第77話:空間を裂くもの、地を揺るがすもの
建物の扉が、音もなく開いた。
円筒状の都市を吹き抜ける風が、冷たく乾いた空気を連れてくる。
金属と古い石の匂いが混ざり合い、肌を刺すように鼻腔を撫でた。
遠くでは上下逆さまに吊るされた街の灯りが揺れ、歪んだ影が壁に長く伸びている。
どこかで時間がずれているような、世界の縫い目がほころびかけているような気配があった。
私は一歩遅れて、仲間の背中に隠れるように進んだ。
胸の奥が小さく震え、足先まで冷たさが伝わる。
呼吸が浅くなり、鼓動が耳の奥で固く鳴る。
目の端に映る仲間たちの表情が、いつもより硬く見えた。
「……魔物ね」
メグーちゃんの一言が、空気を裂いた。全員の背筋が伸び、緊張が走る。
オーグさんは唸るように鼻を鳴らし、拳を握りしめた。
ケビンさんは恐怖に震えながらも、仲間の背中に隠れることなく周囲を見渡していた。
私は唇を噛み、唾を飲み込む。
前髪の奥で揺れる瞳は怯えに満ちていたけれど、その場に踏みとどまっていた。
交差点の中心で、空間がぽっかりと裂け、まるで世界の縫い目がほどけたように、そこだけが重力も時間も拒絶しているかのようだった。
沈黙を破るように、空間が震え、ガラスのように砕け散る。
「……空間を操る魔物」
メグーちゃんが面倒そうに呟いた。
砕けた空間の裂け目から、黒く節くれだった巨大な蜘蛛の脚がゆっくりと這い出す。
やがて、土蜘蛛がその全貌を現した。
八本の脚は、樹齢千年の老木の根のように太く、地を這うたびに地鳴りが響く。
苔と土に覆われたその脚は、山が意思を持って動き出したかのような威容を放っていた。
胴体は黒曜石のように艶やかで、背には無数の目が並んでいる。
顔にはかすかに人の面影が残り、裂けた口元からは鋭い牙が覗いた。
白銀の糸が空中の石畳に絡みつき、都市の空を蜘蛛の巣のように覆っていく。
「で、でけェな……おい」
オーグさんが思わず声を漏らす。
普段は豪胆な彼の声に、わずかな震えが混じっていた。
「地龍……いえ、天龍をも上回る魔物よ」
土蜘蛛の顔がオーグさんに似ていることに気づいたが、さすがに誰もツッコミを入れる余裕がない。
「え、天龍よりも……ええぇぇぇっ!?」
ケビンさんの叫びが交差点に響く。
「メグーちゃん」
私は震える声で名を呼びながら、空を指した。
さっきから視界の端に引っかかっていたものが、どうしても気になっていた。
「お母さん?どうしたの?」
「……あ、あっちの……魔物も?」
「え?」
メグーちゃんが空を見上げた瞬間、空間が再び震えた。
轟音が響き、交差点の端のビルの階段が崩れ落ちる。
その瓦礫の向こうから、もう一体の魔物が姿を現した。
牛鬼──それは、人と獣と妖が交わった、禍々しき異形の存在だった。
濡れた岩肌のように黒く光る巨体が、地を踏みしめるたびに地面が軋む。
頭部は牛のような形をしていたが、異様に大きな目が赤く爛々と輝き、ねじれた角が鋭く天を突いている。
その咆哮は雷鳴のごとく空気を震わせ、私の心臓を鷲掴みにするような恐怖をもたらした。
「そうね。あっちの魔物も同じぐらい脅威かしら」
メグーちゃんが、どこか諦めたような様子で呟いた。
土蜘蛛と牛鬼──二体の巨獣が交差点を挟んで、まるで睨み合うように立ちはだかっていた。
空は血のように赤黒く染まり、人工太陽の光さえ魔の気配にかき消されていた。
「分断されるぞ、気をつけろ!」
オーグさんの怒鳴り声が鋭く空を裂いた。
その瞬間、土蜘蛛が動いた。
八本の脚が石畳を砕きながら跳ね上がり、白銀の糸を放った。
糸は空中で鋭く弧を描き、まるで死神の鎌のように私とケビンさんの頭上へと迫った。
(躱せない──盾を出す!)
「大地の堅き鱗と、深淵より芽吹く命よ……壁となれ、盾壁草!」
とっさに生み出した盾壁草が私とケビンの前に展開した。
だが、盾は小さく、一本は防げても、側面から別の糸が襲いかかってきた。
「アニーさん!こっちへ!」
ケビンさんが叫びながら私の腕を引いた。
「蔓糸草──!」
私は反射的に蔓を射出した。
近くのビルの外壁に刺さり、張力で横へ引っ張られる。
ケビンさんを引き寄せながら、二人で糸の弾道から外れた。
「今です!ケビンさん!」
「は、はい!ヴォルト・ストライク!!」
ケビンさんが雷を放った。
土蜘蛛の前脚に命中したが、ほとんど弾かれてしまった。
それでも一瞬、土蜘蛛の動きが鈍った。
「退いてろォ!!チンチクリン!!アンポンタン!」
オーグさんの怒声が響き、赤い巨体が宙を舞った。
振り上げた拳が残った糸を叩き落とし、火花のような魔力の残滓が宙に散った。
だが、その一瞬の隙を突くように、牛鬼が咆哮と共に突進した。
「おらァ!!」
オーグさんは一歩も退かず、大きく拳を振りかぶった。
牛鬼の角が目前に迫った刹那、全力の拳が真正面から叩き込まれた。
爆風が交差点を包み込んだ。
轟音と共に瓦礫が宙を舞い──
「きゃっ!!!」
吹き飛ばされた。
何かに足を引っかけて転がり、頭が硬い壁を打った。
そこで、意識が途切れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アニーさん!!!」
ケビンは咄嗟にアニーを庇いながら転がった。
震える手で彼女を抱き寄せるが、アニーは意識を失っている。
「大丈夫ですか?」
返事はなかった。
「ボケっとしてんじゃねェ!戦闘中だぞォ!」
オーグの怒声が飛び、ケビンが慌てて立ち上がろうとした瞬間、無表情のままメグーが彼の背中を蹴り飛ばした。
「ぐえっ!!」
ケビンのいた場所に牛鬼の巨脚が振り下ろされる。
石畳が砕け、破片が四散する。
牛鬼が再び跳躍し、気絶したアニーに向かって急降下する。
「間に合わん!!」
「うぉらァ!!」
オーグが石畳の破片を投げつけるが、土蜘蛛の吐いた糸がそれを阻む。
絶望が迫る中──
「時の神よ、我が声に応えよ。運命の歯車を砕き、世界を凍てつかせよ!テンペスト・クロック!!」
ケビンの叫びと共に、世界が静寂に包まれた。
風も音も止まり、時間が凍りついた。
「アニーさん!!」
ケビンは停止した世界を駆け抜け、アニーの元へと膝をつく。
だが──
「う……うぅ……」
アニーがうめき声を上げる。
時間停止の影響を受けていない。
ケビンの目が見開かれた。
「流石はお母さんね」
「メグーさん!?」
振り返ると、メグーが静かに佇んでいた。
彼女も、時間停止の影響を受けていない。
止まった時の中、平然としていることにケビンは驚きを隠せないでいた。
「それで、どれぐらい時間を停止できるのかしら?」
メグーは、そんなケビンの驚きを他所に尋ねる。
「あと……1分ぐらいですね」
「そう」
「……迂闊にお母さんを動かすと……時間停止の魔法のこと、勘づかれるわね」
「でも、この場からアニーさんを動かす以外に……回避方法はなさそうですよ」
ケビンの言葉に、メグーは空を見上げる。
「牛鬼の位置を動かしましょう」
「どうするんですか?」
「こう……クイっと角度を変えれば、土蜘蛛に向かうようにできるわ」
メグーはジェスチャーでケビンに伝えるが、彼女の意図は明確だ。
「……なるほど、同士討ちさせるんですね」
メグーとケビンが頷き合うと、2人はさっそく行動を開始した。




