第42話:黒鏡石に映らぬ者たち
荒野に黒い結晶群が牙のように鋭く並び、果てしなく続いていた。
陽光に鈍く光る表面は、世界の記憶を閉じ込めた黒い鏡のようだった。
風が吹くたび結晶がかすかに擦れ、不気味な余韻を残した。
まるで何かが目覚めるのを待っているかのように、静かで不穏だった。
「んー、魔物が出ねえな」
オーグさんの低く響く声が静寂を破り、荒野にこだました。
「魔物なんて、出ないほうが良いですよ……」
ケビンさんの声は震え、うつむいた横顔はどこか情けなげだった。
私だって、できれば出くわしたくない。
「アンポンタン、メグーの魔力、どう補充すんだァ?」
オーグさんの怒鳴り声にケビンさんは肩をすくめた。
「そ、それは……」
口ごもりながら、おずおずとこちらを振り返る。
私は前髪で顔を隠すように視線を落とした。
さっきも試した。スキルで魔物を呼び出そうとしたが、黒鏡石がすぐに吸い込んでしまう。
ケビンさんが料理する間もない。
それでも、みんなが無事なのは、メグーちゃんのおかげだ。
彼女の魔力が黒鏡石の干渉を抑えているらしい。
ありがたいけれど、その分メグーちゃんへの負担が増えていると思うと胸が重くなった。
「けっ!マナステーションの原材料が、逆によォ、魔力を吸うなんざァ、変な話だよなァ」
オーグさんの言葉を聞きながら、私は思った。
これだけの量があるなら、フロンティアラインに使えるはずだ。
だが本当に黒鏡石なのだろうか。
見た目は似ていても性質が異なるように思える。
ただ似ているだけで、全く別の鉱石という可能性もある。
ケビンさんが曖昧に笑って頷くのを見て、私は考えを手放した。
「ん?」
ケビンさんがふと足を止め、黒鏡石の一つを覗き込む。
「なんだァ?」
「オーグさんが、黒鏡石に映っていないです」
その言葉にオーグさんも結晶に顔を近づけた。
「あん?おっ!本当だァ」
ケビンさんの姿は黒鏡石にぼんやり映ったが、オーグさんの姿はまるで最初から映っていなかった。
「おおん?何だァ?俺、ちっとも映らねェぞ?」
「不思議ですね……」
「おう、だが、天使の零落のよォ、この石共は過去の過ち、隠された欲望、忘れたはずの罪って奴を呼び起こすらしいからよォ、俺みたいな日頃の行いが良い奴は、映らねェってこったなァ!」
豪快に笑うオーグさんの声が結晶に反響して不気味に響いた。
ケビンさんは無理に笑って頷いていたが、その目がどこかぎこちなかった。
なんとなく、笑えない気持ちはわかる気がした。
「おう、なんだァ、アンポンタン、その笑みはよォ!」
「え、あ、ちょっと!オーグさん!!」
オーグさんがケビンさんの頭を大きな手で鷲掴みにしたその時、背後からミリアリアの澄んだ声が響いた。
「おい、遊んでいないで、先に進むぞ」
その声は風を切る剣のように鋭く、場の空気を一変させた。
「へいへい」
オーグさんが手を離し、ケビンさんと共に前へ進み始める。
その後ろ姿を見送りながら、私はメグーちゃんと共に歩き出す。
「ねぇ」
「どうしたの?」
メグーちゃんがふと立ち止まり、黒鏡石に映る自分と私の顔を見つめながら言った。
「私とお母さんは映ってるよね?」
「うん、そうだね」
私は思わず目を逸らしそうになった。
黒鏡石に映る自分の顔はどこかぼやけていて、まるで本当の自分を見透かされているようだった。
私に過ちや隠れた欲望、忘れている罪があるだろうか。
いや、過ちは確かにある。
人と話すのが怖くて、何度もチャンスを逃した。
欲望は、冒険者になりたいという夢かもしれない。
それとも誰かに認められたいという密かな願いかもしれない。
罪は……大それたことではないが、誰かを傷つけたことがあるかもしれない。
「メグーちゃん?」
「お母さん、そんなに悪いことしたの?」
「え、ええええ!!」
私は思わず声を上げてしまった。
メグーちゃんはまっすぐな瞳で私を見つめている。
「だって、これ、映っているでしょ。過ちや欲望、忘れているだけの罪があるから映るんでしょ?これ」
「そ、それなら、メグーちゃんだって!」
黒鏡石にはメグーちゃんの顔も私の顔もはっきりと映っていた。
オーグさんが映らないのは、やっぱり特別なのかもしれない。
「……」
「メグーちゃん?」
「何でもないわ」
その言葉の裏に何かを押し殺すような気配を感じた。
彼女の銀の瞳が黒鏡石の奥に何を見ていたのか、私は知る由もなかった。
私はもう一度、自分の顔が映る結晶を見た。
過ちも欲望も罪も──全部、向き合えばいいのかもしれない。
それが嫌で逃げていたから、ここまで弱かったのかもしれない。
怖いけれど、目を逸らすのはもうやめにしよう。
──それだけじゃ、ダメだ。
胸の中で、もう一つの声がした。
心構えを変えるだけでなく、自分にできることを増やさなければ。
「少し休む。この先の地形を確認したい」
ミリアリアの声が後方から届いた。
歩みが止まり、オーグさんは腕を組んで黒鏡石を睨み、ケビンさんはほっとしたように肩を落とした。
休憩。
その言葉が頭の中で転がるうちに、ふと思いついたことがあった。
(品種改良を使えば……何か、作れないかな)
私は少し離れた場所に移動し、誰にも見えないように結晶の陰にしゃがんだ。
まず試すことがあった。
荒野に入ったとき、結晶に触れた指先に感じたかすかな吸い付くような感触。
私はそっと目を閉じ、黒鏡石の欠片に手を当ててスキルを動かした。
まるで発芽前の種を包むように、意識をゆっくりと集中させる。
黒く鈍い光が掌の中に滲み出た。
(……入った)
スキル一覧に新しい名前が加わっていた。黒鏡石。
石のはずなのに、まるで種のように私のスキルの中に収まった。
(この石は触れた魔力を吸い寄せる。奈落草の種は勢いよく飛んで、着いた場所から根を張る──)
頭の中で二つの性質が重なった。
(飛んで──着いて──離さない。それが蔓になれば)
私は目を閉じ、スキルを動かした。
「品種改良……黒鏡石、奈落草」
掌に淡い光の粒が集まり、二つの輝きが溶け合って細い種が現れた。
見た目は奈落草の種とよく似ているが、表面に黒い筋が走っている。
試しに十メートルほど先の結晶の尖端に向けて詠唱した。
「這い延びろ、蔓糸草」
種が弾けて蔓が飛び、先端が結晶に触れるとぴたりと吸い付いた。
そのまま蔓がぴんと張り、私の体がぐんと引き寄せられた。
「わ、わっ、わっ!!」
結晶の前まで一気に引っ張られ、あわや激突というところで蔓が緩んだ。
息を切らしながら立ち上がった私の胸に、小さな熱が灯った。
(……自分で動けた)
唇だけでそう呟く。
クールタイムがあるから連続では使えない。
距離ももっと練習が必要だ。
でも確かに動けた。
誰かの背中を借りなくても。
「……アニーさん?」
ケビンさんの声が聞こえた。
振り返ると三人がこちらを見ていた。
メグーちゃんも含め、全員の目が丸くなっている。
「な、なんか飛びましたよね!?」
ケビンさんの声が裏返っている。
メグーちゃんがぱたぱたとこちらへ走り寄ってきた。
「お母さん!怪我してない?」
銀の瞳が私の体をくまなく確かめるように動く。
心配と、それより少し大きな好奇心がその顔に混じっていた。
ミリアリアさんが静かにたしなめながらこちらへ歩み寄ってくる。
「怪我はないか」
「あ、はい、大丈夫です……」
「何をした」
有無を言わさない問いだった。
「えっと……」
私は掌に残った蔓糸草の種を見せながらかいつまんで説明した。
「黒鏡石の性質を種に組み込んで、吸い付く蔓になれば移動に使えるかと思って」
「……この状況で、品種改良を試みたのか」
ミリアリアさんの声は低く、事実を確かめるようだった。
「はい。黒鏡石の性質を組み込めれば、移動に使えると思って」
少し間があった。
「次からは迂闊な行動を避けるように。よいな」
「はい……」
「……悪くない発想だ」
短く、ほとんど独り言のように言った。
踵を返すその背中を、私はしばらく見つめていた。
短く頷いてからミリアリアさんは踵を返した。
私は掌を見つめ、黒鏡石の荒野が少し違って見えるのを感じた。
その夜、私たちは荒野の只中で野営をした。
焚き火の前で見張り当番を決めるとき、ミリアリアさんは「最後でいい」とだけ言って、自ら奥の方へ毛布を引きずっていった。
その背中を見送る一瞬、ふと、結晶の表面に映ったミリアリアさんの輪郭が、また薄らいでいるように見えた。
ただの錯覚かもしれない。
けれど、明日は少し、ちゃんと顔を見て話をしてみよう──そう思って、私は目を閉じた。




