外伝2:Moments/01
『Two Strange InterestS』に登場する千佳と真雪をメインにした外伝(全4話)です。時間軸としては第3弾のあたりでしょうか。絶妙な距離感を保って生きてきた2人が、互いに踏み込むエピソード。新谷氏も縁の下の力持ちとして頑張ってます!!
あふれる想いを、どうやって伝えればいいのだろう。
相手が近すぎて、私にはその術が分からない。
高校生だった真雪は、近所でも評判の才女だった。
彼女の親は二人とも評価の高い教師。その一人娘である彼女もまた、「真雪」という名に相応しい清楚で色白な美少女であり、高校での成績は常にトップクラス。物事をきちんとこなすので人望もあり、事実生徒会長にも推薦されたのだが、本人は「そんな柄じゃない」とはっきり断った。
自分の意見をはっきり持ち、誰に対しても媚びることのない完璧人。
そんな……一見すると羨ましい境遇の彼女の心情を知るのは、たった一人だけ。
しかもそれは、以前から彼女と親交の深い人物というわけでもなく……つい最近、彼女の自宅にやってきた「彼」――もとい、「彼女」だけだ。
「…………」
どうしたものだろう。
学校から帰ってきた真雪は、リビングで床に胡坐をかき、ぼんやりテレビを見ている「彼女」を見つけて、内心ため息をついた。
以前ヒットしたドラマの再放送を、明らかに無関心な瞳で見つめているだけの彼女。細面の顔は中世的で、とりあえず真雪が貸した黒いロングのワンピースを着ているが、身長が違うので彼女には膝上ミニスカートになってしまっている。
ノースリーブから伸びた腕、そして、スカートからのびるすらりとした足……その所々にある包帯と、そして、まるで無理やり切られたように、毛先がバラバラの髪の毛。それが、今の「彼女」の現状だった。
彼女――千佳との出会いは3日前。彼女の父親が連れてきた傷だらけの彼女の姿に、思わず息を呑んだことを鮮明に覚えている。
そしてまた、千佳が「男」だという事実を知らされたときの衝撃も、忘れられない。
言われて注意しないと分からないほど、千佳は「女性」にしか見えないのだ。
父親の説明では、千佳は親との関係が壊滅的に悪く、このままでは親に殺されかねないという状況のため……彼女の担任である真雪の父親が、彼女の親を説得して自宅に連れてきたのだという。
父親が教え子をかくまう、その話を聞かされたときは、いくら担任教師とはいえやりすぎじゃないだろうかと思った。だけど、千佳の現状と境遇を知ってからは、少し、その想いも変わろうとしている。
性同一性障害。
言葉だけしか知らなかった。ドラマの向こう側にあることで、自分には関係ないと思っていた。
案の定、着の身着のままで逃げてきた彼女は……優しく出迎えた真雪の母親の手を払いのけ、近づけなかった真雪を睨みながら、奥の客間に閉じこもってしまった。
身内だって信用できない千佳が、いきなり出てきた他人に心を許すわけがない。いくら頭で理解していても、自分に何の非もないのに拒絶されては……さすがの真雪も、思わず顔をしかめる。
それから、3日。人間として生きていく以上、空腹にもなるし暇をもてあましたら退屈になる。彼女はその辺の欲望には正直な様子で……部屋からのっそり出てきては、食料をあさったり、こうやってテレビを見たり。
ただ、真雪を含め、この家の人間と自分から関わろうとはしなかった。全てを拒絶する冷たい光で周囲を威圧し、誰も近づけさせないように壁を作る。
こうして鉢合わせすると、家の中に息苦しい空気が広がっていくのだ。
両親の帰りは遅い。最悪の場合、寝るまでこの空気の中で過ごさなくてはならないのだろう。
まるで自分が彼女をいじめている諸悪の根源みたいじゃないか。こっちはいきなり現れた「居候」に、生活環境を半分は奪われて途方に暮れているのに。
息苦しい。
冗談じゃない。
真雪は、正直、この現実が、
「……藤原さん」
限界というか、何というか。
彼女はとりあえずリモコンをとり、千佳が聞き流していただけのテレビを切った。
「ぁっ!?」
強制的に黒くなる画面。彼女が声を上げて真雪を睨むが、真雪は真雪で千佳を見下ろした姿勢で、
「いい加減にしてよ。家の中で安心出来ないなんて、冗談じゃないの」
「悪かったな! 要するにあたしが邪魔なんだろ!?」
初めて聞く声は、女性にしては低音のハスキーボイス。あぁそうだ、千佳は女性じゃなかったんだっけ……と、そんなことを再確認しながら、立ち上がって客間に戻ろうとする彼女の腕を掴んで逃がさないようにする。
勿論千佳は振り向かないが、その背中を見ているだけで……イライラしてきた。
どうして。
どうして私は、彼女と一緒にいる環境を我慢しなければならない?
「誰もそんなこと言ってないでしょう? 関わりたくないならそれでも構わない。だけど、顔をあわせるたびに睨まれたりする私の立場にもなって」
もう、これ以上我慢できない。
普段なら絶対口に出さない言葉ばかりがあふれ出そうとする。
「あなたが自分の問題で悩むのは勝手よ。私は特にあなたと関わる気もないし、それはあなただって同じでしょう?」
生まれて初めて他人を拒絶しようとしている自分。
はっきり物事を言う性格が、少しだけ、あだになってしまいそうだ。
円滑な人間関係だけを望んできたはずなのに、その自分が、自らの手で、ただでさえ壊れやすい二人の関係を粉々に打ち砕こうとする。
「こっちはあなたに生活環境奪われて、それでも我慢してるのよ、なのに……」
思わず口から出た言葉は、普段の彼女からは想像も出来ないほど残酷で、ストレート。
さすがにしまったと表情を渋らせる真雪へ、背中を向けて全てを聞いていた千佳が意地悪な口調で追い討ちをかけた。
「上田先生の娘は、随分ひどいことを言うんだな」
上田先生の、娘。
「上田先生の娘」は、「ひどいこと」を言っちゃいけないの?
……両親が立派だから、子どもも立派にならなくちゃいけないの?
――刹那、千佳の腕を握る真雪の手に力がこもる。
反射的に振り向いた千佳の肩越しに、目を伏せる真雪の姿が飛び込んできて。
「そうね……父さんや母さんなら、絶対こんなこと言わないでしょうね」
分かっていた。
これは、口に出しちゃいけない言葉。
思っていても「私が我慢しなくちゃならない言葉」だったのに。
両親なら、仮に心の片隅でそんなことを考えても……絶対、口にしないのに。
「だって、しょうがないじゃない。私は……親みたいな立派な人格者じゃないんだから」
「……」
親みたいな人格者じゃない、それはつい最近まで、千佳が言われ続けた言葉。
立派だと言われている親と比較され続け、「いつか必ずそうなるように」と、押し付けられた言葉。
千佳はその言葉に反発し続けた。その結果が、コレだ。
沈黙する千佳に落ち着きを取り戻した真雪は、自分自身の自制心のなさに嘆息しながら謝罪する。
「藤原さんに何があったのか、深く立ち入るつもりじゃないの。ただ……私も正直、気を抜けるのが家の中だけになってたから……イライラしてたみたい。完全に身勝手な八つ当たりね、ゴメンなさい……」
真雪はいつも、その言葉に忠実であろうとした。
一歩外に出れば、「上田先生の娘」としての仮面を被らなくてはならない。誰かにそうしろと言われたわけではないが、そんな気がしてしょうがないのだ。
親の顔を潰したくない、それは、真雪の願いでもある。だから、自分が多少苦しくても……頑張ったほうがいい。そして、周囲が望んでいるのが「仮面を被った上田真雪」だというなら、その要望には応えるべきだと思ってしまうのだ。
大丈夫、もう慣れたから。
そう自分に言い聞かせても……やっぱりたまに、苦しくなる。
我慢することは、忘れることじゃない。想いを押しつぶすことなのだから。
真雪は掴んでいた千佳の腕を解放し、軽く頭を下げる。謝られて面食らった表情の千佳も、つられるように頭を下げて、
「あたしも、ごめん……親のイメージだけで、あんたのことを勝手に決め付けてた。サイテーだな」
決まりが悪そうに呟く千佳に、真雪は一瞬目を見開いて、
「しょうがない、わよ……親のイメージって、どうしても付随してしまうのもだし」
「でも、それがあんたを決める理由にはならないだろ? あたしも同じこと言われたらむかつくと思うから……今度から気をつける」
千佳にしてみればごく普通の謝罪のつもりだったのだが、言われた真雪はしばし面食らったような表情をしていて、
「あーあ、どうしてあたし達は、親を選べないのかな」
千佳が嘆くように呟いた言葉で、はっと我に返る。
だけどこれは、どうしても変えられない不条理な現実。千佳が初めて真雪を見たときから思っていたのは、「彼女が自分の家の娘だったらよかったのに」、と、いうことばかり。
真雪を見るたびに羨ましさがあふれ出す。そして思う、彼女のように才色兼備ならば、きっと、親の期待通りに――
そんな、千佳にとっては憧れの対象である真雪は、「確かに、選べたらいいかもしれないけど」と前置きしてから、
「選べたとしても、多分、育つうちにどこかしら嫌になると思うわよ。だったら最初から親を選べなくしたほうが問題も少ないし、それに……」
それに。
彼女は一度呼吸を整えると、千佳を正面から真っ直ぐ見据えて、
「友達を選ぶ楽しみが増えるような気がしない?」
真雪が、千佳に向かって自分の手を差し出す。
その手を握った千佳の、少しはにかんだ表情を見た瞬間、真雪は自分の勘が間違っていなかったことを確信した。
気になっていた、だから必要以上に神経をすり減らしてしまったけど。
少し落ち着いて彼女と向き合えば、改めてこう思える。
私達はきっと、正反対の似たもの同士だ――と。
それから、二人は互いのことを話し合った。
親のこと、これまで生きてきた環境のこと、自分自身のこと。
「……真雪さんは、あたしのこと、どう思う?」
「そうねぇ……私より普通に可愛いと思うけど」
まじまじと見つめられ、千佳は思わず頬を赤くしてうつむ……
「って、そういうことじゃなくて――!」
「あら、可愛いのは得よ。背も高くて肌も綺麗だし、羨ましいわ」
「え……?」
言われたことのない、かつ邪気のない真雪の言葉に、思わず間の抜けた声を出してしまう。
「羨ま、しい?」
「ええ」
「本当に?」
「今更嘘ついてどうするのよ?」
きょとんとした表情の真雪が、嘘をついているとも建前で喋っているとも思えず。
嬉しい。
単純な思いが弾けて、頬が熱くなる。
と、真雪が千佳の包帯を取り替えながら尋ねた。
「藤原さんは……ううん、千佳さん、明日は時間ある?」
「明日?」
「髪の毛、綺麗に揃えに行こう? 私が普段行ってる美容室でよければ紹介する。きっと綺麗に仕上げてくれるわ」
長く伸ばした結果、親から無造作に切られた髪の毛。見解の違いから拘束されそうになって抵抗したときに出来た傷。
苦しかった、親を殺してやろうかとさえ思った。
ただ、その全てが、今、彼女と出会うために必要だったのだとしたら……耐えてよかったと、心から思える。
「……っ……!」
涙が、あふれた。
「え!? あ、ゴメンなさい! 痛かった?」
隣で狼狽する真雪に、言葉が詰まって首を振ることしか出来ない。
「慣れないことを我が物顔でするものじゃないわね。母さんが帰ってきたら、もう一度ちゃんと……」
「ちが、う、から……痛いわけじゃ、ない、からっ……!」
必死に彼女のせいじゃないと訴え、そして、
「あたし……このまま生きてて、いいのかな? あたし、はっ……ふつう、じゃない、からっ……ずっと、いらないって……!」
普通じゃない、生まれてから今まで、一体何度言われてきた言葉だろう。
その言葉と同時に、奇怪なものを見るような視線。
直接言われたわけではない。でも、察してしまう。
お前なんか、この家には必要ないんだ、と。
真雪に抱きついて肩を震わせる千佳を、彼女はそっと、優しく包むように腕を回して、
「他の人がどうなのか、なんてことまで知らない。でも、私たちが他人の「普通」に合わせる必要があるの? 常識と感覚は違う、世間の偏見だけで、誰にも千佳さんを否定する権限なんかないのよ。それに……」
真雪も、認めるしかない。
つい数十分前に手に入れたこの居場所は、予想以上に居心地がよくて……つい数十分前に言葉を交わした「彼女」は、自分が思っている以上に真っ直ぐで、同時に、放っておけない危なさもある。
自分を作る必要がないのは、少し怖いけど……でも、気分が軽い。今までより、部屋に一人でいるときよりも、ずっと。
「……千佳さんになら、遠慮せずに何でも言えそうなの。だから、いなくなってもらっちゃ私が困るわ」
初めて人を――他人を必要とした、真雪はそんな気がしていた。




