第45話:処刑台に咲く女神
黒髪黒目の少年が処刑される──その知らせは前日の夕刻に届いた。
龍年生まれ、武門名家アルヘッザル家の血筋だ。
盗賊のロールを授かるまでは、勇者の再来と囁かれていた。
帝国の密使からの情報は、私が教皇から受けた密命と無関係ではなかった。
翌朝──アルヘッザル領の広場。
私は教皇の書状を懐に収め、人だかりの中を進んだ。
真紅のドレスの裾が石畳を掠め、金色の髪が冬風に揺れた。
広場はすでに人で埋まっていた。
老いも若きも、貴族も平民も、皆が処刑台を取り囲んでいる。
その中心に、黒衣の処刑人──ギロンが立っていた。
そして台の上に、少年がいた。
うつ伏せに寝かされ、首は台に固定されていた。
冬の光が、その黒髪を鈍く照らしている。
九歳か。
私はその顔を見た。
──この目か。
死を前にして、揺るがぬ瞳だった。
恐れでも、怒りでも、懇願でもない。
ただ静かに、今という瞬間の中にいる。
まるで、自分が置かれた状況をすべて理解した上で受け入れているような目だった。
群衆の中に長男と長女がいた。
二人の口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。
父・グレンの姿は見えない。
「さてさて、フェイ様、何か言い残すことはございますか?」
「……ない。早くしてくれ、首が痛い」
「……最後までむかつくガキだ」
男の呟きが、冷たい風に紛れて響いた。
剣が振り上げられる。
その動きは、まるで儀式のように滑らかだった。
「待ちなさい」
声が出ていた。
私は人垣を割り、処刑台の前へと歩み出た。
処刑人の剣が止まる。
空気が凍りつく。
視線が、一点に集まる。
蒼穹のように澄んだ瞳で、私はギロンを射抜いた。
「……ミリアリア様」
黒衣の男の声が震えた。
私は静かに口を開いた。
「事は、アルヘッザル領内だけの問題ではありません」
「……と申されますと?」
「フェイ様が処刑される理由は、盗賊のロールを授かったことにあると聞きました」
「はい。その通りです。エルドラード王国のみならず、世界各国において、盗賊はもれなく死罪です」
「ロールは神が人に与えた役割です。フェイ様が盗賊のロールを授かったのは、神の意思によるもの。もし、それを理由に命を奪うというのならば、それは神の御心に背く行為。教会はそれを、神への反逆と見做します」
その声音は凛としており、幼き少女のものとは思えぬほどに重みがあった。
「教会の意思は、我らエルドラード王国においては、すなわち国王の意思でもあります。この言葉の意味、ご理解いただけますと幸いです」
「な、何を!?」
ギロンの顔が引きつった。
その隙を逃さず、私は懐から一通の書状を取り出す。
白銀の封蝋に教皇の紋章が刻まれていた。
ギロンは唇を固く結び、拳を握りしめた。
だが、教会の総意を前にしては、いかなる権威も沈黙を強いられる。
そのとき──
広場の奥で、重厚な扉が軋む音が響いた。
ざわめきが波のように広がる。
「……ミリアリア殿下、我が領内で勝手は慎んでもらおう」
低く響く声とともに現れたのは、堂々たる体躯を持つ男だった。
金獅子のような髪と鋭い眼光を持つその姿は、戦場を駆け抜けた英雄の風格を漂わせている。
「これはグレン様」
グレン・アルヘッザル。
王族に匹敵する権威を持つ男が、ついに姿を現した。
「フェイを処刑せずに見過ごすことはできん。盗賊はもれなく死罪。それを看過すれば、秩序は崩壊する。神の意志を盾に混乱を招くことこそ、真の冒涜ではないか?」
その言葉は、雷鳴のように広間に響いた。
私は一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げ、毅然とした態度で応じた。
「……グレン様のお言葉もごもっともでございます」
蒼天の瞳と深紅の瞳が交差する。
互いに一歩も譲らぬ意志が、無言の火花を散らす。
「ミリアリア殿下、お引き取り願おう」
「グレン様、教皇からの書状をどうか」
私は両手で書状を差し出す。
グレンは無言で書状を受け取り、目を通した。
やがて、低く唸るように呟いた。
「……なるほど」
その視線がギロンへと向けられる。
「ギロン、フェイの処刑は中止。
身柄はミリアリア殿下に預けよ」
「っ!?」
ギロンは呆然とその背を見送った。
だが、現実へと引き戻したのは、私の声だった。
「ギロン様、よろしいでしょうか?」
「っ!」
「フェイ様の御身柄はこちらで」
「え、あ、しょ、承知しました!」
ギロンは慌てて少年の拘束を解き、手錠を外した。
自由を取り戻した少年が、台の上で上体を起こした。
黒い瞳が、私を見た。
感謝でも、媚びでもない。
何かを計るような、静かな目だった。
「それでは、フェイ様、まずは教会へ。事情をお話しますわ」
「……分かりました」
少年は静かに頷いた。
心の奥底に何かを抱えながらも、その表情に揺れはなかった。
そのとき、空気が一変した。
漆黒の鎧の騎士が現れた。
「……彼はサキュウス、私の護衛です」
「サキュウスと申します」
その鎧から発せられた声は、意外にも幼く、澄んでいた。
「……よろしくお願いします」
フェイはサキュウスを静かに見上げた。
サキュウスもまた、仮面の奥から少年を見つめていた。
どちらも言葉を発しない。
ほんの数秒の沈黙だったが、何かが通じ合ったのか、フェイがわずかに頷いた。
サキュウスも、かすかに頷き返した。
「ふふ、では参りましょうか」
私は踵を返し、広場を後にした。
背後に少年の足音が続いた。




