第58話:開かずの扉と、震える指先
紫の光を帯びた石畳の通路は、静寂そのものを形にしたように私たちを包み込んだ。
空気は冷たく、吐く息がわずかに白む。足音は硬い石に触れた瞬間、吸い込まれるように淡く響く。
通路の先に現れたのは、壁に深く埋め込まれた重厚な鉄の扉だった。
黒鉄の表面には長い年月を物語る細かな傷が刻まれ、中央の小窓からは、展望台で見下ろした街並みが薄い靄の向こうに揺らめいている。
この扉の向こうに、龍が眠る地がある──そう伝えられてきた。
実際に目の前に立つと、自然と息を呑んでしまう。
「ここを開ければ、いよいよだな」
ミリアリアさんが扉を見上げながら呟く。
「もう戻れないところまで来たんですね」
「おう!ビビってんじゃァねェ!やっるきゃねェんだからよォ!」
「ぐ……グオォオオッ!!」
オーグさんの咆哮が通路に反響し、空気が震えた。
盛り上がった筋肉が軋むほどの力で扉を押し引きする。
だが、重厚な鉄の扉は冷たく沈黙したまま微動だにしない。
「ぐ……はァ……ダメだァ……押しても引いても、何してもよォ、開かないぜェ、この扉」
額には汗が滲み、拳には血まで滲んでいる。
それでも開かなかった。
ミリアリアさんがメグーちゃんへと視線を向ける。
「メグーはどうだ?」
メグーちゃんは無言で扉に手をかざした。
淡い光が掌に集まりかけたが、すぐに霧散する。
「ダメね。マナが反応しないわ。まるで、こちらの存在そのものを拒んでいるみたい」
「ふむ……」
ミリアリアさんが扉を見つめた。冷たい鉄の表面には、古い紋章のような刻印が浮かび上がっている。
その時、私の目が壁の一点に止まった。
通路の壁際に、黒い長方形の紋章が埋め込まれている。
赤と青のスイッチが整然と並んでいた。
ケビンさんがその前に立ち、眉間に皺を寄せて見つめている。
「おう、ケビン」
「はいっ!?」
突然名前を呼ばれ、ケビンさんは肩を跳ねさせた。
「何でも良いからよォ、ポチポチ押してみろォ」
「罠でもあったらどうするんですか!?」
「壁のスイッチで開きそうにないか?」
「ま、まだ試してないです」
「ふむ……我が押してみよう」
「ミ、ミリアリアさん!?ダメです!大胆すぎますよ!」
私は思わず声を上げたが、ミリアリアさんは動じることなく、堂々とスイッチへ手を伸ばした。赤、青、赤、青──規則性を探るように押していく。でも装置は沈黙したまま反応を返さない。
「ダメそうだな……」
「わ、罠、じゃなくて……良かったです」
私は胸を撫で下ろした。
でも、視線は扉に吸い寄せられたまま離れない。
(ミリアリアさんの時……スイッチ、光っていなかった)
私は思い返す。ケビンさんがその前に立っていた時、スイッチが淡く光っていた気がする。ミリアリアさんが触れた時は、光っていなかった。
「ミリアリアもオーグも、目的地が近いからって、油断してないかしら?」
メグーちゃんの冷静な声が落ちた。
「む、そうか?」
「んなァこたァねェぞ?」
「だが、気を付けるようにしよう。確かに、罠を前提に行動するべきであったな」
「んで、どうすんだァ、また進むかァ?」
「あ、あの!」
私は声を上げた。震えていたけれど、今言わないといけないと思った。
「ミ、ミリアリアさんがスイッチに近づいた時、光っていませんでした。でも、ケビンさんの時……光っていました」
その言葉が落ちた瞬間、場の空気が変わった。
ミリアリアさんとケビンさんが顔を見合わせ、メグーちゃんは静かに頷く。
「流石はお母さんね。ケビン、今度はアンタが押してみなさい」
「え……ほ、本気ですか?」
「うん」
「わ、わかりました!や、やります!」
ケビンさんが震える指先でそっとスイッチに触れた。
赤い光が淡く灯り、まるで彼の存在を認めるように脈打つ。
「……お、押します」
「早くしろやァ」
オーグさんが背中を軽く叩く。
その勢いに押され、ケビンさんは赤のスイッチを押し込んだ。
『認証でき……た。サ……イヤ……以上……限が必……です』
機械的な音声が通路に響く。
途切れ途切れで意味が掴めず、かえって不気味さだけが残った。
「おん?何だァ?この変な声はァ?」
「魔力変換した声みたいですね」
「けっ、おう、ケビン。今度は青のやつ、押してみろ」
「い、嫌ですよ!」
「ああんっ!?」
「ケビン、頼む」
「ケ、ケビンさん!お、お願いします」
ミリアリアさんと私の眼差しに、ケビンさんは観念したように肩を落とした。
「わ、わかりました!やります!」
青いスイッチに触れて、押し込む。
だが装置は沈黙したまま、何の反応も返さない。
「……ダメですね」
「ケビンでも、青い方は光っていないでしょ」
メグーちゃんの指摘通り、薄暗い通路の中、赤いスイッチだけが淡く光を宿していた。
「……私はどっちも光らないわね」
メグーちゃんが手をかざすが、装置は沈黙している。
「おう、俺様はどうだァ?」
オーグさんも同じように手を伸ばすが、結果は変わらなかった。
「アニーさんはどうでしょう?」
「え、わ、私も……ですか?」
「アニー、試してみてくれ」
「わ、分かりました……」
私は緊張で肩をすくめながら、そっと手をかざした。
その瞬間、青いスイッチが眩い光を放ち、通路全体が淡い青色に染まる。
そして──鉄の扉が、音もなく開いた。
「ひ、開きましたね」
「うむ」
「すごいわね。流石はお母さんだわ」
「え、ええ……」
頬が熱くなった。
でも、それ以上に自分の手を見つめていた。
なぜ開いたのか分からない。
『サプ……ヤ……権限を確認。認……を完了しま……た』
「な、なんで開くんだァ……?」
「む?何でも何も、アニーは"サプ何とか"権限を持っているからではないのか」
「な、何ですか、その権限!?」
心臓の鼓動が早まっていく。
自分がそんな特別な権限を持っているなど、一度も聞いたことがない。
「さっきの……魔力変換されたみたいな音声、聞こえましたよね。"サプ何とか権限"って。何か心当たりはないですか?」
「……特には……ない、です」
自分の胸の奥を探ってみても、思い当たる記憶はひとつも浮かばなかった。
「だが、音声が言っておるのだから、そういうことだろう」
「そうね。あの言い方からすると……お母さんだけが"サプ何とか"権限を持ってるのかも」
私はそっと自分の手を見つめた。
光った理由も、扉が開いた理由も分からない。
だが、確かに自分の手が扉を動かした──その事実だけが胸に重く残る。
「ひとまず、先を急ごう。道は開けた」
ミリアリアさんの言葉に、皆が頷く。
開いた扉の向こうには、淡い光が揺らめく広い空間が広がっていた。
冷たい空気が流れ込み、未知の気配が肌を撫でる。
私は一歩、踏み出した。




