第81話:森と海の声を食む
牛鬼と土蜘蛛の討伐を終えた後、一行は高層ビルの一角に身を寄せた。
テーブルの上には埃ひとつなく、床には磨き上げられた木目が柔らかく光を返している。
まるで、ついさっきまで誰かがいたかのような、あるいは誰かが来るのを待っているかのような、整然とした静けさが漂っていた。
壁際には観葉植物が並び、棚には色とりどりのカップや豆の瓶が整然と並べられている。
どこか都会的で洗練された空間だったが、今はその全てが、深い夜の帳に包まれていた。
人工太陽は、つい先ほど静かにその光を落とし、今はただ黒い輪郭だけを残して沈黙している。
屋内を照らしているのは、各テーブルに置かれた燭台の炎だけだった。
ゆらゆらと揺れる橙色の光が、木の壁や椅子の影を長く引き、まるで空間そのものが呼吸しているかのように、静かに揺れていた。
その光の中で、メグーちゃんが椅子に腰を下ろした。
銀の髪が燭台の炎に照らされ、ゆらりと揺れる。
感情の波を押し殺したまま、目の前に置かれた一皿に視線を落としていた。
(何の匂いだろう)
ふわりと立ち上る湯気が、湿った土の匂いと、朝露に濡れた山の空気を運んでくる。
カンラ樹の実の甘く痺れる香り、ミドリ霧粉の青く澄んだ苦味──それらが複雑に絡み合い、どこか懐かしく、けれど異界の気配を孕んでいた。
メグーちゃんは無言で箸を取り、苔に覆われた脚肉をそっと摘まむ。
蒸気でほぐれた繊維が、老木の年輪のように柔らかそうに見えた。
口に含んだ瞬間、彼女の表情がわずかに緩む。
「……静かで、強い」
その言葉は、まるで自分自身に向けた呟きのようだった。銀の瞳が、わずかに揺れる。
「……これは、ただの料理じゃない。森の声がする」
誰かが息を呑んだ気配がした。私も、思わず自分の手を見つめた。
この食材たちは、私のスキルで生み出したもの。
その食材が、こういう言葉を引き出すのか──と、何かが胸の奥でじわりと広がる感覚があった。
メグーちゃんがゆっくりと顔を上げ、ケビンさんに目を向けた。
彼の手元から、次の料理がそっと卓上に置かれる。
深紅に染まった煮汁の中で、黒く艶めく肉塊が静かに揺れていた。
メグーちゃんは無言で箸を取り、肉の一片をすくい上げる。
煮汁の底には砕かれた甲羅の破片が沈み、そこから滲み出た出汁が、料理全体に濃厚な旨味を与えているのだろう。
「……これは、怒っている」
その声は低く、けれど確かな響きを持っていた。銀の瞳が、煮汁の奥をじっと見つめる。
添えられた黒いソースを肉に絡めると、メグーちゃんの表情が少し変わった。
怒りが鎮まるような、深く澄んだ静けさが、彼女の目に宿る。
「……深い。これは、海の声がする」
彼女は箸を置き、そっと目を閉じた。
「ごちそうさまでした」
その言葉に、私もケビンさんもほっとした。
でも、少し遅れて、胸の奥がずんと重くなった。
あの戦いの途中で、私は気を失っていた。
どのくらいの間かも分からない。
目が覚めた時には、二体の魔物はまだ生きていて、仲間たちが戦い続けていた。
それだけは分かっていた。
(私がいない間も、戦っていてくれた)
みんなは何も言わなかった。
責めることも、心配そうな顔を見せることも、ほとんどしなかった。
それが、余計に胸に刺さる。
足を引っ張った。
倒れた。
それでも、先を進めてもらえた。
(ごめんなさい)
心の中で、そう呟いていた。
声にはならなかった。できなかった。
ありがとうも、ごめんなさいも、まだ上手く言葉にできない気がして。
「そういえば、あの魔物達、生み出せるようになったんですか?」
ケビンさんの問いに、私はスキル一覧を確認した。
「は、はい……確かに載っていますが、天龍の3倍ぐらい……クールタイムが長いです」
「それは……気を引き締めていかないといけませんね」
ケビンさんが眉をひそめる。クールタイムがどのくらいの脅威度を示しているのかは分からない。
でも、あの二体がどれほど強かったかは、私の体がまだ覚えている。
その時だった。
(——程度の低い。これが我の器か)
ぼんやりと、そんな声が聞こえた気がした。
外からではない。頭の奥の、深いところから。
誰かの声だろうか——と思う間もなく、掻き消えた。




