第68話:逆転の咆哮と、迫る終幕
地龍が、動いた。
天龍が倒れた直後だった。
地響きを踏みしめながら、フェイさんの背後へと回り込む。
巨体を生かした突進──
「──」
フェイさんは一瞬で身をかわした。
地龍の爪が空気を裂き、フェイさんの黒いコートの裾をかすめる。
地龍は止まらない。
体を反転させ、今度は太い尾を薙ぐ。
フェイさんが飛んだ。
だが尾の軌道は広い。
「フェイ!!」
ミリアリアさんが剣を引き抜きながら前に出た。
地龍の尾を、剣の腹で受ける。
轟音。
二人の体が、まとめて吹き飛んだ。
壁面に叩きつけられ、石の破片が舞い上がる。
ミリアリアさんとフェイさんが崩れ落ちる。
一拍の静寂。
「…………」
地龍が吼える。
その声が廃墟を揺らす中で、私は息を飲んだ。
(今──)
頭の中で何かが引っかかった。
フェイさんが天龍を倒した時のことを、思い返す。
倒れる前に「速さを盗む」「距離を盗む」と立て続けに使って、最後に「ハートを盗む」だった。
地龍に対してはずっと「距離を盗む」で対処していた。
それなのに、「ハートを盗む」は一度も使っていない。
天龍を倒した直後なのに、地龍へ使わなかった。
(なぜ──)
「……クールタイムがあるはずよ!!」
メグーちゃんの声が、考えを追い越した。
鋭い声だった。
廃墟に響いて、消えない。
「ハートを盗む──使いたくても、使えなかった。だから天龍を別の手で引き離して、時間を稼いでた」
ケビンさんが低く息を吐く。
「それなら今がチャンスですね!」
壁際でミリアリアさんが立ち上がる。
フェイさんも、静かに体を起こした。
乱れた黒いコートを直し、こちらを向く。
表情は変わらない。
柔らかな笑みのまま、何も言わない。
肯定だと思った。
地龍が再び前に出る。
フェイさんへと向かう。
フェイさんは右手を持ち上げた。
「距離を盗む」
地龍との間の空間が圧縮され、突進が急停止する。
そのまま押し返され、地龍が後退する。
依然として、「ハートを盗む」は使わない。
(まだ、クールタイムが明けていない)
「ケビン!!ミリアリアを狙って!!フェイが庇うはず!瞬間移動させてはダメ!!」
メグーちゃんが叫んだ。
「天の怒りを知れ!これぞ神の雷!!唸れ!!雷矢──ヴォルト・ストライク!!」
ケビンさんの雷撃がミリアリアさんへと向かう。
ミリアリアさんは剣を引き抜き、刃の腹で受け流した。
「牽制か」
動じない声だった。
地龍がフェイさんへと突進を繰り返す。
フェイさんは体をひねって爪をかわし、尾が薙ぐ軌道の内側に滑り込む。
前足の踏み込みに合わせて横に跳び、着地と同時に間合いを詰める。
スキルは使っていない。
体の動きだけで、さばき続けている。
(だけど、距離を盗むにも、クールタイムがある)
その時だ。
咄嗟の隙をついたフェイさんが、地龍の鱗に手を伸ばそうとする。
(クールタイムが終わった!?)
蔓糸草を射出した。
「蔓よ、縛れ──縛縄招来」
蔓がフェイさんの右腕に巻きつく。
引き戻す。
地龍の鱗から、引き離す。
フェイさんがこちらを向いた。
目が合う。
「残念」
穏やかな声だった。
「させません」
蔓を引く。
フェイさんはわずかに体を傾け、流れに乗るように重心を移した。
抵抗せず、引かれながら──
だが、口の端が上がった。
(──まずい)
その直感が来た瞬間、もう遅かった。
彼の右足が、すうっと前に出た。
地龍の前足の付け根──鱗の薄い部分へ。
足裏が、当たった。
「ハートを盗む」
地龍の全身が、一瞬強く光る。
それから──静かに崩れた。
四肢の力が抜け、巨体が横倒しになる。
床が揺れ、石の破片が弾け飛んだ。
「…………」
声が出なかった。
腕を止めても、足があった。
体のどこかが触れさえすれば。
最初からそれを待っていた。
「器用ね」
メグーちゃんが唇を噛む。
怒りを押し殺した声だった。
フェイさんは蔓から腕を外し、袖口の埃を払う。
「次は──」
その時だった。
「ァアアアア────!!」
咆哮と共に、拳が像を砕いた。
石の破片が弾け飛ぶ。
白い粉塵が広がる。
像の体に走っていた光が、一瞬だけ鮮やかに輝いて──消えた。
(オーグさん──!)
「これでどうだァ!?」
像から繋がっていた魔力の糸が途切れる。
魔法陣が揺らいだ。
輪郭がぼやけ、核の光が急速に失われていく。
赤い渦が散り、形だけが残った召喚陣が、ゆっくりと霧散していく。
「……魔力の供給源」
ミリアリアさんの声が、初めて揺れた。
フェイさんは魔法陣を一瞥する。
「供給源を失えば、当然こうなる」
「フェイ」
ミリアリアさんが口を開いた。
声が低い。
「このままオーグを相手にするのは得策ではないだろう」
フェイさんは少しの間、視線を動かした。
それからゆるりと笑う。
「そうだね」
胸の奥が、ざわりとした。
「お疲れ様」
フェイさんの声が、こちらを向いた。
「アニーさん。本当に、よく頑張った」
穏やかだった。
本当に労うような、柔らかな声だった。
それが余計に怖かった。
「……待って」
「そうだね、終わっていない。ただ続きはここじゃない」
フェイさんは振り返らなかった。
「待って──!!」
駆け出そうとした。
足がもつれる。
「冒険を盗む」
次の瞬間、足元に魔法陣が広がった。
私の足元に。
メグーちゃんの足元に。
ケビンさんの、オーグさんの足元に。
「待──」
光が、全てを飲み込んだ。




