小さな邪竜を、堕天使が誘う。
チビナは後悔していた。
本体の姪(?)こと《強欲の罪竜》マリアンの監視役兼世話係になってしまったことを……。
《強欲》を司る竜なだけあって、マリアンは全てを欲しがる竜であった。
美しい物。沢山の財物。美味しい食事。全てを全て、欲しがって。自分ヒトリだけで全てを独占しようとして、際限なく求め続けるという……とんでもない強欲さを有していた。
自分ヒトリが良ければ他はどうでもいい、とも思っているからなのだろう。マリアンは自分の邪魔するモノには容赦なく暴力を振るったし、無理やり従わせようとする。
しかし、ここは邪竜の《箱庭》。《破滅の邪竜》ラグナの膝下だ。彼が本気を出していないから今は無事であるけれど……好き勝手をしすぎれば当然ながら、罰を負うことになる。そして……チビナは世話係として、連帯責任でその責を負わせられる可能性が、とても高い。
(ラグナからのお仕置きなんて! 絶対嫌!)
元は本体の一部だったからだろうか? チビナはラグナがどれだけ容赦ないかが、分かっていた。
だからただ、ラグナからのお仕置きを受けたくなかっただけ。それだけのために、チビナはマリアンの蛮行を阻止しまくった。
ラグナの眷属が溜め込んだ、ラグナのための宝物を奪おうとしたらなんとしてでもそれを阻止して。そこにいるだけで、その存在が自分の気に触ったからなんてどうしようもない理由で《箱庭》の住人を殺そうとしたのを、徹底抗戦して守って。料理を好む眷属に美味しい食事を永遠に作らせようとしたのを、宥めて程々にさせたり。むしゃくしゃしたからという理由で、屋敷や部屋、ついでに他のヒト達にまで八つ当たり── 暴力を振ろうとしたのを自分が身代わりになりつつ防いで。
…………もう本当に。ラグナの言っていた母親と兄弟を殺してでも父親からの寵愛を得ようとした過激さに、納得する暴君っぷりであった。
それでも、マリアンから怪我を負わせられながらもそこまでやったのは。本当に、ラグナからのお仕置きが嫌だったから。ただ単にそれだけの理由でマリアンの邪魔をしまくっただけだったのに。
…………多分。それこそが、一番の悪手だった。
『あぁ……あぁ! お前は、そんなにもわたくしの気が引きたかったの? わたくしの邪魔をしてまで構って欲しかったなんて!』
チビナの小さな漆黒の鱗に包まれた竜体を、緑色と橙色の鱗が混じった仔竜が押さえつける。
至近距離で交わる黄金の瞳は、片方はどこまでも冷静で。もう片方はギラギラという効果音が似合いそうなほどに爛々としていて。
マウントを取られても冷静な様子を崩さない……チビナは心の底から違うと言わんばかりに、ぷるぷると首を横に振った。
『いや、違うけどぉ? マリアンの気を引きたいなんて思ってないし、構っても欲しくないよ』
『なんて、なんて可愛いの! チビナ!』
『ぼくの話、聞いてくんないかなぁ??』
マリアンは自分のことしか考えない竜だった。
だから、チビナがマリアンの邪魔をするのは、マリアンの気を引きたいがためと勘違いしたらしい。
それからだ。マリアンの、異常なほどの執着が始まったのは。
『チビナ! チビナはどこにいるの!』
邪竜の屋敷に幼い声と、破壊音が響き渡る。
チビナが側にいないと、マリアンは八つ当たりで屋敷や部屋を壊すようになった。
『わたくし以外と話すなんて許さないわ!』
その時はただ、邪竜の屋敷の廊下で少し縁のある元人間の淫魔と偶然居合わせて。義理的に軽く挨拶をされ、それに返事を返しただけだった。なのにその相手は、マリアンから死ぬ寸前まで叩きのめされてしまって。
マリアンはそれから、チビナが他のヒトと少しでも話すと、その相手を傷つけるようになった。
『チビナ! よそ見をしないで!』
全然興味が湧かない話を喋り続けるマリアンからほんの少しだけ、視線を逸らしただけだった。それだけなのにマリアンは自分から目を背けるのは許さないと、何度も何度も殴って、尻尾で叩きつけて、爪で引っ掻いて、牙で噛みついてきた。
それを皮切りに彼女と共にいる時に、チビナが少しでもマリアンから目を逸らすと、意識を背けると、それを許さないと言わんばかりに彼女は暴力を振るってくるようになった。
『チビナ、チビナ、チビナ』
『…………』
チビナの自由を奪い。チビナの全てが自分に向いていないと満足しないマリアン。いや、どれだけチビナが側にいようと、もっともっと自分に夢中になれと求めてくるマリアン。
……流石は壊れた竜のヒトリ。《強欲の罪竜》。やはりどこかしら、狂っている。
…………何はともあれ。徐々に、確実に。マリアンに自由を奪われていくチビナは。マリアンの所為で孤立していくチビナは、彼女に対して嫌気を覚えるようになった。
本当に、チビナとしてはマリアンの気を引きたいほど、彼女に興味がある訳ではないのだけど。邪竜から連帯責任で罰を与えられたくないから、世話係おしてマリアンに関わっているだけだと何度も言ったのだけど。そう本竜に言っても彼女は『素直になれないのね!』と自分に都合よく解釈してくるものだから。チビナはいつしかマリアンに何かを言うことすらも諦めた。だって何を言ったって意味がないのだから、話しかけるだけ無駄だろう?
そんな風に……ただただ、マリアンに振り回されて、疲労を蓄積させていく日々。
いつしかチビナはげっそりと疲れ果てて。気づけば喋ることも滅多にしないように、なり始めていた。
チビナに関わるとマリアンに殺されかけるため、他のモノ達がチビナに関わろうとしなくなって。この《箱庭》の中で孤立してしまっていたのも、チビナから喋る機会を余計に奪っていたのだろう。
結局、何が言いたいのかというと……この時のチビナは、精神的に疲れて果てていたのだ。
最強種であるはずの竜が精神的に疲れるのだろうか? ……という疑問、今回は傍に置いておく。
閑話休題。
「ご機嫌よう」
…………驚いたのだ。
マリアンから暴力を振られる可能性があると分かっていながら、チビナに声をかけてきた彼女に。
「お久しぶりです、チビナ様」
さらりと伸びた金髪にキラキラと輝く碧眼、可愛らしい顔立ち。
水色のワンピースドレスに身を包んだ、十六歳ぐらいの少女の名は── 《堕天使》のアリス。
邪竜の眷属である淫魔と恋人になるために、聖なる種族から魔に属するものとした堕天した……元《天使》。
彼女はにっこりと微笑んで。マリアンから逃げて、中庭でボーッとしゃがみ込んでいたチビナの隣に、堂々と座り込んだ。
『…………いーの』
「? 何がです?」
チビナは緩慢な動きで首を傾げて、若干濁った金色の瞳でアリスを見上げる。
『制裁、受けるよ。ぼくと話すと。ぼくといると』
「……。あぁ……マリアン様ですね? 大丈夫です。なんせ、今のアリスは《全知》の力を持ちつつ、《渡界の界竜》様の眷属になったおかげでちょぴっと《界》に関わる力を行使できるようになった最強アリスちゃんなので。世界をちょぉーっとズラしてしまえば、アリス達はマリアン様に見つかりませんよ」
『…………』
いつの間に、そんな力をつけたのか……。チビナはほんの少しだけ、驚く。
《渡界の界竜》とは、《破滅の邪竜》の次に生まれた上位竜のことだ。界竜はその名の通り、《界》を司る力を有しており……数多の世界を旅する竜でもある。
竜の眷属となると、主人の能力の一部を使えるようになる。邪竜の場合は、破壊に特化した攻撃能力が。界竜の場合は、ほんの少しだけ《界》の力を使えるようになるのだろう。
彼女には元々、《全知》── 森羅万象を識る力が備わっているので。《界》の力まで使えるようになった今のアリスはまぁまぁ最強だ。
だからその申告通り……アリスが自分達の周りを世界から隔離していれば、マリアンはフタリを見つけることはできない。見つけられなければ、チビナとアリスが共にいて会話を交わしたことが証明できないのだから、彼女がマリアンの暴力に晒される可能性は低い。
(それならアリスと話しても大丈夫か……)
そう判断したチビナは、気を緩める。
そんな彼の姿を見て、アリスは〝うんうん〟と納得したように頷くのであった。
「やっぱり、お疲れですね。離れたらマリアン様から殴られるのに。それが分かっててもマリアン様から逃げてしまうぐらいですものね」
『…………。そりゃ……疲れるでしょ……。マリアン、横暴だもん……』
「……チビナ様は邪竜様と違って、結構誰かと関わるのが好きですから。だから他のヒト達と仲良くできないので余計に、精神的にキツく感じてるんじゃないです?」
『…………あー……言われてみると、そーかも……?』
本体は花嫁がいればなんでも構わない、花嫁さえいればいい── というタイプだが。
分体は案外、周りのヒト達と関わるのが嫌いではない。
「チビナ様はその仮の名がついたおかげで存在が確立し、こうして今もここにいますけど。元々は帰る予定だった分体ですから。ヒトとの繋がりで存在証明をしたいって、本心では思ってるのですよ」
『……。…………成る程ぉ。だからぼく、ヒトと関わるのが嫌いじゃなかったんだぁ……』
チビナはアリスから告げられた、自分でも自覚していなかった本心に納得する。
チビナは元々、《邪竜の花嫁》の護衛役が終わったら消えるはずだった。しかし、その花嫁が仮の名をつけてくれたおかげで、一個体として存在が強まって。消す方が面倒になったからという理由で消されずに済んだにすぎない。
だから、元々自分は消されるはずだった存在だという無意識の自覚があったから。ここに自分という存在がいたのだと証明したくて。だから誰かの記憶に残るように、ヒトと関わるようにしていた……と。
『案外ぼく、女々しいねぇ〜……。やっぱり、本物の竜じゃないから、かな? 竜らしくないよね、これ』
「そうですね。チビナ様は他の竜とは違って、邪竜様の力を分け与えられて生まれた分体ですから。やっぱり、普通の竜らしくはないのです」
『うん、はっきり言うね??』
「アリス、素直なので」
とはいえ、この世界の……神竜が生み出した竜は、最強種として精神的にも肉体的にも強靭な強さを有する代わりに欠陥を抱えているという異常性を保有しているので、普通とはかけ離れている気もするのだが。
この世界基準で言うなら、チビナは竜らしくないと断言できる。
『まぁ……ぼくが竜らしくないのはこの際仕方ないとして。んで? なんでぼくに声をかけてきたの?』
「おっと、いけません。本題を忘れるところでした」
(んな訳ないでしょー……《全知》持ちが……)
チビナは白々しくそう言ってくるアリスに、思わずジト目を向けてしまう。
《全知》は過去、現在、未来だけでなく。本当に全てを識る力だ。識ろうとすれば、遠く離れた世界の出来事だって、身近なヒトの心の内だって。神のことすら、世界の理すら見抜く。
そんな《全知》持ちのアリスが本題を忘れるなんてあり得ない。この会話ややり取りは全て、彼女の識っている通りに進んでいるはずだ。
「ふふっ、ではチビナ様。本題です」
けれど、アリスはチビナに見抜かれていることすらも見抜いて、笑う。
無邪気に。けれど、どことなく恐ろしさを感じさせる笑みを。
「よろしかったら息抜きに、違う世界へ向かわれたらどうでしょう?」
きっとそれは……チビナの運命を大きく変える一言。




