第8話 弟子志願者が殺到、そして誰も口を利かない行列
「師匠!!」
宿の前に整列した十数人が、一斉に頭を下げた。
「やれやれ、朝から騒がしいな」
「おお……! 朝一番のお言葉……!」
「今の『やれやれ』には、三つの教えが込められていた気がする」
「俺は四つ聞き取った」
(数えるな)
俺は一歩、後ずさった。ここは短い言葉で切り抜ける。名前の時と同じで、短ければ通る。
「帰れ」
通った。
静寂が降りた。弟子志願者たちが、ぽかんと俺を見ている。やった。これで解散だ。
「……帰れ、と」
先頭の、背の高い少年が、拳を握りしめた。
「帰れと言われて、帰る者に、道は開けぬ。そういう試練ですね、師匠!」
(待て。呪いに引っかかってないのに、なぜ意味が逆になる)
「さすがは師匠! 弟子入りの第一関門は、拒絶に耐えること!」
「ならば、我らは一歩も退かぬ!」
全員が、その場に座り込んだ。
「俺、決めた。三日三晩、ここを動かない」
「私は、五日」
「……俺、七日」
「張り合うな」
声が出たのは、俺ではなかった。群れの端から、小柄な眼鏡の青年が、ため息混じりにつぶやいた。
「先に言っておくけど、僕は理屈で入門を決めた。師匠の『やれやれ』には、一定の法則がある。ざっと三百例を観察したけど、感情が高まるほど、語尾が硬くなる」
(三百例を、いつ観察した)
「しかも、まだ誰にも気づかれていない法則を、僕だけが見抜いた。これは、弟子として、最高の適性だと思う」
「お前、ただの変態じゃないか?」
「違う。観察者だ」
そんなやり取りの横で、列の一番後ろに、無口な老剣士が立っていた。何も言わず、ただ、腕を組んで、深く頷いている。いつから、そこにいる。
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宿の戸口が、がらりと開いて、ミナが飛び出してきた。
「カイさん! 起き上がっちゃだめって言ったじゃないですか! ……何ですか、この人だかりは」
「やれやれ、勝手に集まっただけだ」
「その言い方、また火に油ですよ」
「師匠の従者の方ですね!」
弟子の一人が、ミナの前に膝をついた。
「いえ、受付です」
「師匠の、秘書官の方ですね!」
「受付です。ギルドの」
「ギルドの重鎮が、師匠付きの……!」
「だから、違います!」
ミナが、頭を抱えた。
そこへ、通りの向こうから、小太りの男が、そろばんを抱えて駆けてきた。
「カイ殿! お目覚めの報を聞いて、馳せ参じました! 『聖人様ご用達』の新商品でございます!」
男が広げた布の上に、並んでいたのは。
『聖人様ご用達・やれやれ印の湯呑み』
『聖人様が着た気分・無欲のマント』
『聖人様の足跡拓本(本物)』
「足跡拓本なんて、いつ取ったんですか」
「昨日のホロ村の分を、村人から買い取りました」
「買い取らないでください」
「売れ行きは上々でして、今朝の分は、すでに完売しております」
「完売」
ミナが、真顔になった。
「それ、肖像権とか、そういうのは」
「聖人様は、金銭に興味がございませんので、問題なく」
違う。興味しかない。口がそう言えないだけだ。
「やれやれ、勝手にしろ。ただし、売上の一割は、俺に」
「承知いたしました! 一割ですな! ……え? 受け取っていただけるのですか?」
しまった。今のは、本音だった。通ってしまった。
「おお……!」
「聖人様が、ついに、金銭を!」
「いや、あれは、売上を寄付に回す布石だ」
「村の孤児院に、全額、寄付なさるおつもりだ!」
(孤児院はない)
商人が、感動で震え出した。
「寄付先は、こちらで探しておきます!」
「いや、そうじゃなくて」
しかし、商人は、すでに走り去っていた。
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その時だった。
人垣の向こうから、一人の中年男が、蒼白な顔で現れた。ギルド近くの武具屋の主人だった。
「か、カイ殿……」
男は、震える足で、俺の前に立った。
「お、お願いがございます。どうか、ご内密に……」
「やれやれ、何の話だ」
「先日、カイ殿が壊された、あの水晶の件で……うちが、ギルドの修繕を請け負った、その……」
武具屋は、青い顔のまま、小声でささやいた。
「請求書を、出したのです。天井の修繕に、大工の費用と、水晶の代替品で……金貨三十枚」
「三十枚」
「国宝のお値段としては、その、破格の安さなのですが、聖人様の怒りを買ったらと、夜も眠れず……」
怒ってない。怒る資格もない。壊したのは、こっちだ。
「やれやれ、気にするな。三十枚、払ってやる」
「……え?」
武具屋が、顔を上げた。
「払って、くださると?」
「やれやれ、……払えるわけがない」
「ほ、払えない、と?」
「やれやれ、金は、持ち合わせていない。だが、いずれ、返す」
武具屋の顔が、真っ白になった。
「持ち合わせが、ない……つまり、金の代わりに、命で支払うと……?」
「何の話だ」
「ひいいいいいい!」
男が、尻餅をついて、後ずさった。
「お許しを! 請求は取り下げます! 水晶の代金も、天井の修繕も、全部、うちで持ちます! どうか、命ばかりは!」
「……言っていない。誰も、命とは」
「聖人様は、金貨三十枚に、本気で怒って……!」
「怒っていない」
「怒っていないとおっしゃる……それが、一番、怖いのです……!」
武具屋は、這うように逃げていった。
(三十枚、浮いた。ありがとう、勘違い)
ミナが、じっと俺を見ていた。
「カイさん、今、ちょっと嬉しそうでしたね」
「やれやれ、気のせいだ」
「はいはい」
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昼過ぎになっても、人は減らなかった。
むしろ、増えていた。
宿の前から、通りの端まで、びっしりと列ができている。最初の十数人は、いつの間にか五十人に膨れ上がっていた。老いも若きも、男も女も、並んで、静かに、俺を見ている。
「……師匠は、まだ、何も教えてくださらない」
「待つのだ。教えとは、背中で語るもの」
「ならば、その背中を、追うしかない」
誰も、口を開かなくなった。
静かだ。恐ろしいほど、静かだ。
俺が一歩、動く。五十人が、一歩、動く。
俺が止まる。五十人が、止まる。
俺は、ひとつ、試してみた。
右に曲がる。五十人が、一斉に、右に曲がる。
左に曲がる。五十人が、一斉に、左に曲がる。
宿の裏手を一周して、元の場所に戻る。五十人が、揃って、一周した。
誰も、何も言わない。ただ、背後から、足音と、呼吸の音だけが、一列になってついてくる。
(怖い。俺が、一番怖い)
「ミナ」
「……はい」
「やれやれ、これは、どうすればいい」
「私に聞かないでください」
ミナは、真っ青な顔で、列の最後尾を見やっていた。
「ギルドの規則に、弟子の項目はないです。昨日、増やしたばかりの『聖人様の昼寝は妨げない』しかなくて」
「やれやれ、それを、弟子たちの前で読み上げるな」
「読んでません」
「……そうか」
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夕暮れ。
結局、俺は宿を出て、ギルドへ向かった。五十人の弟子は、無言で、俺の後ろを、一定の間隔で歩いてくる。
街の人々は、道を空けて、手を合わせて、見送った。
ギルドの扉の前で、足を止める。弟子たちも、止まる。
振り返ると、列の先頭の背の高い少年が、輝く目で、俺を見ていた。
「師匠。今日の教えは、何でしょう」
「やれやれ、解散だ」
「……解散。なるほど」
少年は、深く頷いた。
「解散、というのは、『散って、また集まれ』という意味ですね」
「違う」
「違う、とおっしゃる。つまり、散ったまま、また集まる、と」
「違う」
「……深い」
誰も、解散しなかった。
その時、ギルドの扉が内側から開いて、受付の年配職員が、封蝋の押された、分厚い封筒を携えて出てきた。
「カイ殿」
「やれやれ、何だ」
「王都から、使者が参られました。こちらを、お納めください」
職員が、俺の前に、封筒を捧げた。
封蝋には、王家の紋章があった。
背後の五十人が、一斉に、息を呑んだ。
「……王家から、直々の……」
「師匠が、王に、認められた……」
誰も、何も言わない。ただ、五十人分の視線が、俺の背中に、突き刺さっていた。
(弟子、五十人。王家の封筒、一通。嫌な予感しかしない)
「……ミナ」
「はい」
「やれやれ、開けたくないな」
「開けないと、話が進みません」
「……やれやれ、仕方ない」
封を、切った。
中には、金の縁取りの招待状が、一枚、入っていた。
『王都舞踏会 ご招待状』




