…………っっ!?!?」」」
あまりにも、あまりにも悪気のない、直球ど真ん中ストレートすぎるプライベートへの切り込み。
「な、ななな……っ、何を唐突に聞いてるのよバカっ!!」
現代の合コンでも会社でも、一度もそんな風に真っ直ぐ訊かれたことのなかった25歳のOL・塚原志保は、心臓が爆発しそうなほどの衝撃に、泥だらけの頬を一瞬にして真っ赤(赤面)に染め上げ、毛布代わりにバックパックをギチギチに抱きしめるしかなかった。
(第六話へ続く)




