その求人、たぶん普通じゃないです(3)
全3回構成の最終回です。
奈央が帰ると、相談所は急に静かになった。
窓の外では、夕方の街に看板の明かりがつき始めている。机の上には、有瀬が書いた相談記録が残っていた。
そこには、契約書と店長のメッセージを保存すること、学生相談と労働相談へ行くこと、店へ一人で行かないことが短く書かれていた。
どれも、求人アプリを見ていた自分にも遠くない言葉だった。
怪しい相談所なのは間違いない。
でも、奈央を責めなかった。
店長に怒鳴り返すわけでも、謎の力で契約書をどうにかするわけでもなく、スクショを保存して、相談先を決めた。
灯里は鞄を持ち上げた。
「それじゃ、私はこれで」
「何を言う。採用だ」
「えっ!?」
有瀬は当然のように言った。
「この世界の術式検索が速い。私の言葉を途中で止めて確認できる。相談者を責めなかった。非弁結界を読める」
「最後のは普通に貼り紙を読んだだけです!」
「読める者は貴重だ」
「現代日本で、その褒め方は危ないです」
灯里は帰るつもりだった。
かなり怪しい。たぶん今も怪しい。時給はいいが、『呪詛に抵抗のない方』という備考欄は本当だった。いや、本当かどうかはまだ分からない。さっき見えた影は、反射かもしれない。
けれど、奈央が最後に少し笑った顔が頭から離れなかった。
有瀬は相談記録のメモを指で軽く叩いた。
「覚えておけ、灯里。契約書は、ただの紙だ」
灯里は、今日見たメッセージを思い出した。
店長のメッセージには、「契約書に書いてある」「社会人としての責任だ」「親と学校に連絡する」という言葉が並んでいた。
ぱっと見ただけなら、どれもまともそうに見える。
「うまく言えないんですけど」
灯里は机の上のメモを見る。
さっきまで奈央は、店長のメッセージを命令として読んでいた。
返事をしろ、店に来い、契約書に書いてある、と迫られているように見えていた。
けれど有瀬のメモでは、同じ言葉が「保存するもの」「相談窓口に見せるもの」として整理されている。
命令ではなく、相談するための材料になっていた。
「一人で読んでいると命令みたいに見えるけど、誰かに見せるものにしたら、ただの記録になるんですね」
「そうだ。紙もメッセージも、それだけで人を縛るわけではない。一人で抱えさせ、今すぐ従えと言うから縛る」
「だから、一人で隠しておかないで、見せるんですね」
「うむ。外へ出した言葉は、もう奈央だけを縛れぬ」
「……それは、分かる気がします」
灯里が何か言い返そうとして手を振った、その拍子だった。
机の端にあった黄色い付箋が一枚、ふわりと落ちた。
床に落ちるはずだった。
落ちる直前で、付箋は止まった。
空中でぴたりと静止し、紙の端に青紫の文字が一瞬だけ走る。見たことのない文字だった。アルファベットでも、漢字でも、記号でもない。
付箋はそのまま、誰にも触れられずにすっと横へ動いた。
机の上に置かれていた、灯里の履歴書の右上。
何も書かれていなかった余白に、ぺたりと貼りつく。
灯里は三秒ほど黙った。
それから、自分の目をこすった。
「待ってください! 今、付箋、浮きましたよね!? 私、見間違えてないですよね!?」
有瀬は平然としている。
「浮かせた。紙を少し動かすだけの初歩の術だ」
「そこを普通みたいに言わないでください! 私、いま本当に魔法のある職場に採用されたんですか!?」
「求人票には、呪詛に抵抗のない者、と書いてあっただろう」
「呪詛じゃなくて魔法ですよね!? 付箋が勝手に飛ぶなんて、どこにも書いてませんでした!」
「おお、そうか。呪詛ではなく、魔法だな。違いが難しいな。この世界の言葉は」
灯里は履歴書に貼られた付箋を見た。
黄色い紙には、いつの間にか細い文字でこう書かれている。
『三枝灯里、事務補助。試用期間あり』
灯里は深く息を吸った。
「その求人、たぶん普通じゃないです」
有瀬は、少しだけ満足そうにうなずいた。
「だいたい合っている」
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