第79話:天龍の祈り、飛燕の刃
震える手を組み、詠唱を紡ぎ出す。
「空間よ、軋め……虚空よ、裂けよ……響け、不協の調べ……天を統べし銀眼の覇者よ、いま、悲しみとともに舞い降りよ──降臨せよ、天竜!」
空間が悲鳴を上げる。虚空が裂け、銀の瞳を持つ巨大な龍が姿を現した。
その出現と同時に、空気が爆ぜ、雷鳴が天地を貫く。
天龍が咆哮を上げる。
その銀の瞳が牛鬼を捉えた瞬間、大気が震えた。
咆哮と共に放たれた雷撃が、牛鬼を直撃する。
黒く濡れた巨体が空中を舞い、地面に激突した。
その隙を逃さず──
「今だァ!!」
オーグさんが地を蹴る。
巨体が地面に叩きつけられた牛鬼へと、拳を振り上げながら肉薄する。
その一撃が、牛鬼の側頭部へと叩き込まれた。
轟音。
だが、牛鬼はびくともしない。
オーグさんの拳が、弾かれた。
その時、天竜が再び翼を広げた。空が震え、雷の気配が満ちる。
『──雷よ、裁きを』
天竜の口から放たれた雷撃が、一直線に牛鬼を貫いた。
轟音が大地を揺るがし、地面が抉れ、牛鬼の巨体が再び吹き飛ばされる。
だが、まだ終わりではなかった──。
牛鬼の巨体が地に叩きつけられた瞬間、大地が悲鳴を上げるように裂け、岩盤が砕け、瓦礫が爆風に乗って宙を舞った。
だが、土煙の中にあるはずの黒き影は、どこにも見当たらなかった。
「……どこに消えたァ?」
オーグさんが低く唸る。
天竜の雷撃を受けた直後、牛鬼の姿がまるで雷に呑まれたかのように掻き消えたのだ。
空気にはまだ焦げたような匂いが残り、耳の奥では雷鳴の余韻がくすぶっている。
私は視線を走らせた。
地面、瓦礫の陰、正面──
「上に!!」
声が出ていた。
雷雲を裂いて、黒煙に包まれた牛鬼が天竜の背後へと迫っていた。
双角は稲妻を吸い込むように蠢き、まるで雷そのものを喰らう異形のようだった。
天竜が振り返るよりも早く、牛鬼の腕が振り下ろされた。
だが、その一撃は空を裂くだけに終わる。
天竜の身が、風のようにしなやかに後方へと退いたのだ。
天竜が絶叫した。
避けたはずだった。なのに、その銀の体が震えている。
牛鬼の双角が、放たれた稲妻を口の中へと引き寄せていた。
飲み込むように、吸い込むように。
「……雷を、吸ってる……の?」
声がかすれた。
雷を食らうたびに、あの目の輝きが増している気がする。
稲妻を纏った牛鬼の視線が、私へと向いた。
一歩、踏み出される。地面が割れた。
迫ってくる。
(速い)
体が動かない。足が竦む。
その瞬間──
「どけェ!!」
横合いから飛び込んできたオーグさんが、牛鬼の拳を正面から受け止めた。
その腕が、軋む音がした。
次の瞬間、衝撃波が走り、オーグさんの巨体が地面を抉りながら吹き飛ばされた。
「オーグさん!!」
このままではやられる。
そう覚悟した瞬間だ。
声が響いた気がした。
「誰……?」
問いかける。
すると、農民スキルのパネルが目の前に広がって──「出荷」という項目が、私の手を引くようにそこにあった。
そこには「魔物剣」という新たなスキルが記されている。
魔物の力を剣に宿すスキルだ。
牛鬼を見た。
双角から稲妻が溢れ、その黒い体が雷光を帯びている。
雷を喰らうたびに、力を増している。
思考が一本の線で繋がった。
雷を喰らうから強くなる。ならば、一気に限界まで注ぎ込んだら?
魔物剣なら、それができる。
剣の中に天龍を宿し、その稲妻をそのまま牛鬼へと叩き込む。
喰らいきれないほどの雷を。
地面に片膝をついて、詠唱を紡ぐ。
「大地の鼓動よ、今こそ芽吹け!封ぜられし力、胞子に宿りて──聖なる刃は菌糸より現れん!抜けよ、聖剣!」
地面の亀裂から菌糸が伸び、絡み合い、収束した。
刃の形を成した光が、手の中へと収まる。
重さがある。冷たい。でも、確かに、ある。
考えるより先に、両手を空へと広げていた。
「我は天空の支配者……我が名において命ず……天よ……風よ……雷よ……刃となれ!」
その瞬間、空にいた天竜の輪郭がにじみ、稲妻の奔流へと溶けていく。
手の中の剣がその光を受け止め、眩い輝きとともに空へと光の柱を伸ばした。
蒼天の輝きが凝縮され、刃となって形を成す。
それは、かつての聖剣とは異なる、儚くも鋭い──空の涙が結晶化したかのような剣だった。
空から雷の気配が消えた。
天竜はもういない。
剣の中に、いる。
突然の沈黙に、牛鬼がわずかに動きを止めた。
その刹那──
私は一歩を踏み出した。
背筋が、自然に伸びた。
怖いはずなのに、足が、止まらなかった。
「──っ!!」
天龍の力を宿した剣が、牛鬼の胸元を貫いた。
爆ぜる光、轟く咆哮。
だが、牛鬼はなおも立っている。
──その瞳の赤い輝きが、わずかに鈍っていた。
「これでどう!?」
剣は稲妻を纏い、雷鳴のように唸りを上げる。
刃先が激しく脈動する。
剣の中から、稲妻が溢れ出した。
制御を手放すように、剣を牛鬼の胸へと深く押し込む。
天龍の力が、一気に流れ込んでいく。
牛鬼の体が、みるみる膨らんでいく。
双角が、限界まで雷光を帯びて──爆ぜた。
その身体は崩れ落ちる岩のように砕け、砂塵となって四方へと舞い散った。
「……終わった」
私は膝をついていた。肩で息をしている。
全身から力が抜けて、もう一歩も動けそうになかった。




