第85話:沈黙の街、蠢く影
夜が明けた。
焼け焦げた血と魔力の残滓が、まだ衣の繊維に染みついている。
仲間たちは朝の光の中で目を覚まし、昨夜のことを少しずつ確かめ合うように口を開いた。
誰も直接は言わなかったが、言葉にできない違和感が、じわじわと胸の奥を侵していた。
「……昨日の魔物たち、やっぱり、どこか普通じゃありませんでしたね」
ケビンさんが、恐る恐る口を開いた。
声はかすれていたが、その一言が、皆の胸に巣食っていた不安を明確な形にした。
「牛鬼も土蜘蛛も、あんな魔物は見たことがねェ。ありゃァ普通の魔物じゃなかったぜェ。……アニーが言ってた霧の魔物も、だがよ」
オーグさんが唸るように言い放つ。
「……そうね。あの子たちの気配、歪んでいたわ。まるで鏡を捻じ曲げたみたいに、あるべき形じゃなかった」
メグーちゃんが静かに続けた。
「魔力の波と言えば良いのかしら、それが他の魔物とは明らかに違っていたわ」
メグーちゃんの言葉に、私は思わず顔を上げた。
「メグーちゃん、魔力の波が見えるの?」
「うん。私がコンテクストマジックを使う時もね。その波に指示するのよ」
「魔力に……波なんてあるんですね」
ケビンさんの声には、驚きと羨望が混じっていた。
「おう、ケビン、おめェ、魔法を使うくせによォ、うんなこともしらねェーのか?」
オーグさんの嘲笑に、ケビンさんは肩をすくめて俯いた。
「そ……それは……すみません」
ケビンさんはしゅんと首を縮めた。
私はそれを見て、少し話を変えようと口を開く。
「メグーちゃんが魔法を使う時、魔力の波と塊を意識するの?」
「うん、それは同じ」
メグーちゃんがさらりと答える。
ケビンさんが目を瞬かせた。
「か、塊?」
「魔法使いの塾頭から聞いたことがある。詠唱ってのァ、言葉の意味に応じた魔力の波を乗せて、空気中の塊を動かすためのもんだってな」
オーグさんが腕を組みながら言う。
「発する言葉に、その意味に応じた魔力の波が宿る。その波を空気中に漂っている波に乗せて、塊を動かすことで魔法が発動する、ってことだろォ」
初めて聞く説明だった。
詠唱がただの呪文ではなく、魔力を乗せる"型"だとすれば——農民スキルの詠唱も、同じ理屈なのだろうか。
「なるほど……詠唱にはそんな意味があったんですね」
「まァ、それが魔名になってくると、さらにややこしくなるらしいがな」
その瞬間だった。
メグーちゃんがピタリと足を止めた。
銀の髪が風に揺れ、瞳が鋭く細められる。
「……空気が変わった」
私は反射的に足を止めた。
視線を足元に落とすと、石畳に黒ずんだ何かがこびりついている。
血ではない。苔でもない。
まるで地面そのものが病んでいるかのような、赤黒く滲んだ染みだった。
「……見て」
メグーちゃんが指差した先、崩れかけた壁の陰に、小さな動物の死骸が横たわっていた。
毛並みは黒く変色し、目は空洞のように落ちくぼみ、口元には赤黒い泡が固まっている。
まるで内側から腐り落ちたような、異様な死に様だった。
「……なんだ、こりゃ」
オーグさんの声が低く沈んだ。
「この辺だけ……空気が変」
「はい……そ、それは、僕にもわかります」
ケビンさんの声は震え、その肩が小刻みに揺れていた。
皆が歩みを止めていた。
(程度の低い連中)
その言葉が、頭の中に浮かんだ。
……え。
自分でも驚いた。そんな言葉、私は絶対に思わない。
でも確かに、誰かがそう言った気がした。頭の奥から。
足が、勝手に動いていた。
「アニー!?待てェ!!」
オーグさんの叫びが響く。
でも、止まれなかった。
いや、止まりたくなかった──どちらなのかも、自分では分からなかった。




