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誰も食べない世界に真実を  作者: 農民
第2章:古都の傲焔
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第53話:虚空を統べる古き翼


 空間が軋むような不協和音を響かせ、まるで世界そのものが悲鳴を上げるかのように虚空が裂けた。


 そこから現れたのは、天を統べる者──天竜。

 その銀の瞳は、遥か高みから人の営みを見下ろすように冷ややかで、しかしその奥には、長き時を生きた者だけが抱える深い哀しみが滲んでいた。


 翼を広げた瞬間、空気が悲鳴を上げる。

 逆巻く風が周囲を襲い、浮かぶ石畳が砕け散り、破片が宙を舞った。


 まるでこの世界そのものが、天竜の存在を拒絶しながらも畏れているかのようだった。


 その圧倒的な威圧の中、ミリアリアさんが一歩、静かに前へ進み出る。

 海賊帽の下で金色の髪が風に踊り、蒼い瞳が天竜を真っ直ぐに射抜く。

 その姿は、嵐の中心に立つ姫君のように凛としていた。


「ふむ……天の守護者よ。我らの行く手を阻むというのなら、覚悟してもらうぞ」


 その声は老練な戦士のように重く、揺るぎない威厳を帯びていた。

 時代を超えて響くようなその言葉に、空気が一瞬、静まり返る。


「ま、待ってください!た、戦うんですか!?」


 ケビンさんの声が裏返る。

 風に煽られ、今にも倒れそうなほど震えていたが、その瞳には仲間を案じる真摯な光が宿っていた。


「相手は地龍や水龍とは格が違いますよ!?」


「おらァ!! 引っ込んでろってんだ、アンポンタン!逃げ場なんざねぇんだよ!!」


 オーグさんが吠えるように怒鳴る。

 赤い肌を逆立て、筋骨隆々の体を前に出す姿は、まるで戦を求める鬼神そのものだった。

 その怒声が空気を震わせ、天竜の威圧とぶつかり合う。


 そのとき、天竜の銀の瞳がゆっくりと動き、全員を見渡した。

 魂の奥底まで見透かすような視線に、私は思わず肩をすくめる。

 前髪の陰で揺れる瞳が、かすかに震えた。


 そして、天龍の銀の瞳が、ひとりひとりを静かに見渡した。

 私、メグーちゃん、ケビンさん、ミリアリアさん。


 ——そしてオーグさんのところで、一瞬だけ止まった。

 ほんの刹那のことで、気のせいかもしれなかった。

 でも確かに、その瞳の色が微かに揺れたように見えた。


『……同じ神の使いが、なぜその者たちと共に在る』


 誰に向けた言葉なのか、わからなかった。

 場に、短い沈黙が落ちる。


『いずれにせよ。ここから先は龍域なり。侵すことは許さん。直ちに立ち去れ』


 その言葉に、ミリアリアさんは唇の端を吊り上げ、不敵に笑った。


「ほう……このまま立ち去れば、我らを見逃すと?そういうことか?」


『左様。我らは人の子らとの争いを好まぬ』


「ふむ……無理な申し出だ。龍域ならば、我らが求めているものが先にある可能性が高い」


 一瞬だけ、ミリアリアさんの眉がかすかに動いた。

 守るものがあるから守ろうとしている。

 それは何なのか——問いかけようとして、やめた。


「おう……ここまで来て、尻尾巻いて帰るわけにはいかねぇんだよ」


 オーグさんが拳を鳴らし、前へ踏み出す。


「おらァァァッ!!」


 前の戦いで先手を奪われ続けた。

 今度こそ最初に動く——そのつもりだったはずだ。

 咆哮とともに、鍛え上げられた巨腕が天龍へ突き出される。

 拳が空を切る瞬間、天龍の銀の瞳がわずかに細められた。


 次の瞬間──。


「なっ……!」


 オーグの拳が届く寸前、天龍の巨体が霞のように揺らぎ、消えた。

 否、消えたのではない。

 風と一体化するようにして、滑るように後退したのだ。


「速ぇ……!」


 オーグが舌打ちする間もなく、天龍の尾が空を裂いて振り上げられた。

 ——しかし、その軌道はオーグをすり抜けるようにして、虚空へと消えた。


 追撃できるはずの間合いだった。それなのに天龍は動かない。

 ただ、銀の瞳でオーグをじっと見つめていた。


(何かを狙っている?)


 壁際から息を詰めて見ていた私は、思わずそう感じた。

 地龍も水龍も、隙があれば必ず追った。

 なのに天龍は、オーグさんに対して——追ってこない。


 その不自然さを感じた次の瞬間、天龍の視線が今度はミリアリアさんへと向いた。

 翼が大きく広がり、冷気を帯びた風が吹き荒れる。


「ミリアリアさん!」


 ケビンさんが叫ぶが、声は風にかき消された。

 それでも震える足で一歩前に出ようとする。


「下がっていろ、ケビン。あれは……ただの龍ではない」


 ミリアリアさんが低く呟く。蒼い瞳は鋭く天竜を見据えていた。


 天竜が再び姿を現す。

 銀の鱗は陽光を反射し、神々の鎧のように輝いていた。

 翼を一振りすると、空が唸り、雷鳴のような轟音が響く。


『力に訴え続ける……愚かなる選択だ』


 その声は怒りではなく、深い哀しみに満ちていた。

 だが次の瞬間、天竜の口元が淡く光を帯びる。


「来るぞ!伏せろ!」


 ミリアリアの叫びと同時に、蒼白い閃光が放たれた。

 熱ではなく、魂を凍てつかせる冷気の奔流。

 石畳が瞬時に凍りつき、空気すら凍結する。


「お母さん、こっち!」


 メグーちゃんが私の手を引き、氷の奔流から逃れる。

 必死に足を動かす。息が切れる。

 膝が笑っていた。


 壁際に張りつき、2人の戦いを見つめながら、私は必死に天竜の動きを追い続けた。

 藍色の鱗が光を弾く。

 翼の付け根のあたり——鱗が重なり合う場所が薄れていないか。


 地龍のときも、鱗の重なりの隙間に当てることが突破口になった。

 魔物は総じて、翼の付け根や腋の下など、動きの多い部位ほど装甲が薄くなる傾向がある。

 嵐の化身たる天竜ならば、動きはさらに素早い分、そこに集中して鱗が摩耗しているはずだ。


 天龍の弱点を突くために、何かスキルは使えないか。

 必死に頭を巡らせる。


 通じそうなスキルはあるけど、私が近づける距離じゃない。

 でも……近づけないなら、向こうから何かを引き出す方法は?


 私が焦る中、オーグさんが再び天龍へ拳を叩きこもうとする。

 だが、先ほどから、天龍はオーグさんに本気で攻撃を返さない。


 追撃できるはずのタイミングで、そっぽを向く。

 明らかにおかしかった。


(オーグさんと相性が悪い?)


 その考えが、頭の中に浮かんだ。

 でも——なぜ?


 答えは出ないまま、天龍の翼が静かに広がった。

 次の標的を定めるように、銀の瞳がすっとオーグさんから外れる。

 向いた先は——ミリアリアさんだった。


「来るぞ!」


 ミリアリアさんが叫ぶと同時に、蒼白い閃光が迸った。

 オーグさんを無視して、私たちへ向けて放たれた一撃。

 冷気の奔流が石畳を凍らせ、空気ごと刻んでいく。


「お母さん、こっち!」


 メグーちゃんが私の手を引き、辛うじて躱す。


 壁際に背を押しつけながら、私はオーグさんを目で追った。

 ミリアリアさんが氷の奔流を受け、ケビンさんが転倒する。


 なのに——オーグさんだけは、無傷のまま立っていた。

 天龍の攻撃は、最初から彼に向いていなかった。


 それが、ひどく引っかかった。


「てめぇ……やるじゃねぇか……だがなァ、まだ終わっちゃいねぇぞ!!」


 オーグさんは堂々とした様子で笑う。

 その背後で、ミリアリアさんが剣を抜く。

 蒼い刃が陽光を受けて煌めいた。


「うむ……ここまで来て引き下がるわけにはいかん」


 風が再び唸りを上げる。

 天と地が交錯する戦いの幕が、今、切って落とされた。


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