第60話:時を止めた巨影
瓦礫の向こうに、巨大な影が横たわっていた。
私たちは、まるで見えない壁にぶつかったかのように足を止めた。
誰からともなく息を呑む音が漏れる。
高層ビルの谷間に、赤黒い鱗をまとった龍が、崩れたコンクリートの上に身を横たえていた。
その姿は、まるで時の流れに取り残された神殿の遺構。
折りたたまれた翼は風にすら反応せず、尾だけが、まるで意志を持つかのように、ゆっくりとコンクリートの破片をなぞっていた。
「……あれは、龍……?」
声が震えていた。
恐怖と畏敬が入り混じって、口から言葉になっていた。
あまりにも巨大で、あまりにも静かすぎる。
まるで時間そのものが、その存在を避けて流れているかのようだった。
「まだ寝ているみたいだぜェ」
オーグさんの低く唸るような声が、静寂を破った。
そのとき、メグーちゃんが一歩、音もなく前に出た。
銀の髪が瓦礫の隙間から差し込む光を受けて淡く輝き、蒼白の瞳が龍を射抜くように見据える。
「鼓動は……感じられない。眠っているのとは違うわ。止まっている……でも、死んでいるとも思えない」
その言葉に、私は思わず身をすくめた。
(止まっている……でも、死んでいない)
スキル一覧を確認する。
何かの感応があるかと思ったけれど、今のところ変化はない。
ただ、この龍の存在感は──地龍や水龍、天龍とは、何かが違う気がした。
「うむ……周囲を警戒しながら進むぞ。あの龍の逆鱗を確かめねばならん」
ミリアリアさんが静かに言う。
その言葉は、ここまで命を賭して進んできた私たちの旅の核心を突いていた。
「……な、なんだか、す、すごいですね。僕たち……」
ケビンさんが堪えきれずに呟いた。
「おん?どうしたァ?」
「前人未到のダンジョンをここまで進んで!龍を発見したんですよ!すごい偉業です!」
その言葉に、私は小さく何度も頷いた。
言葉にはできないけれど、胸の奥に同じ感情が渦巻いていた。
「おう、アンポンタンとチンチクリン、まだ油断すんじゃねェぞ」
オーグさんの荒々しい声に、私はびくりと肩を跳ねさせた。
「そうだな、オーグの言う通りだ。今までを思い出せ、ひと悶着もふた悶着もあるだろう」
そうだ。地龍も水龍も天龍も、簡単ではなかった。
それよりも大きい、あの龍が──何もないはずがない。
そのとき、メグーちゃんがぽつりと呟いた。
「この気配……やっぱり、龍じゃない。別の何かが封じられている」
その言葉に、場の空気が一層張り詰めた。
「何か?」
「ええ……何なのかまではわからない。でも……」
メグーちゃんは小さな胸元に手を当て、目を伏せた。
「でも……何だか……懐かしいような……そんな感じがする」
(懐かしい?)
私はメグーちゃんの横顔を見つめた。
普段は感情を表に出さない彼女が、今は何かを抑えているようだった。
ミリアリアさんが一歩、前に出た。
蒼い瞳が鋭く光る。
「行こう」
その一言に、全員が背筋を伸ばした。
「確かめねばならぬ。あの龍、そして、メグーの感じた気配をな」
ミリアリアさんの目が、いつもと違った。
静かな、でも深いところで燃えているような目だった。
「おう!」
オーグさんが短く答えながら、周囲に目を走らせた。
その動作に、迷いはなかった。
前に進む。それだけが、今この場に必要なことだった。
「はい!」
ケビンさんの声は少し上ずっていた。
私はその背中を見ながら、ようやく自分の足が動くのを感じた。
「……」
ミリアリアさんの目が、頭の隅に残り続けていた。
静かで、でも深いところで燃えているような目。
どこかで——あの目を、知っている気がした。
記憶が、浮かんだ。
私を家から追い出した時の——父の顔。
ユニークロールを持つ娘に夢を見ていたあの人が、最後に私へ向けた瞳。
言葉にされたわけではなかった。
でも、あの目がそう言っていた。
絶望と怒り。
——違う。
頭を振る。
ミリアリアさんの目は、あれとは違う。
……違う、はずだ。
そう言い聞かせたのに、胸の奥に残ったざわめきだけは、どうしても振り払いきれなかった。
「……お母さん、大丈夫?」
メグーちゃんの声が、隣から届いた。
小さくて、でもまっすぐだった。
「うん、大丈夫」
メグーちゃんに強がりを言った。
でも、少し楽になった。
「お母さんは……」
隣でメグーちゃんが小さく言った。
「え?」
「ううん、何でもないわ」
振り返ったときには、もう彼女は前を向いていた。
銀の髪が、瓦礫の隙間から差し込む光の中で、静かに揺れていた。




