第49話:赤い涙の転生
「お願い……!やめて!やめてぇ!!」
カレンの叫びは、凍てつく冬空を裂くように響き渡った。
それは幼い少女の喉の奥から、魂ごと引きずり出された悲鳴だった。
王都の広場は、異様な熱気に満ちていた。
季節外れの冷たい風が吹いているはずなのに、肌にまとわりつくような重苦しい熱が渦を巻いている。
怒号。罵声。石が地面を叩きつける乾いた音。
それらすべてが混ざり合い、世界そのものが狂気に染まっていくようだった。
広場の中央──。
赤い髪を振り乱し、カレンは粗末な木枷に磔にされていた。
小さな体は恐怖に震え、頬を伝う涙が陽光を受けてきらりと光る。
その姿は、あまりにも痛ましく、あまりにも無力だった。
「お母さんを助けて!!お願い!!」
カレンの叫びは、張り裂けそうな思いそのままに空気を震わせた。
その視線の先──そこには、彼女の母がいた。
群衆に囲まれ、罪人として突き出され、耐えがたい苦痛に身を縮めている。
カレンがいつもあんなに明るく笑っていたのは、あの人がいたからだ、とミリアリアは思っていた。
カレンの笑顔の源だった人が、今、そこに立っていた。
その姿を見つめるカレンの瞳には、自分の痛みよりも母を案じる必死さだけが宿っていた。
──どうして。
ミリアリアは、ただその場に立ち尽くしていた。
足は地面に縫い付けられたように動かず、喉は凍りついたように声を失っている。
目の前で起きている惨劇が、現実だとはどうしても思えなかった。
あの夜──震えるカレンを抱きしめた記憶が、胸の奥で鮮やかに蘇る。
『怖いよ……お姉ちゃん……どうして、私なの……?』
あのとき腕に感じた温もりは、今も確かに残っている。
なのに、今はその手を伸ばしても、もう届かない。
「異端者め!」
「魔王を産んだ罪を償え!!」
「龍の怒りを呼ぶところだったんだぞ!!」
怒号が次々と飛び交い、広場の空気は狂気そのものに染まっていった。
群衆の怒りは、もはや理性という枷を完全に失っている。
誰もが石を握りしめ、誰もが憎悪を吐き散らし、そして誰もが自らを“正義”だと信じ込んでいた。
正義を掲げた拳が、無抵抗の女性へと石を投げつける。
正義の名を借りた声が、逃げ場のない彼女に罵声を浴びせる。
これは……果たして正義なのか。
これが……この世界の“正しい”在り方なのだろうか。
「違う……こんなの、嫌だ……」
ミリアリアには、群衆のほうこそが魔王のように見えた。
憎悪に歪んだ顔、正義を名乗りながら人を傷つける手──そのどれもが、恐ろしく醜かった。
もし、この世界に本当に倒すべきものがあるとしたら、それはカレンではない。
この熱狂だ。
この秩序だ。
そのとき初めて、ミリアリアは自分が何と戦うのかを知った。
やがて、カレンの母は動かなくなった。
石を浴び、腹を槍で貫かれても、悲鳴ひとつあげることなく。
それでも、彼らの“正義”は止まらない。
むしろ、動かぬ標的よりも、まだ息をしている標的のほうが都合がいいのだろう。
次の瞬間──。
群衆が向ける正義の矛先は、一斉にカレンへと向けられた。
「殺せ!」
「殺せ!!」
「魔王を殺せぇぇぇ!!」
怒号が波のように押し寄せ、広場の空気を震わせた。
そのたびに、カレンの小さな体がびくりと跳ねる。
「カレン!!」
ミリアリアは喉が裂けるほど叫んだ。
声は震え、頬を伝う涙は止まらない。
その声に気づいたのか、カレンがゆっくりとこちらを向く。
恐怖に揺れる瞳──その奥に、ほんのわずかな光が宿っていた。
微かに、微かに、唇が緩む。
それは、まるで「大丈夫だよ、お姉ちゃん」と語りかけるような、あまりにも優しい笑みだった。
その瞬間、ミリアリアの胸の奥で、何かが崩れ落ちる音がした。
それは心のどこかに最後まで残っていた“希望”が砕け散る音だったのかもしれない。
世界が遠のいていく。
群衆の怒号は、意味を失った雑音へと変わり、吹きつけていたはずの冷たい風の気配すら消えていた。
ただひとつ──。
聞こえるのは、カレンの声だけ。
「お姉ちゃん……ごめんね……」
苦痛に引き裂かれた悲鳴の合間から、か細い声が届く。
その声は、あまりにも弱く、あまりにも優しかった。
「一緒に……虹のお花畑に行けなくて……約束、破っちゃうみたい……」
その言葉は、刃のように鋭く、ミリアリアの心を深く深く貫いた。
胸の奥が焼けるように痛む。息ができないほどに。
それでも、カレンは笑おうとしていた──その事実が、何よりも残酷だった。
──どうして、世界はこんなにも残酷なの。
──どうして、あの子が苦しまなきゃいけないの。
──どうして、誰も助けてくれないの。
ミリアリアの視界が、ゆっくりと赤く染まっていく。
怒りでも、憎しみでもない。もっと静かで、もっと深い、底の見えない感情。
世界そのものが、敵に見えた。
神も。
民も。
秩序も。
ロールも。
すべてが、カレンを殺そうとしている。
その瞬間、ミリアリアの中で何かが決まった。
ミリアリアは、静かに拳を握った。
涙が頬を伝い落ちる。
その涙は、悲しみではなく、決意の色を帯びていた。
この日、ミリアリアは“王女”ではなくなった。生まれ変わったのだ。




