第80話:見抜く瞳、轟く雷
──時はわずかに遡る。
アニーとオーグが牛鬼と対峙していたその頃、高層ビルに囲まれた交差点に、二つの影が立っていた。
ケビン、メグー。
彼らの息は荒く、衣服は泥と返り血にまみれ、戦いの激しさを物語っている。
その視線の先に、土蜘蛛の巨体があった。
黒曜石のように艶やかな胴体が、ぐらりと揺れる。
地鳴りのような音が交差点に響き渡り、空気が一瞬、凍りついた。
「た、倒せました!?」
ケビンが戸惑いの声を上げたその瞬間、メグーが静かに呟いた。
「……見て」
土蜘蛛の胴体の裂け目から、ぬるりと何かが這い出してくる。
最初は一匹、次に二匹。
やがて、数えきれないほどの小型の土蜘蛛たちが、地を這いながら広がっていった。
苔と泥にまみれたその姿は、まるで地そのものが命を持って蠢いているかのようだった。
アスファルトの隙間から湧き出すように、無数の脚が交差点を覆っていく。
「な、なんだ!これ……!」
ケビンの喉がひゅうひゅうと鳴り、心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように響く。
冷たい汗が背筋を伝い、足元がぐらつく。
「分体……」
メグーの声は、静かでありながら鋭かった。
銀の瞳が、群れを成して迫る分体たちを冷徹に見つめている。
彼女の表情には焦りも恐れもない。
ただ、観察者としての静謐な集中があった。
まるで、戦場の喧騒が彼女だけを避けているかのように。
「ど、どんどん溢れてきますよ!」
ケビンの声は、恐怖と焦燥に満ちていた。
数の暴力。
それが、土蜘蛛の真の恐ろしさだった。
「いくわよ!燃えろ!」
炎が群れを包んだ。
正面の分体が一瞬で燃え上がり、焦げた煙が交差点に立ち込める。
だが、その炎をくぐり抜けるように、新たな分体たちが這い出してきた。
倒しても、倒しても、終わりが見えない。
ケビンは震える手を胸の前に突き出し、必死に声を張り上げる。
「放て閃光!鳴らせ雷鳴!轟け!!サンダーボルト!!」
雷撃が放たれ、前列の分体を吹き飛ばす。
閃光が夜を裂き、轟音がビルの谷間に反響する。
土煙が舞い上がり、その中から、返り血を浴びた分体たちが雪崩のように迫ってくる。
「と、止まらない!?」
「手を止めないで!!」
「はい!!」
雷と炎が交互に交差点を裂く。
轟音、閃光、焦げた煙。
それでも分体は増え続け、屍の上を踏み越えて押し寄せてくる。
ケビンの呼吸が乱れ始めた。
魔力を注ぎ込むたびに腕が震え、詠唱の声に焦りが滲む。
メグーの表情にも、わずかな陰りが見え始めていた。
そのときだった。
メグーが一歩、前に出た。
戦場の中心に立ち、分体たちの動きをじっと見つめる。
彼女の呼吸は浅くも深くもない。
まるで、世界のすべてを見通すかのような静けさだった。
「……あれ」
小さく呟かれたその一言に、ケビンははっとして振り向いた。
「え?」
彼の声には戸惑いが滲んでいた。
戦いの緊張と恐怖の中で、思考は鈍り、目の前の状況を理解しきれずにいた。
「右から三番目。あれだけ、他の個体から守られている」
メグーの銀の瞳が、群れの中の一体を射抜くように見つめていた。
その視線は鋭く、冷たく、まるで獲物を見定める鷹のようだった。
「ど、どういうことですか!?」
ケビンの声が裏返る。
焦りと混乱が入り混じり、胸の奥がざわつく。
彼はただ、何かをしなければという衝動に駆られていたが、何をすべきかが分からない。
その不安が、言葉となって口を突いて出た。
「うるさいわね!説明なんかしている暇はないわ!」
メグーの語気が鋭くなる。
だが、それは怒りではなく、緊迫した状況を打破するための一喝だった。
彼女の中には、確信があった。
今、迷っている時間はない。
判断が一瞬でも遅れれば、全員が飲み込まれる。
「え、えっと!?」
ケビンは一瞬たじろぐ。
だが、メグーの言葉に込められた緊張感が、彼の中の何かを揺さぶった。
恐怖に縛られていた心が、少しずつ解けていく。
「良いから!あれ!魔法!」
その叫びは、命令ではなく信頼だった。
「は、はい!」
ケビンは震える声で返事した。胸の奥に、小さな炎が灯る。その熱が手に魔力を集めさせた。
雷鳴の詠唱が、戦場に新たな希望の音を響かせた。
「天の怒りを知れ!これぞ神の雷!!唸れ!!ヴォルト・ストライク!!」
詠唱が終わると同時に、雷の矢が放たれる。
メグーが指差した分体に命中し、轟音が大地を揺るがす。
閃光の中で、その個体は木っ端微塵に砕け散った。
「と、止まった?」
ケビンが呟いた時、目の前の分体の群れはその動きをぴたりと止めていた。
「その時、仲間がやられても無関心だった子蜘蛛が、あの子蜘蛛だけ守るように庇ったのよ」
メグーの声は冷静だったが、その瞳には確かな確信が宿っていた。
まるで戦場の中で真実だけを見抜く目を持っているかのように。
「なるほど……よく気付けましたね」
ケビンは感嘆の声を漏らす。
自分には到底見抜けなかったことを、彼女は静かに見抜いていた。
ただそれだけで、十分だった。
「ええ、どうなることかと思ったけれど、結果オーライね」
メグーは肩をすくめながらも、口元にわずかな笑みを浮かべる。
その言葉には皮肉が混じっていたが、どこか安心したような柔らかさもあった。
「そ、それよりも!アニーさん達の応援に向かいましょう!」
ケビンが話題を変えるように声を張り上げる。
声は上ずっていたが、目には決意があった。
「それなら大丈夫よ」
メグーがぽつりと呟く。
「え?」
ケビンが目を見開くと、メグーは静かに道路の向こうを指差した。
「お母さん達は牛鬼を倒したみたい」
その言葉と同時に、夜の闇を裂くように、アニーとオーグの姿が街灯の下に現れた。
二人の姿を見つけた瞬間、ケビンの胸に溜まっていた緊張がふっとほどけ、思わず息を吐いた。




