第五話:陰陽寮
昼下がり。
心晴が持ってきてくれた弁当箱を持って、階段を下りる。
「昨日と同じことがあったらまずいからな」
現実の心晴は社会人だが、この世界では学生らしい。
帰ってくる頃には、酉の刻になってしまう。
「仕事か……」
どうやら、この世界には『陰陽寮』が健在らしい。
陰陽師と聞くと、祭祀や呪術を扱う、術師としてのイメージが浮かぶ。
実際は国家公務員であり、今でいえば文部科学省のような機関だった。
暦を作成し天文現象を監視する、当時としては最新鋭の科学技術部門。
明治政府によって、近代化の推進が行われ、廃止された。
「と言うのが、明の姫から聞いた話だ……」
ああ見えて博識らしい。今はソファの上で昼寝をしているが……。
この世界に陰陽寮があるのは、禍津のせいだろう。
旧暦は廃止され、グレゴリオ暦が採用されてはいるが、天文の業務を引き継いだ国立天文台は陰陽寮が管理する機関になっている。
今でも、立派な国家公務員というわけだ。
「まぁ、俺は地方公務員らしいが……」
陰陽寮の仕事は、完全にネットワーク化されており、淡白なものだった。
日報を提出し、返事はビジネスチャットアプリで送られてくる。
「陰陽指数の異常値報告とか、天体の配置とか、頭がパンクしそうだったけど……」
分からないことは、チャットで質問すれば返ってくるが、実態が見えないのが歯痒い。
「地方に左遷された本部の人間なぞ、そんなもんじゃろ」
と、明の姫はムカつく表情で言っていた。
禍津はあくまで自然災害であり、俺たちの世界でいえば台風や地震と変わらないようだ。
陰の気が強くなれば自然発生し、それを陰陽師が理をもって鎮める。
現代社会を生きてきた身としては理解に苦しむが、それを体験している以上受け入れるしかない。
「さて、心晴の家は……」
階段を下りきり、街に出る。
住所は住民基本台帳で調べた。俺にはその権限があるらしい。
地元に比べれば、かなり田舎ではあるが、街の様子は現代と変わらない。
ただ、鬼門から現れる禍津を想定してか、建物の配置はかなり独特だ。
北東から南西に向かって広い空き地があるのは、禍津が通るために元から空いているのか、それとも侵攻の跡なのか……。
思いながら、陰陽寮とは別に設置された役所の横を通り過ぎる。
「方士様、お疲れ様です!!」
職員と思われるスーツ姿の男性が、足を止めて深く頭を下げる。
同僚に対する態度というよりは、上司に対するもの。
「ああ、お疲れ様です」
戸惑いつつも、頭を下げる。
方士様と言う呼び名はなかなか慣れないが……
「方士様、昨日はありがとうございました」
街を歩いていると、そんな風に声を掛けられる。
着ている狩衣のせいだろうか。
「方士のお兄ちゃん!! こんにちは」
小さな商店が並ぶ道を歩いていると、五歳くらいの子供が駆け寄ってくる。
「こんにちは」
足を止め、挨拶を返す。
すると、お店から顔を出した住民の人たちが、同じように近づいてきて挨拶をする。
「方士様、美味しい魚が入ったんだ!! 持って行ってくれ!!」
「方士様、いつもありがとうね」
あっという間に囲まれて、たじろぐ。
どうやら、この世界の俺は住民に慕われているらしい。
それとも、田舎ならではの距離感なのだろうか。
「あ、あの……すいません。心晴の家ってどこですか?」
引き留められたついでに、聞いてみる。
住所ではこの辺りに住んでいるはずなのだが……。
「おお、方士様!!」
おずおずと住民の顔を見ていると、遠くから声を掛けられる。
十人くらいの人だかりが割れ、こちらに手を振りながら歩いてくる人が見える。
「あ……」
それを見て、息をのんだ。
青いシャツにカジュアルなチノパンを履いた中年の男性。
病院で背中をさすったおじさんと、まったく同じ顔をしている。
「あら、方士様。どうしたの?」
呆然とする俺を見つめるのは、おじさんの隣に立つエプロンを付けた女性。
「おじさん、おばさん……」
子供の頃から慣れ親しんだその顔。
だけど、最近は悲しむ姿しか見ていなかった。
「なんだ方士様、俺たちに用か?」
方士様と言う呼ばれ方に違和感があるが、元気そうな姿を見て、目じりに涙が浮かぶ。
「大丈夫? 体調でも悪いのかしら?」
「ああ、いえ……」
おばさんが心配そうに手を伸ばし、慌てて目を拭う。
二人の顔をまじまじと見るが、やっぱり俺の知ってる顔だ。
おじさんは五十代だけど若々しいし、おばさんは顔立ちが心晴に似てる。
おじさんから微かにする煙草の匂いも、おばさんのエプロンからする夕飯の支度の匂いも、なんだか懐かしい。
辛い記憶とのギャップに、泣いてしまいそうで、慌てて口を開く。
「こ、これ……心晴が朝に持ってきてくれて。ありがとうございます」
震えそうになる声。
それでも平静を装って、弁当箱を差し出す。
おじさんとおばさんは顔を見合わせて、にこりと微笑んだ。
「あらあら、あの子ったら朝早く起きてきたと思ったら」
「はは、そういうことか」
お弁当箱を受け取ったおじさんは、少し複雑そうな顔をする。
それを確認しに、他の住民たちが近づいてくる。
「お、もしかして心晴ちゃん……方士様にお熱なのか?」
「あら、そういえばよく神社に通ってるものね」
沸き立つ群衆。なんだか、嫌な予感がする。
「あ、あのー……」
戸惑っていると、住民の目は一斉にこちらに向けられた。
「方士様、独身だったよな」
「え、いや……」
「あの子、まだ学生だけど来年で卒業よ!!」
「えっと……?」
「心晴ちゃんは料理もうまいし、とってもいい子なのよね」
予感的中……。
皆、口々に心晴のプレゼンをしてくる。
「方士様が初めてこの街に来た時、あの子は一度救われてるからな」
弁当箱を見つめ、頭を掻きながらおじさんが苦笑する。
「あの子が一人で逃げ込んだシェルターが、禍津に壊されて……でも、方士様が助けてくれた」
おばさんがこちらを見て、頭を下げる。
なるほど、あの子がみせる熱っぽい表情は、そういうことかと理解する。
しかし、それを行ったのは俺ではなく、もともとこの世界にいた俺だ。
だからこそ、複雑な気持ちになる。
「最初は頼りない方士様が来たって、みんな不安がっていたんだけどね」
「こらあんた、余計なこと言わないの!!」
おばさんに脇を小突かれ、おじさんは申し訳なさそうな顔をする。
久々に見たやり取りが、少しだけ心地いい。
だけど、みんなのやり取りを遠くに感じていた。
この人たちはみんな良い人だ。
そして、そんな人たちに慕われているこの世界の俺も。
それは、俺じゃない誰かの人生をなぞってるに過ぎない。
それに心晴の記憶を失えば、この世界から出ていかなければならない。
あくまで、借りぐらし。
じゃあ俺は、何のためにこの世界に来たのだろう。
「そう言えば……」
考え込んでいると、隣に立つスーツ姿の男性が、訝し気に声を上げる。
「昨日の禍津、今までとは比べ物にならないくらい、でかかったよな」
「え?」
顎に手をあて、神妙な面持ちで言った言葉。
それは、どういうことだろう。
「そうね……二階建ての家より大きく見えたわ」
商店の奥に見える家を見ながら、おばさんが答える。
「禍津って、あのサイズじゃないんですか?」
疑問が、つい口から零れ落ちる。
みんな、一斉にこちらを見る。
「何言ってんだ方士様。あんたが浄化してるだろう?」
「そうそう、三日前だってやってくれたじゃない」
「三メートルくらいある禍津を、二体も相手してたじゃないか」
「は、はぁ……」
三メートルということは、この前でた禍津の半分以下のサイズ。
禍津の出現数が一体とは限らないというのは、レポートでも読んだ。
「にしても、昨日の方士様は凄かったなぁ。俺は職員だから、役場から見てたけど、いつもと術のキレが違っててさぁ!!」
スーツ姿の男性が、興奮したように腕を振り下ろす。
「素早く術を奏上して、あんなに大きい禍津を、二撃で浄化しちまった!!」
「へー、少し前まで頼りなく奏上してたのに……」
「ちょっと、あんた!!」
再び小突かれ、声を上げるおじさん。
頼りない奏上に、昨日の半分以下のサイズの禍津……?
それが、少し気になった。
昨日は戦いに夢中で、深くは考えなかったけど……。
初めて術を使ったのにも関わらず、自然とできていた気がする。
この身体に沁みついているものだと思ったが、そうじゃないのだろうか。
右手を見る。
そこに、特別なものは感じない。
「あれ、みなさん?」
ふと、聞こえる声。
顔を上げて視線を向けると、制服姿の心晴が見える。
白いシャツにチェックのプリーツスカート。肩にはスクール鞄を掛けている。
懐かしい……。
見たことがないデザインだが、学生時代の姿が頭を過ぎる。
「あら、心晴。お帰り」
おばさんに続いて、みんな一斉に挨拶をする。
「心晴、お帰り」
遅れて、俺もそう言って頭を下げる。
「ただいま……って、な、なんで方士様が」
俺の顔を見て、心晴は驚いた顔を浮かべた。
「ああ。今ね。心晴を方士様のお嫁さんにって、話をしてたのよ」
デリカシーなく笑うおばさんに、みんなにこやかに頷く。
「ちょ……」
この人たち、思春期の女の子に向かって何言ってんだ……。
これが、田舎のノリというやつなのだろうか。
げんなりとしながら、心晴へ視線を向ける。
心晴は顔を真っ赤にして震えていた。
「な、何話してるんですかー!!」
心晴の声が、賑やかな商店街を劈いた。




