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誰も食べない世界に真実を  作者: 農民
第2章:古都の傲焔
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第57話:歪む空間、沈む記憶


 重力が狂い、天と地の境界が曖昧になるこの層では、常識という名の羅針盤が役に立たない。

 石畳は空に浮かび、足元の感覚は頼りなく、踏み出すたびに自分が落ちているのか昇っているのかさえ分からなくなる。

 螺旋を描く階段は虚空へと続き、時間の流れすら歪んでいた。


 天と地の両方に街並みが広がり、空中に浮かぶ石畳が蜘蛛の巣のように交差している。

 高層ビル群の階段はまるで地に向かって昇っていくように見え、視界が上下逆転しているかのような錯覚を覚える。


「街は……魔物の巣窟になっていますね」


 ケビンさんがガラス越しに街を見下ろしながら、震える声で呟いた。


「人は……いないようだな」


 ミリアリアさんが静かに言葉を継ぐ。


「……メグーちゃん?」


 私は思わず声を上げた。

 メグーちゃんの顔が青ざめ、額に冷や汗が浮かんでいる。

 私は一歩踏み出したが、言葉が喉に詰まった。


「大丈夫?」

「う、うん……大丈夫よ。お母さん」


 メグーちゃんが微笑もうとする。

 でも、その表情はどこか痛々しくて、無理をしているのが明らかだった。


「メグー、少し座った方が良い。顔色が悪いぞ」


 ミリアリアさんの声に、メグーちゃんは素直に頷いて床に腰を下ろした。


「……何だか、急に眩暈がしたの。この場所に入った瞬間、頭の中で何かがノイズみたいに走って……」


 そこで言葉を切り、首を振った。


「うまく言えない。でも、もう大丈夫。心配させてごめんなさい」

「ううん、ゆっくり休んでね」


 私はそっとメグーちゃんの肩に手を置いた。

 ケビンさんたちは展望台の向こうに広がる街並みに目を向けていた。


「……古代人の街でしょうか」


 ケビンさんの声には、畏敬と興奮が入り混じっていた。


「へっ!こんな地下の、こんなとんでもねェところで暮らすなんざァ、神経を疑うぜェ」


「勇者と魔王の神話よりもさらに昔……今よりももっと栄えた文明があったと言われている。だが、それは……フロンティアラインの向こう側に存在すると言われていた」


 ミリアリアさんが遠くを見つめながら語る。


「よもや、フロンティアラインの内側に、古代人の足跡を見つけることができるとはな」

「やっぱり、古代人の街ですよね!?」


 ケビンさんの目が輝いた。


「間違いないだろう。我々の建築魔法で……ここまで高い塔を何棟も建てることはできん」

「おう……全部が全部、何だかのっぺりして、薄気味わりィ、古代人ってのは趣味が悪いぜェ」


(……何かいる。絶対に)


 この広さだ。縄張りを持つ何かが、必ずいるはずだ。視線を街の奥へと走らせた、ちょうどその瞬間。


「街の奥!あれ!!」


 ケビンさんが突然叫んで指を差す。私もその方向を見た。


 高層ビルに紛れて、巨大な赤い龍の姿があった。


 崩れたビルの上に横たわるその姿は、まるで大地の一部のように動かず、時の流れさえ忘れたかのようだった。

 鱗は人工太陽の光を受けて鈍く輝き、翼は折りたたまれ、爪は瓦礫に埋もれている。


「間違いない……龍だ」

「で、でけェな……おい」


 ケビンさんも息をのんでいる。


「探していた龍でしょうか?」

「可能性はある。少なくとも……いずれかに数えられる龍のはずだ」


 誰も動かなかった。

 龍はこちらの存在など知らぬように、瓦礫の上でじっと横たわっている。


「そういえばよォ、姉御ォ、どうやって何柱なのか確認すんだァ?」

「龍の逆鱗を見れば分かる」

「逆鱗……ですか?」


 ミリアリアさんの声に、ケビンさんが静かに問い返す。


「うむ、その形で何柱の龍なのか確認できる。教典に載っている形であれば、間違いなく龍と言えるだろう」

「なるほど……逆鱗のカタチを確認して、その情報を持ち帰るんですね」

「うむ」

「んで……どうやって降りるんだァ?」


 オーグさんの問いに、ケビンさんはガラスにそっと手を触れた。


「分厚い……すごい技術ですね」

「割れそうか?」


 ミリアリアさんが静かに尋ねる。ケビンさんが苦笑いした。


「ミ、ミリアリアさん……大胆ですね」

「おう、姉御ォ、任せておけェ!」


 オーグさんが肩をぐるぐると回しながら前に出ようとした。


「わわわ!オーグさん!!ダメですよ!」

「おん?」


 私は思わず声を上げた。


「ガラスが割れた音で……ほら!あそこにも魔物!下手すると、一斉に襲い掛かってきます!」

「ふむ……メグーの容体が優れない今……可能な限り戦闘は避けたいところだな」


「私なら大丈夫……良くなってきたから」


 メグーちゃんが静かに立ち上がった。

 私は思わず止めようとしたが、その顔色が確かに回復しているのを見て、そっと手を引いた。


「おっしゃ、メグーが元気になったんだったらよォ、ここは一発!ガラスをぶち破って行こうぜェ!」


 オーグさんの声が展望台に響き渡る。


 その無鉄砲な提案に、意外にもミリアリアさんが頷いた。


「うむ……悪くない提案だ」


 私の肩がびくりと震えた。

 思わず一歩後ずさりして、ミリアリアさんを見上げる。


「え、ほ、本気ですか!?」


 声が裏返った。


「でも……確かに……どうやって下まで降りれば良いのかわからないですね」


 ケビンさんが困ったように眉をひそめながら言う。


「おう!あっちの通路、まだまだ先に続いていそうだぜェ!」


「……そうね。確かに」


 メグーちゃんも静かに頷いた。


「え、皆さん……本気なん……ですか?」


 返ってきたのは沈黙だった。

 そして、全員の視線が一斉に私に向く。

 逃げ切れないと思った。私は小さく頷いた。

 ミリアリアさんがそれを「満場一致」と受け取ったらしい。


「うむ……オーグ、お前に任せるぞ!」

「おう!姉御ォ!」


 オーグさんが雄叫びを上げ、拳を高く振りかぶる。

 雷鳴のような勢いで、展望台のガラスへと叩きつけられた。


 ──が。


「がぁぁぁッ!い、いでェ!!」


 鈍い音が響き、オーグさんは拳を押さえてのたうち回る。

 ガラスは微動だにしなかった。


「頑丈ですね」


 ケビンさんがぽつりと呟く。


「傷一つ入っておらんな」


 メグーちゃんが一歩前に出て、白く細い指先でそっと表面に触れた。


「ダメね……私の魔法でも穴は空けられないみたい」


 私も、ガラスに手を当ててみた。冷たく、硬い。

 奈落草の根が入り込む亀裂を探したが、表面には隙間ひとつない。生き物の細胞と違って、無機物に根を張らせる感触が全くなかった。


(……植物スキルでは、無理か)


「まさか、コンテクストマジックでもダメなのか?」

「ええ、何だか……ちょっと違う感じがするわ。このガラス」


 メグーちゃんは目を閉じ、静かに呼吸を整える。


「おう、メグー、どうだァ?やっぱダメそうかァ?」

「やっぱって何よ……でも、ダメね。うんともすんとも言わないわ」


「メグーさんの魔法でもダメなら、僕達が何をやってもダメかもしれませんね」


「おう、ケビン、てめェも殴ってみろ」

「え!?嫌ですよ!」

「おん!?俺様だけ、手がいてェ思いしろってのかァ!?」

「そ、そんな無茶苦茶な!!」


「仕方あるまい。あの通路から先に進むとするか」


 ミリアリアさんの言葉に、私は胸を撫で下ろした。

 ガラスを破って街に降りるという案が消えたことに、心の底から安堵する。


「そうですね……その方が良いと思います」


「けっ!また、迷路みてェに、めんどくせェ道じゃなきゃいいけどなァ」


「仕方ないですよ……でも、魔物と戦うことは避けられるかもしれませんね」

「俺は戦いてェんだよォ!」


 こうして私たちは再び、先の見えない通路へと足を踏み出した。


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