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第三章:理を紡ぐ者

「待て」




 静かに、だが妙に胸に響く低い声色。


 一歩駆け出した俺は、腕を掴まれたかのように動きを止め、振り返る。


 白い狐が、厳しい目つきで見つめている。




「な、なんだ……?」




 気圧され、おずおずと声を上げた。


 ジッとこちらを見据え、狐はその口元をにやりと吊り上げる。


 笑っているのに目が笑っていない。




「助けたいんじゃろう、あの女子《おなご》を」




 まるで弱った獲物を捕らえた時のような、余裕のある言い方。


 こちらを挑発しているようにも見え、背筋が冷たくなる。


 禍津という脅威も恐ろしいが、この狐も得体が知れない。


 本人は神様と言っていたが……。




「あ、ああ……」




 警戒しながらも、頷く。


 相手の方が、この世界に詳しいのは間違いない。


 余裕のある動きで前に出て、両足を揃えて再び座る。


 こちらを見上げ……




「禍津の対処法は、お主の中に刻まれているはずじゃぞ。のぅ、英優?」




 名前を呼ばれ、ぞくりとする。




「何を言って……」




 反論しようと口を開き、それと同時に引っかかりを覚えた。


 頭の中で瞬く記憶――


 情報が、一気に流れ込んでくる。


 どくんと、心臓が胸の内を強く叩いた。




「ぐっ……!!」




 頭を抑え、俯く。


 確かに、あの化け物についての知識がある……。


 禍津。午後五時から午後七時の間に現れる『この世界』の災害。




「この世界……?」




 心の中で反芻《はんすう》した言葉が引っかかる。




「そうじゃ、ここはお主の居た世界ではない。願いを叶えるために、わしが連れてきた」




 新しい情報に、更に頭は混乱する。


 だけど、なぜだかその説明でいろんなことに合点《がてん》がいった。


 この狐を信頼するかはともかく、若い姿の心晴に禍津という存在。


 さっきまでとは違う場所にいて、俺は法師陰陽師をやっている。


 文字通り、狐に化かされた気分だが、筋は通る。




「この土地は、やがて禍津によって枯れ果てる。そうすれば、お主の想い人も死ぬぞ」




 狐は遠くを見据える。




「死ぬ……」




 嫌な予感を覚えて、振り返る。




「きゃっ!?」




 遠くから聞こえる叫び声。


 心晴は足をもつれさせながらも、必死に前に進んでいる。


 街の中心近くまで進行する禍津が、天に向かって頭を上げた。




「――!!」




 獣の咆哮のような、叫び――


 と言っても、声が聞こえたわけではない。


 代わりに、空気を震わせる衝撃が、強風を起こす。


 辺りを切り裂く甲高い風の音が、禍津の声のように感じた。


 遠くにいるのに、ここまで伝わってくる風圧。


 それによって心晴が体勢を崩し、勢いよく転ぶ。




「心晴!!」




 叫ぶが、声は届かない。


 狐の話を聞いて状況は理解できたが、戸惑いが勝っている。


 仮にここが異世界だとして、誰がそれを信じられるだろう。


 だけど……


 心晴は確かにこの世界に存在している。


 頭の中を掠める、棺桶に入った心晴の姿――


 


「また、心晴を死なせるわけにはいかない!!」




 折角出会えたのに、失うのは嫌だ――


 例えそれが、俺の知っている心晴でなくても。




「どうすればいい!?」




 覚悟を決め、狐に向かって叫ぶ。




「お主の職業は陰陽師じゃ。この世の理を読み、その通りの現象を引き出す存在」




 狐は体を起こし、その場でクルリと一回転する。




「木は燃えて火を生じ、火は燃えて土を生じる……この世は巡る環《わ》の中にあるのじゃ」




 五行思想、この世界の理――


 それを聞いて、頭の中でパズルのピースが組み上がっていく。


 土地勘がないのに方角が分かるように、それはしっかりと身体に沁みついている。


 俺は、禍津を見据える。


 長い手足を伸ばし、近づいてくる異形。


 理解が追い付かない俺を動かす気持ちはただ一つ。




「今度こそ……心晴を護る!!」




 目を閉じて天に祈るように、顔の前で力強く両手を合わせる。


 ぱぁん――


 という小気味いい音が、辺りに鳴り響いた。


 それと同時、中指と薬指を立て、残りの指を組んで印を結ぶ。




「南方《なんぽう》、火徳《かとく》巡り――」




 そう口にした瞬間、イメージとして浮かぶ、赤色の門。


 それを開け放つように目を開き、顔を上げる。




「燃える椿の相生《そうじょう》!!」




 そして、中指が熱を帯びた。


 風が吹き、辺りの木々がざわめく。


 感覚が研ぎ澄まされ、いつの間にか隣に座っている狐が、にやりと笑うのが分かった。


 口にした奏上《そうじょう》と、結んだ印が、この世の理を制御する。


 ぱちぱちと、木が爆ぜる音――


 印を解き、右手を伸ばし、薬指と中指で対象を捉える。




「時は満ち、理ここに在り!!」




 叫んだ瞬間、指の先で炎が巻き起こる。


 それは、サッカーボールのような球体の形をしていた。


 感じる熱。火の粉が顔を掠めるが、痛みはない。




「急々如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》!!」




 叫ぶ――


 刹那、舞い上がる炎が弾きだされた。


 火球は禍津に向かって真っすぐ飛来し、体積を膨らませていく。


 禍津はすぐにその存在に気付き、動きを止める。


 しかし……




「――――!!」




 火球は禍津の身体にめり込み、大きな音を立てて爆発四散した。


 直撃した場所で、燃え上がる炎。


 禍津は痛みに悶えるように手足をばたつかせる。




「薪じゃ、薪をくべよ」




 それを見て、狐は静かに呟く。


 その意図を理解し、俺は再び術を奏上する。




「東方《とうほう》、木徳《もくとく》巡り――」




 力を得るための方向を示し、両手を合わせて薬指と小指を立てて印を組む。




「木を育む雨の相生!! 時は満ち、理ここに結ぶ!!」




 態勢を立て直した禍津が、先ほどまでとは違う、素早い動きで突っ込んでくる。




「急々如律令!!」




 その移動先を読み、地面を指さした。


 すると、地面から樹木が伸び、禍津の足と手を辿って全身にからみつく。




「――!!」




 無理やり前に進もうとするが、蔦《つた》は完全に禍津の動きを封じ込めている。


 だが、それだけではない。




「燃えて散れ!!」




 禍津の身体に着いた炎が、全身にまかれた樹木に引火する。


 狐が言った通り、燃え盛る炎に薪をくべるがごとく。


 油を注がれたような勢いで広がる炎は、あっという間にその全身を包み込む。




「ぐぅおおおおおおおおおお!!」




 言葉を一切発しなかった禍津が、獣のような咆哮を上げて、天に向かって身体を逸らす。


 前に一歩踏み出そうとするが……


 次の瞬間には、黒い霧はたちまち薄くなり、搔き消えていった。




「はぁ……はぁ……」




 力を行使したせいか、息は上がっている。


 しばらくその場で様子を見るが、禍津が再び現れる様子はない。


 侵攻された場所には、しっかりと跡が残されている。


 被害は見たところ、それくらいだろうか……。


 心晴の姿は見えないが、立ち上がってどこかに行く姿は確認できている。




『陰の気の消失を確認しました。住民の皆様は、念のため待機してください』




 スマートフォンが震え、役所につけられたスピーカーから、アナウンスが流れる。


 どうやら、倒しきったらしい。




「疲れた……」




 体力的に……というよりは、精神的に疲弊し、その場に座り込む。


 隣に座る狐は、何も言わずにチラリと視線を向けてくる。


 状況は、ほとんど分からない。


 術を打ち出した手は何事もなく、禍津は掻き消え骸《むくろ》は存在しない。


 高揚感から身体はふわふわとし、夢だと言われれば信じてしまうくらい、頭の中はごちゃごちゃしている。


 ただ、感じたことがない疲れが、この状況を現実だと肯定していた。




「心晴……」




 必死になって助けた者の名を呼ぶ。


 幼くなったその姿は、現実の人間とは別人であることを示している。


 だけど……




「守れた」




 その事実が、心を軽くさせる。


 できるのならば、もう一度話をしたい。


 この非現実的な出来事と現実を結びつけるのは、心晴という存在だけだ。


 あの子はきっと、禍津と戦う俺を励ますために、この場所に来たのだと思う。


 生前も明るい心晴に、どれだけ助けられただろう。




「そう言えば、俺は心晴に何かを渡そうとしていたような……」




 ふと、そんなことを思う。


 生前の心晴は、何かに夢中で、俺はサプライズでプレゼントを買った。


 でも、それは結局渡すことができなくて……




「あれ……?」




 心晴の好きな物……?


 それを疑問に思う。


 サプライズしようと考えていたくらいだから、記憶には残っているはず。


 キャラクターの名前が出てこない。


 色も心晴の趣味に合わせたはずだが……




「確か……好きな色は……」




 その先が、ぽっかりと抜け落ちる。


 まるで元々知らなかったかのように、記憶は黒く塗りつぶされていた。




「言い忘れたがのう……」




 聞こえた声に、隣を向く。


 白い狐がこちらを向き、にたりと笑った。




「術を使うには、代償が必要じゃ」




 そう言った途端、狐の姿が陽炎のように歪む。


 暑い日にアスファルトから立ち上る、熱を持った空気の揺らぎ。


 少しずつその姿は薄くなり、掻き消える。




「な……」




 後ずさり、息をのむ。


 ゆらゆらと揺れる風景の中に、少しずつ別の姿が浮かび上がる。


 それは人の形をしていた。




「無償で願いを叶えるほど、わしはお人好しじゃなくての」




 シルエットのようだったその姿が、次第に鮮明になる。




「当然じゃろ?」




 そう言って首を傾げながら、悪戯っぽい表情で舌を出すのは、少女だった。


 白というよりは、銀髪のセミロングの髪。その頭には、狐のような耳が生えている。


 花魁《おいらん》のように胸元をはだけさせた、派手な色の花柄が入った黒い着物。


 心晴と同じ背丈だが、感じる禍々しさに圧倒される。


 少女はこちらに手を伸ばし、頬を掴む。


 冷たく細い指が触れ、全身が総毛立つ――




「わしが頂くのは……」




 少女は妖しく、舌なめずりをする。




「お主の大切な人の、記憶じゃ」

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