第88話:選ばれし手、拒まれし刃
静かな空間に2つの影が浮かぶ。
そして──二人がそこに現れた。
一人は、深く静かな目をした、遠い場所を見ているような人。
もう一人は、こちらを見る目に、温度がなかった。
「……来たわね」
深く静かな目の方が、口を開いた。
声は私の声だった。でも全然違った。
いつもの私が出せない種類の、自信にあふれた声。
「お前が私を閉じ込めていた器か」
温度のない目をした方が、静かに言った。
声は私の声だった。でも全然違った。
いつもの私が出せない種類の、冷たくて鋭い声。
(私が……閉じ込めていた?)
冷たい声の方が、鼻を鳴らした。
「弱い。脆い。怯えてばかりで、何もできない。こんなものが我の続きだと。ふざけおって」
(……私のことを、言っている)
分かっていた。
刀から来た衝動、この人から来ていた。
この人?
何だろう。
この違和感。
「アナタ達は何者なの」
声を絞り出した。
震えていたと思う。
でも、聞かずにはいられなかった。
「私よ」
深く静かな目がさらりと答えた。
「我はお前だ。ずっとそこにあったもの。こうして、あるべき場所に戻った。それだけだ」
「あるべき場所?」
「ええ、その子も私。ややこしいわね。その子も私も、アナタも、1人のアニーよ」
「そんな……私は、私。アナタ達のこと……知らない」
「本当に?」
「え?」
「本当に?」
「……」
返せなかった。
「……切り捨てようとしているでしょう」
深く静かな目の方が、また口を開いた。
こちらを見ているようで、どこか遠くを見ている。
「あなたは今、この子を自分じゃないと思おうとしているわ」
(意味が……分からない。違う……人……他人……私じゃない)
「傲慢な自分を否定して、なかったことにして、そういうおまじないなのかしらね?」
「我を切り捨てることなどできん」
冷たい声が、静かに続けた。
「我を否定するなら、お前を乗っ取り続ける」
「……じゃあ、どうすれば」
「受け入れろ。我は、お前の一部だと」
沈黙が落ちた。
受け入れる。
この人を、自分の一部として?
どういういうこと?
(でも……これが私なら、私はずっとこんなことを思っていたの?)
「ずっとではないわ」
深く静かな目の方が、穏やかでも冷たくもない、ただ静かな声で言った。
「傷ついてきた分だけ、積もったもの。それだけよ」
胸の奥が、じくりと痛んだ。
父の怒鳴り声。
おばさんの笑顔が消えていく瞬間。
教会の使者が帳面を閉じる音。
誰かの期待が、音もなく冷えていく感覚。
そのたびに、どこかで積み上がっていたものがあった。
そうか。
傷つかないように蓋をしていただけだ。
遠ざけていただけだ。
受け止めないようにしていただけだ。
「……ふん。ようやく我がお前であるとわかったか」
「ううん。全然」
「ふん……我ながら雑魚だな」
「でも……頭ではわかる」
声が出た。
「アナタも私だ」
冷たい声の方が、わずかに目を細めた。
驚いている、のかもしれなかった。
「弱い器のくせに」
「うん、弱い。でも、アナタも私だから、それはわかる」
「ま、頭でだけでもわかったのなら、良いんじゃないかしら?」
「……」
「ふふ、素直じゃないのね……」
その時だ。
空間が、揺れた。
薄い光が、少しだけ明るくなる。
世界の輪郭が、揺らぎ始めた。
「……あら、何だかんだで満足したのね」
「駄々を捏ねても仕方あるまい」
(声が出ない。何が起きているの?)
輪郭が、溶けていく。
深く静かな目の方が、最後にこちらを見た。
「メグーちゃんによろしくね」
その声が耳に残る前に、光が広がって──
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
気がついたら、石畳の上に立っていた。
手の平に、何かがある。
見ると、黒い刀が握られていた。
刀身の赤黒い脈動が、今は静かに収まっている。
頭の奥で繰り返していた「殺せ」という声も、消えていた。
「お母さん……!」
メグーちゃんが飛んでくる。
ケビンさんも、オーグさんも、こちらを見ていた。
「え……私、何が……?」
「ううん、大丈夫よ。お母さん」
普段通りの自分の声が出た。
それだけで、なぜか泣きそうになった。
「おう……戻ったか、チンチクリン」
オーグさんが、珍しく静かな声で言った。
「なんか、怖ェ感じだったからな」
私は手の中の刀を見た。
「え、えっと……その……」
言葉が喉につかえ、声が震える。
それでも、ギュッと自分のズボンを握りしめ、勇気を搾り出すように続けた。
「な、何だか……わかりません……けど!」
「けど?」
「ス、スキ」
「好き?」
「わ、私の……スキルになりました……妖刀……がです!」
その瞬間、静寂が落ちた。
逆さまの街の光だけが、私の頬を淡く照らしていた。




