第67話:覚醒の咆哮、天と地の龍が舞う
赤い幻影が、形を取り始めた。
空気が軋む。
地面が微かに揺れる。
魔法陣の輪郭が鮮明になるたびに、空間そのものが色を失っていく。
「……あれは、龍の召喚陣」
ケビンの声は低く、押し殺されている。
腰の短剣に手をかけたまま、一歩も動けずにいる。
「完成させたら、止められなくなる」
メグーの声に迷いはなかった。
視線は魔法陣の光を捉えたまま、決して離さない。
銀の瞳を細め、魔法陣の核を探す。
だが、フェイの作り出す陣は複雑に絡み合い、どこが中心なのか、一目では判断できなかった。
小さく舌を打ち、メグーが手をかざす。
「散れ──!!」
炎の奔流が魔法陣に叩きつけられた。
「空気を盗む」
しかし、フェイは振り返りもせず、指を小さく動かした。
その瞬間、炎は空気ごと吸い込まれるように消えた。
メグーが奥歯を噛む。
「……時間がかかってる」
ケビンがそっと呟く。
「あの規模の魔法陣なら、魔力を溜めるのに相当な時間がかかるはず。止めるなら今しかない」
メグーはすでに一歩踏み出していた。
「魔力の源なら……あるぞ」
ミリアリアの言葉にフェイは像を見やる。
女性の石像が、奥の壁際に立っていた。
全身を覆う施しは、まるで異国の古い彫刻のように精緻だ。
顔の造形はどこをとっても、倒れたアニーの面影を持つ。
フェイの指先が、静かにその方向へと向けられた。
「……魔力を盗む」
ゆるやかな動作だった。
しかし次の瞬間、像の肌が薄く光り、何かが空気の中を流れていくのが見えた。
魔力だ。
像に刻まれた古い魔力が、糸を引くように抜き取られていく。
「やめて!!」
さらに像の光が増す。
周囲の空間が、じわりと揺らいだ。
メグーの絶叫が廃墟に響く。
その時だ。
倒れているアニーの指先が、小さく動く。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
頭の中で、声がする。
(……お母さん、お母さん……!)
メグーちゃんの声だ。
泣いている。
頭の中が、白い霧に覆われている。
体が動かない。力が入らない。
それでも──
「…………」
目が、開いた。
最初に見えたのは、渦を巻く赤い光だった。
魔法陣が脈打ち、その中心でフェイさんが静かに腕を広げている。
ミリアリアさんは隣に立ち、唇の端に笑みを浮かべたまま、陣の完成を待っていた。
揺らぎひとつない、余裕の表情だった。
視線を動かすと、瓦礫の山が目に入った。
その中にオーグさんが埋もれている。
動いていない。
ケビンさんは拳を握り締め、体を前傾させたまま動けずにいる。
歯を食いしばる音が聞こえるようだった。
そして──メグーちゃんが泣いていた。
声を殺して、銀の瞳に涙をためたまま、それでも前を向いていた。
(止めないと……)
声にならなかった。
しかし頭の中で、詠唱の文字が浮かんだ。
喉の奥から声を絞り出す。
かすれていた。
ほとんど音にならない。
それでも、言葉の形を持たせるように、一音ずつ押し出す。
「空間よ、軋め……虚空よ、裂けよ……響け、不協の調べ……天を統べし銀眼の覇者よ、いま、悲しみとともに舞い降りよ──降臨せよ、天竜」
天が震える。
雷が走り、銀の鱗を持つ龍が暗い天井を突き破るように降り立った。
六枚の翼が羽ばたくたびに、空気が震える。
天龍が吠えた。
「時の深淵より目覚めし……大地を揺るがす覇王よ……血潮の記憶をたどり……いま再びこの地に……顕現せよ……」
地面が揺れた。
瓦礫を巻き込みながら、地面から鱗が噴き出した。
太く、重く、大地の色を持つ龍が、轟音とともに姿を現す。
「──!?」
フェイさんが、一瞬揺らいだ。
メグーちゃんが目を見開く。
「お母さん!?」
「メグーちゃん、私は大丈夫」
メグーちゃんが駆け寄ってくる気配がした。
でも、今はまだ。
「ケビンさん……お願いします……」
声はまだ、かすれていた。
でも、繋がった。
ケビンさんはすでに動いていた。
「地龍!援護してくれ!!」
地龍が咆哮する。
地鳴りのような声が廃墟を揺さぶり、その巨体がフェイさんへと迫る。
フェイさんは振り向いた。
表情は変わらない。
柔らかな笑みのまま、右手を軽く持ち上げる。
「距離を盗む」
地龍と、フェイさんの間の空間が圧縮した。
龍の突進が、まるで空気の壁に阻まれたように急停止する。
そのままフェイさんの手が引かれると、地龍の巨体が空間ごと押し返され、壁に激突した。
石造りの柱が崩れ、土煙が舞い上がる。
地龍がうめく。
「天の怒りを知れ!これぞ神の雷!!唸れ!!雷矢──ヴォルト・ストライク!!」
雷の矢が放たれると、フェイさんは空中で体を翻して回避する。
だが、確実に体勢を崩している。
「行ってください!!」
私の声に、天龍が疾った。
嵐の速さで、フェイさんへと向かう。
フェイさんは右手を持ち上げた。
地龍の時と同じ動作。
「──距離を、盗む」
ただ、今度は一瞬、間があった。
天龍がその隙に爪を振るい、フェイさんの黒いコートが裂ける。
次の瞬間、フェイさんの姿が消える。
「バリア!!」
フェイさんの姿を見失っている私の背後で甲高い音が響く。
振り返ると、黒い剣を私に向けている彼の顔が結界越しに映った。
「ちゃんと目を覚ましてたんだ。しぶといな、アニーさんは」
空気が止まった気がした。
知っている顔だ。
ずっと隣にいた人の顔だ。
それでも今、その剣先はこちらを向いている。
(どうして──)
問いかける言葉は、喉の奥で溶けた。
考えている暇はない。
「フェイ!!先に、天龍をやれ!」
ミリアリアさんの声と共に、雷鳴が轟く。
「距離を盗む」
フェイさんの姿が掻き消えると共に、目の前で稲妻が煌めく。
どこにいる。どこへ行った。
焦りが、胸の奥から這い上がってくる。
スキルの構造がわからない。どこから現れるかも読めない。
「上よ!!」
声に弾かれるように顔を上げた。
フェイさんは天龍の頭上にいた。
その気配に気づいた天龍は再び風の速さで天を駆ける。
「逃げられてばっかだな、速さを盗む」
天龍の速度が引き剥がされた。
急激に失速した巨体が、慣性のままに宙を泳ぐ。
「距離盗む」
そのまま、フェイさんは天龍の傍らへと転移する。
そして──その頸に手を当てた。
「ハートを盗む」
天龍の全身が震えると共に、急降下し、地面を揺らす。
埃が舞い上がる。
崩れた石の破片が雨のように降り注ぎ、静寂が戻ってくる。
倒れた天龍の傍らに立つフェイさんは、こちらを一瞥した。
表情は変わらない。




